第2章 漁村とシーサーペント ③
「……勇者様、逃げよう」
震える声でそう言ったのはリドルだった。
「――! リドルさん、何を言って――……」
「オラ、この年で独り身だろ? そんでも若い頃に一度、嫁をもらったんだ。そりゃあ可愛くてオラには勿体ない嫁だった。その嫁がオラの仕事を手伝うっつって一緒に漁に出て……そんで、沖で急な嵐に巻き込まれて、嫁は落水しちまった……」
リドルが震える声で言う。
「すぐに助けようとしたんだけども、落ちたと思ったら海の魔物に一呑みにされちまった――それがこいつだ。シーサーペント……この辺りの魔物の主だよ」
「こいつに、奥さんが……」
ジェイクは目の前の大海蛇――シーサーペントを見上げる。その巨体は海面から出ているだけで三メートル超、胴の幅は一メートルを軽く越えている。
その巨体に戦くジェイクにリドルが短く叫ぶ。
「勇者様、船縁に掴まってくれ! 全速力で逃げる!」
「待ってください、フォグナーさんはどうするんです?」
「どうもこうも――こいつに狙われたら逃れらんねえ! シーサーペントはフォグナーの船に気をとられてる、オラたちに気付いてねえ。今のうちに逃げるべきだよ。助けてやりてえけども、さすがに相手が悪すぎる……」
シーサーペントはジェイクたちに背を向けている。フォグナーを狙っているようだ。
「船を反転させる――勇者様、王女様、揺れるからどこかに掴まってくれ」
そう言って船を操作しようとするリドル。
しかし、ジェイクは――
「駄目だ。戦いましょう、リドルさん」
――NOと答えた!
「な――勇者様、正気か? こいつの巨体が見えてるだろう? 体当たりなんかされたらこんな船一発でバラバラにされちまうし、海に落ちたら瞬く間にオラの嫁みてえに――」
声を荒げるリドル――その肩をがっと掴み、ジェイクは言った。
「リドルさん――俺たちはいつまでもこの村にいられません。さっきもロッテと雨が上がったら出発しようって話してたんです。俺たちがいなくなれば漁だってままならなくなるでしょう? だったら近海の主だっていうこいつを倒して、魔物たちを大人しくさせないと……そうすれば俺たちが出て行ったって自由に漁ができる」
「けども……それは勇者様が大陸から魔王軍を追っ払ってくれりゃあ――」
「そりゃあそのつもりです。だけどいつ魔王軍を追い払えるかわからないし、もっと言えばそれが叶わない可能性だってあります。それに――」
ジェイクはリドルの目を正面から見た。
「今でも独り身なのは奥さんのことを愛していたからでしょう? だったら奥さんの仇、とらないと」
その言葉にリドルははっとする。
「勇者様……」
「私だって手伝うわよ。リドルさん、奥様の仇、とりましょう?」
シャルロットもよろよろと立ち上がり、リドルに声をかける。
「ロッテ、大丈夫なのか?」
「多分もう出し切ったはずよ。緑の汁が出たわ」
そう言ってシャルロットがぐっと親指を立てる。
「生々しいんだよ……」
シャルロットの言葉にジェイクは顔をしかめる。しかしリドルの方は彼女の言葉に勇気づけられたようだった。その目に光が灯る。
「――オラ、何したらいい?」
「よく言った、リドルさん――急いでフォグナーの船につけてください」
「でも、半魚人が――」
「射程に入ったら俺が射る。リドルさんはシーサーペント(あいつ)に追いつかれないように頑張ってくれればいいです」
「わ、わかった――その後は?」
「フォグナーさんを乗せて逃げてください。俺はフォグナーさんの船に移って戦う」
「……勝てるだか? 船からじゃ剣は届かないし――」
「勇者らしくないって自分でも思うけど、弓(こっち)の方が得意なんです。俺の腕はもう知ってますよね?」
そう言ってジェイクは手の中の弓を掲げて見せる。それを見てリドルは頷いた。
「――全速で行くから、落ちないように気をつけてくれ!」
リドルは意を決した! 渾身の操船で船を走らせる!
「キシャアアアアアッ!」
リドルがシーサーペントを追い越す形で船を操ったせいで、シーサーペントの標的がフォグナーからジェイクたちの船に変わる。
「ジェイク!」
「わかってる!」
シャルロットの言葉に応えるジェイク――船尾に駆けると、まとめて数本矢筒から抜き早業でシーサーペントに射かけた。
ジェイクの乱れ撃ち! シーサーペントに放たれた矢が刺さる!
「ギャアアアアッ!」
シーサーペントは戸惑っている!
