第2話 邪神官、弟子を鍛える その5

 多少なりとも魔法を扱えるようになった日の翌日、それまで続けてきた地獄のような授業に変化が生じた。


「もう100周走るのも、腕立ても上体起こしもスクワットも、やんなくていいわ」

「え?」


 その日、リピューテリアが起き出す正午を前に、その全てを終わらせていたクインは素っ頓狂な声を出した。


「え、やんなくていいって、なんでだよ…?」

「目的は達成したからよ」

「目的って…俺が魔力を引き出せるようになったからか?」

「そう。アンタに魔法を撃ち込む必要無くなったでしょ? だから、死なないように身体を鍛える必要はなくなったってわけ」


 この3ヶ月…いや、もう4ヶ月になるか。

 4ヶ月の間続けてきたことを急にやめろと言われても、なんとなく彼は納得いかなかった。彼自身、あれらの時間が有意義だったと納得し始めていたからだ。

 最初は文句をたれていたが、あのトレーニングをすることで、確かに彼は魔法を身に着けた。無駄ではなかった。ならば、続けることで更に自身を成長させられるのではないか? 彼はそう感じていた。


「まぁ、続けたきゃ続けたっていいけどさ」

「なら、せっかく午前中に終わらせられるようになってきたし、もう少し続けてみるぜ。どうせ、次の修行だって正午からなんだろ?」

「次の修行を始める前にアンタがバテてちゃ困るんだけどね…」

「俺の体力は無尽蔵だぜ? 舐めんなよ」

「ああそう。じゃあ好きにしなさいよ」


 リピューテリアは苦笑した。

 その後、ザルクバルクを交えて、次の修行に関して説明が行われることになった。

 前回の修行……生身の人間に魔法を乱れ撃ちするなどという荒行にトラウマを感じているクインが、保険として先んじてザルクバルクを呼んだのだ。


「信用されてないわね~」

「当然だな」

「なんでよ!」


 弟子に容赦なく魔法を打ち込む師が、早々信用されるとは思えなかった。


「それで、次の授業ってのは?」

「次は本格的な魔力操作の修行よ。クイン、アンタは多少は魔力を出したり引っ込めたりできるようになったでしょ? それをどんどん鍛えてくのよ」

「ぐ、具体的にはどうすりゃいいんだよ?」

「座って、目を閉じて、魔力を出したり引っ込めたりするのよ。とにかくたくさん、とにかくずっとね。飲まず食わずで、立ち止まることなく、日が暮れるまで。ただひたすらそれを繰り返しなさい」

「………そ、それだけ?」

「何よ、その反応は」

「いや、正直今までで一番楽なんだが、本当にそれだけか? 急に不意打ちで魔法とか飛んでくるんじゃないか?」

「そうして欲しいならそうしてあげるけど?」

「こ、断る! ま、楽なら楽な方がいいからな…! は、ははは!」


 クインは乾いた笑いを漏らした。

 リピューテリアは呆れた様子だったが、ザルクバルクだけは眉間に皺を作っている。


「本格的な魔力操作の修行ということか。通常の魔術師であれば、この行程が極意とすら言われているが」

「そうね。いくらクインが打たれ強くても、ここで魔力操作精度を上げておかないと、詠唱失敗時の魔力暴発で死ぬかもしれないからね」

「この修業はどこまで行う? 魔術師達はこの修業に5年をかけると聞く」

「そうね…。こいつなら半年程度で大丈夫でしょう」

「大丈夫なのか?」

「やらなくていいって言ってるのに好き好んでマラソンも筋トレもするようなマゾよ。この修業も暇を見つけてやるでしょ。そうすりゃ精度は上がってくわ。魔力操作に関しちゃ、やればやるだけ身につくもの。地道に2~3年も続けてりゃ一端の魔術師にゃ追いつく。仮に追いつけなくたって、後方支援で治療魔法を使うだけなら、深刻な問題にはならない。そりゃ、狂竜と戦ってる最中に魔法使えって話になったら別だけどね」

「なるほど」

「要するに俺次第で高みにいける修行ってわけか?」

「大雑把に言えばね。本当に無尽蔵に体力あるなら、寝ずにやったっていいわよ」

「筋力ではなく魔力の基礎トレーニングと言ったところか。確かに、通常の魔法の修練であれば、走り込みなどせず、こちらを優先するのだろうな」

「この魔力操作訓練のあと、魔力の総量を高める訓練をするわ。それでクインの魔力がどれだけ伸びるか次第だけど、遅くとも2年以内には、治療魔法を習得できるでしょうね」

「2年…」


 クインはぼんやりとつぶやいた。それが余りにも長い修業の時間だと億劫に感じたのか、それとも余りにも短いと感じたのか、その意図を汲まぬまま、リピューテリアは言葉を付け加える。


