第5話・騎士への道

 まず視えたのは曇り始めた空だった。自身を呼び起こした耳鳴りのような音に辟易しながら、地面を探す。空を見ていたのだから、反対側だ。そんなことさえ考えながらでなければ覚束ない。

 やっとの思いで地面を見下ろしながら、ぎしぎしと言う全身を駆使して立ち上がろうとすると、今度はめまいでも起こしたようにもやがかかっていることに気付いた。

 遅れて目を覚ました内なる声が「早く起きないと面倒になるぞ」と告げたので、そのままなんとか二足歩行に移行する。


 革の帽子が命を拾ってくれたのか、そう思いながら揺らぐ光景に自分と同じような動作で立ち上がる者がいる。

 立派な兜に、剛健さを感じる鎧と体躯。運悪く、ラックの突き出していた槍に馬が驚き、跳ね飛ばされてしまった騎士だった。


 周囲は阿鼻叫喚の混乱状態だが、この人物だけはマイカードゥリアンの騎士だとラックは思う。こんなにも歴戦を感じさせる鎧姿は今までに見たことが無かったからだ。

 ラックが錆剣を抜くと、示し合わせたように相手も剣を抜いた。二人はそうするのが当然のように刃を噛み合せた。視界は相変わらずぐらついているが、動きは互いに正確。戦争の中でここだけが呆れるほどに公平だった。



「農民風情が……!」



 一撃で切り伏せられるはずの相手が、そうはならなかったことに相手は怒っているようだった。しかし、ラックの方はそんな精神的余裕は無い。ラックは他流派と戦うのは初めてなのだ。

 ラックの錆剣で刃こぼれや折れるのを嫌がったのか……騎士は力比べを止めることにしたらしい。


 二撃目。無造作に放たれた豪剣を、ラックが撃ち落としてそのまま体に当てようとした。騎士の顔には驚愕が浮かんでいたが、すぐさま引き締まる。


 次はラックが振り上げるように斬りつけた。容易く防がれるが、ソレが狙いでありそのまま剣をスライドさせていけば、騎士は身をよじり躱した。

 ここまでくれば騎士もラックが剣士であることを認めざるを得なかった。これは戦の中で稀に発生する空白の一騎打ちなのだ。



「貴様、名は?」

「……ヤヌック農場のラックです」

「ふん。我が名乗りを聞くことを光栄と思え、マイカードゥリアンのサー・マドリッチだ!」



 再び開始される剣戟。マドリッチは横柄で高慢なだけの騎士ではない。現実を受け入れるだけの度量があり、状況を理解する頭があった。

 豪剣の質が変わる。なるべく早く・・・・・・ラックを殺すための無駄のない動き。侮ってではなく、相手を崩すための激しい剣だ。


 現状、マドリッチには時間がない。乱戦から撤収するのに遅れてはならないからだ。それを焦るなというのも酷だろう。遅れても敗れても死ぬのだ。可及的速やかにラックを排除しなければならないのだが……ラックの剣は異国の舞踏のように回転し、防御が固い。

 そこらの寄せ集めの中にラックがいたことがマドリッチの不運であった。ラックに自覚など無いが、彼の剣才は優れている。マイカードゥリアンの剣術にもう適応し始めていた。


 激しい打ち合いはラックの剣が防を重く用いているからだ。回転するような動きの“乱戦の中での一騎打ち”という歪な剣術。どこかで見た覚えがある……そう考えた瞬間、マドリッチの太ももが裂けた。ラックはまるで地面に吸い付くような低い体勢で回転する。

 マドリッチは己の運命を受け入れた。



「ふん……見事」



 次の回転が跳ね上がり、首を狙っている。それを鈍化した時間の中で見守りながら、これが相手では仕方がないというような顔でマドリッチは首を刎ねられた。

 せめてもう少し切れ味の良い剣を使え、と思いながら……



「兜と……耳……」

 


 勝者であるはずのラックは戦功を示す部分を切り取った。ぶにょぶにょしているのに硬い感触に己の所業を思い知る。初めて人を殺めたのだ。だが、だからこそ立ち止まってはいられない。