「やった! ジェイク凄い!」
「今だけだ、普段外敵なんていなくて痛い思いなんてしてないだろうから怯んでるだけ――すぐに怒りに変わるさ。リドルさん、今のうちに!」
シャルロットの賛辞にそう返し、ジェイクは船首へと移動――再び矢をつがえ、今度は迫る半魚人たちに狙いをつける。
「任せてくれ!」
応えるリドル。リドルが操る帆は吹きすさぶ風を的確に捉え、船体が軋むほどの速度で半魚人たちに――フォグナーの船に迫る。
そして――
「喰らえ!」
ジェイクの早射ち! 放たれた矢は嵐の中でも半魚人たちの頭を的確に射貫く!
半魚人たちは息絶え、ずぶずぶと荒れる海に沈んでいった。
「フォグナー! 無事か!?」
「――! リドルか? どうして――」
「お前が漁に出たって聞いて勇者様たちと助けに来たんだ! さあ、こっちの船に飛び移れ!」
「けど――」
リドルにフォグナーと呼ばれた漁師は屈強な男だった。リドルよりはいくらか若いだろうか――しかしリドルの言うように卓越した漁師だと窺わせる、そんな海の男だ。
そのフォグナーがシーサーペントに目を向ける。
「あいつからは逃れらんねえ」
「オラたちが逃げれば、きっと勇者様たちがなんとかしてくれる!」
「倒せるのか、あいつを――」
信じられん、と言った様子でフォグナーがジェイクを見る。
「やるさ。まだ死にたくないからな。代りにあんたの船を足場にさせてもらうけど」
「オレの? そりゃ困る。大事な商売道具だ、なんかあっちゃ漁に出られねえ」
そんなことを言うフォグナーに、リドルが怒鳴り声を上げる。
「バカ言うな、漁だって命あってのもんだろう――船になんかあったなら、修理するまでオラと一緒に海に出ればいい! ぐずぐずしてたら――」
「キシャアアアアアアアアッ!」
シーサーペントの雄叫びが轟く。矢で射られたせいか、手下を殺されたせいか――怒り心頭だと言うのはその声音が雄弁に語っていた。
そのシーサーペントが、信じられない速度でジェイクたちに迫ってくる。
「――くっ、勇者様! オレの船、壊さねえでくれよ!」
「善処する」
意を決したフォグナーがリドルの船に飛び移る。入れ替わるように彼の船へ飛び移るジェイク。
「オーケーだ! 行ってください、リドルさん!」
ジェイクの言葉に何かを悟ったリドルは、シャルロットが動くのを待たずに操船を始める。
「な――ちょ、私は!?」
「陸で待ってろ、ゲロ魔法使い!」
「確かに吐いたけど! 不敬罪で捕まえるわよ!? ちょっとリドルさん、なんで――きゃあ!」
「危ねえ! 王女様、どっか掴まってくれねえと――」
荒波に煽られ、船が激しく揺れる。
「ちょっと! 止ってよ! 私も戦うんだから!」
「王女様、勇者様は一人で残るって言ってんだ! きっと王女様になにかあっちゃいけねえって――」
「――なんかあっちゃいけないのはジェイクの方よ! 勇者は私が助けるんだから!」
リドルに操船を止める気がないと判断したシャルロットは唇を噛んで立ち上がった。揺れる甲板を必死に駆ける。
「王女様っ!」
リドルが、フォグナーも手を伸ばすが届かない。助走をつけたシャルロットは船縁を蹴って跳ぶ。
しかし、船は走り始めていた。シャルロットの体はジェイクの乗る船には届かず――
――しかしギリギリのところでシャルロットの細い指が船縁にかかった!
「あー! 落ちる! 落ちる! 助けてジェイク!」
「なにしにきたんだ馬鹿野郎!」
半泣きでじたばたともがくシャルロット。ジェイクは慌てて引き上げる。
「……怖かったー。落ちるかと思った」
「くそ、何してんだよ。もう逃がしてやる暇なんてねえぞ」
シーサーペントが目前に迫り――そしてリドルたちが乗る船はもう走り始めている。
しかしそんな絶対絶命と言った状況で、シャルロットはジェイクを見上げて微笑んだ。
「逃げる訳ないじゃん。私がいたら心強いでしょ? 一緒にいるわよ」
嵐。揺れる船の上。空は暗雲で覆われ薄暗く、海は黒い。
そんな中でシャルロットの笑顔は輝いて見えた。
「……バカがバカやってりゃいい感じに力が抜けていいかもな」
「素直じゃない! しかもバカって二回も言った!!」
「うるさい! じゃれるのは後だ、来るぞ!」
ジェイクは絡んでくるシャルロットを押し退け、シーサーペントに向き直る。
――シーサーペントが襲いかかってきた!
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