「クイン、以前アンタには才能ないって言ったけど、前言撤回するわ。アンタには才能がある。治療魔法の才能じゃあないかもだけどね」

「な、え!? ど、どうしたんだよ!? なんで急に褒めだすんだよ…!? リア、何か変なもんでも食ったのか!?」

「たまには素直に褒めてやったってのにその言い草!?」


 リピューテリアは抗議の声を上げるが、クインもザルクバルクも冷ややかだった。普段からそうして素直に褒めてやればいいものを、修行中、彼女はクインをおちょくることしかしないからだ。


「しかし、予想以上に短いな。魔術士になるつもりならば10年は下積みではなかったか?」

「手っ取り早く治療術士を作りたいんでしょ? なら好都合じゃないかしら?」

「好都合だ。さすがは《司教》。貴様に依頼してよかった」

「うぇへへ~、もっと褒めていいわよ~?」


 そういうことで、クインの修行は次の段階へと進んだ。

 魔力操作、身体の奥底に眠る魔力という力を呼び起こし、操るための技術。それは、人が楽器の指運びの使い方を覚えるように、ただ繰り返し動かすことで、精度を高めるものであった。

 故に、クインは日課として決めた長距離走と筋力トレーニングを午前中で終わらせた後、夕食までの時間を、全てこの魔力操作の修行に充てることになった。

 彼は、孤児院の野外に設けられた木箱の上に座し、目を閉じて、厳しい鍛錬の果てに習得した【魔力盾】を何度も、何度も繰り返し行使する。

 ひたすら、ただひたすら。

 しかし、開始して3時間、彼はこの修業もまた、自身が思っていた以上の苦難であると身を持って知ることになった。

 魔力操作をしていた所、突然意識が酩酊し、バチンという音と共に魔力の盾を纏っていたはずの指があらぬ方向へと弾かれ、感じたことのない痛みに悲鳴を上げた。


「あ、雑にやったわね。折れてるわよ、それ」

「はぁ…!?」


 クインの悲鳴を聞きつけてやってきたリピューテリアは、汗だくで藻掻くクインを診る。彼女の指摘通り、彼の指は、本来曲がることのない場所が曲がるはずのない方向に曲がっていた。


「詠唱失敗ってやつね。しかもただ失敗したんじゃなくて、使うはずだった魔力が暴発してそうなったのよ」

「こ、こんなことになるのかよ…」

「雑に魔力を扱うとこうなるってことよ。鍛えててよかったわね。下手したら指が無くなってたかもしれないわよ」

「………」

「あれ? 怖くなった?」

「ば、馬鹿野郎! 怖くなんてねぇよ!」


 恐れを感じていないと言えば、それは嘘だった。

 魔法使い見習いになったと喜び勇んでいた彼は、ここで初めて自分の扱う力の恐ろしさを体感していた。一歩間違えば、全てを失う力なのだと。

 しかし、逆を言えば、リピューテリアが幾度となく打ち込んできた魔法は、彼に致命的な負傷を追わせることはなかった。意識を刈り取られることはあっても、死の危険を感じることはなかった。

 ”敢えてそれができる”ということは、それはすなわち彼女の魔力操作精度の高さを証明していた。


「…お前、俺に魔法を打ち込んでた時は、ちゃんと手加減してたってことかよ」

「そりゃそうでしょ…。私がマジでやったらアンタ、抵抗の余地無く死ぬわよ。ほら、シャレアみたいに」


 肉腫に覆われていたシャレアは、この3ヶ月で杖を使って歩けるようになるまで回復していた。声も出るようになり、簡単な言葉なら発せられるようになっていた。

 今も、ザルクバルクが面倒を見ている。

 杖をつきながら、ゆっくりと歩くシャレアの傍らを、ザルクバルクが歩き、介助をしていた。


「……。今までちょっと疑問に感じてたんだけど。もしかしてアイツ、ロリコンなのかしら?」

「ロリコンってなんだよ…?」


 時々、この邪神官はよくわからないことを言う。そして、本人は分かっていてもそれをほとんど他人に説明しない。

 

「ま、いいわ。それよりほら、指、治ったわよ」

「いつのまに…」


 あらぬ方向に曲がっていたクインの指は、いつの間にか元通りになっていた。


「ただバカみたいに全力で出し入れするだけじゃダメよ。ミスしそうだと感じたら、無理をしないこと。魔術師にとって最悪なのは、魔法を使えなかったことじゃなくて、魔法の行使に失敗して二度と魔法を使えない状態になることよ。覚えときなさい」

「……わかった」


 指が治ったクインは、再び、魔力操作精度を高める修行に戻った。

 クインが修行を再開したのを見て、リピューテリアも少し離れて、瓦礫の一つに腰を下ろす。


「アンタに才能あるってのは、マジな話なんだから。少しは期待させなさいよね」


 そして誰にも聞こえぬように、そう呟いた。

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