 マドリッチの持っていた鋭い剣を手にして、幽鬼のようにラックは辺りを回った。



 結局、この戦いではマイカードゥリアンの騎士たちは不幸にも落馬した者を除いて、徴募兵たちをなぶりに来ただけであった。近隣の都市の応援なぞこんなものだということを印象づけるための襲撃。

 実際、ロンスタッドの兵達は肌を撫ぜられたような接触だけで縮み上がってしまっている。彼らの示威攻撃は実に効果的であった。ロウファーの兵達の士気はこれぐらいでめげたりはしないが、それでも頭数は必要なのだ。



 徴募兵達は皆が沈んでいた。ろくに訓練を受けていない自分たちの末路がどういうものか……まざまざと見せつけられたのだ。

 それでも他の領主達の兵が到着するまでは士気を保っていてもらわなければ困る。ということで、生き残った兵には食料が大盤振る舞いされた。死んでしまった者達の分を減らさないでいるだけで勝手に大盛りとなるわけだ。これでも防衛側としてはそれなりの無理ではあるのだが。

 そして、もう一つそこまで懐が痛くない恩賞もあった。騎士マドリッチをの首をあげたラックへの身分である。



従騎士エスクワイヤ? なんだ、それ」

「騎士見習いのことだとか……」



 ラックは生き残っていたカンリグと共に、地べたに座りながら話し合っていた。長話のソルーンは帰らなかったので、カンリグとラックは同郷の友情を共有することにした。



「従騎士になって数年間、どこかの騎士に仕えるか……馬とか甲冑を用意できたら騎士になれるんだそうです。相手から奪うにしても、馬なんて乗ったこと無いのに」

「騎士に仕えるってなんだ。騎士が領主様に仕えてるんだろ? つまり……」

「使いっぱしりでしょうね。それはまぁ……良いのかな? 騎士の使いっぱしりって何するんでしょうね」



 至って呑気な風であるラックだが、そもそも農場での生活自体が使いっぱしりであるからだ。親なしとして雑に扱われているのにも慣れていた。



「お前は初めが悪かった分、釣り合いは取れてるような気もするが……貴族様の仲間入りか」

「負け戦の神輿でしょう? 大体、水飲み騎士だとか農夫よりひどい気がしますが……戦功がこれ以上無ければ一代限りでしょうし」



 うーん、と二人して唸る。男にとって名誉は欲しいが、実際の扱いがひどいのでは目も当てられない。素直に武功を示した感状を貰って、農場に帰らせてくれた方がありがたい気がするのだ。

 カンリグも一度の戦いで男ぶりをあげたのか、以前のように荒くれ者のような雰囲気はなくなり、静かになっていた。余裕があるというべきか、ラックにも悋気よりも憐れみを感じているようだった。徴兵で終わりではなく、ラックはこの先も戦いが続くのだ。

 もっとも、現在の戦いを生き残らなければ、お話にならない。その状況は二人も変わっていない。運に任せている現状は変わらないと考えていると、少し汚れたダブレット姿の男が近づいてきた。



「ラック殿でしょうか?」

「ああ、はい。僕がラックです」



 だらしないところを見せただろうか? 腰を上げながらラックは一度気にしたが、そもそも従騎士という職についたばかりで、特有の礼儀など何も知らない。できるだけ丁寧に受け答えすればいいだろうと思い切る。



「貴方様の騎士が決まりました。サー・ハルという御仁で、尖塔の上の方に住んでいらっしゃいます。お召し物をこちらに変えて、従騎士としての務めを果たすようにとのことで」

「どうも、ありがとう」



 厚手の鎧下と拍車の付いた靴を渡される。ラックにとって様付けや、誰かの上に立つような言い方はどうにもむずむずさせられた。

 本来なら従騎士の前にペイジという小姓を務めて、礼儀作法を学ぶのだがラックはそこを飛ばしているので、呼びに来た者と二人揃って奇妙な空気になってしまう。



「カンリグ、また会いましょう」

「おう。そっちは立派になれよ」



 カンリグも武勲を上げて自分と同じ思いをしないかな。そう思いつつラックは召使の後をついて行った。



 

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