第4話・到着

 いよいよ明日はロウファーへと出発する日だ。


 カンリグと生き残る方法についてあれこれ検討してみたが、二人共戦に出たことなどないため実りは無かった。このカンリグが予想外に“良い人間”であったため、他の者にも話しかけてみたが、ラックの思うところ彼らは不幸にどっぷりと浸かっていてそれどころでは無いようだった。

 そこで長話のソルーンに捕まってしまったのが良くなかった。一見、愛想が良さそうなこの男が徴募組に選ばれた理由をラックはようやく理解できた。彼の話は時系列や場所を無視したもので、相槌を打つのにも苦労するのだ。


 緊張とソルーンの長話で眠る気分になれなかったラックは、ソウズ老人から貰った錆びた剣をぼうっと眺めていた。

 元は儀礼用だったのだろうか? 幅広で長さは長剣に届かない程度の刀身には、サビの向こうに文様のような装飾が見れる。

 思えば不思議な剣だった。これほど赤茶けているのに、ソウズとの試合でも欠けたことは無い。昔はよほど良い剣だったのだろうが、ソウズがこれを手入れしていなかったということは意外だ。あの老人は自分の剣の手入れは欠かしていなかった。

 ラックもなんとかサビを落とそうとしたことがあったが、全て徒労に終わった。

 方向性は違えど、これはこういう剣なのだと思うことにしたのだ。ラックは王侯貴族でも無ければ騎士でもないので綺麗な剣など必要なかった。

 剣について考えていると、ラックはいつの間にか眠りに落ちていった。



「出っぱぁーつ!」



 日が昇り、しばらくするとロンスタッドの派遣軍隊長ががらがらした大声で命令を告げた。ロンスタッドの兵達は多くが家族を残していくので、涙が出るような光景がそこら中で溢れていた。

 老いた母や恋人に妻と、誰もが無事を祈られて、涙を振り切り歩き出す。


 一方で、そんなものと縁がない徴募兵達は少しばかり惨めな思いをしながら最後尾をついて回った。

ラックの隣を歩いているのは別の場所から連れてこられた徴募兵で、ラックは彼らの言葉を注意深く聞くことができた。

 大小はともかく、一人はどうやら前回の出兵に出たことがあるようだった。もう初老に見える男は鼻水をすすりながら話していた。



「いつもそうなんだが」



 ぶぴぃという鼻水の音で一旦話が中断された。



「今、俺達がしている惨めな気持ちを、ロンスタッドの兵たちも味わうことになるぜ。国境にいる兵達は心構えからして違うからな。兵士の中の兵士達だ。こそ泥を追いかけるのが精々の連中とは違わぁ」

「そんなに違うものかね」



 少しだけ若い男の返事に訳知り男は、勿体ぶった様子で頷いた。



「ロウファーはマイカードゥリアンだけじゃなく、モンテグリニアとも国境を接しているんだ。うちの国はモンテグリニアとは仲が良いが、それでも備えて置く必要があるからな。ロウファーにいる兵士達はロンスタッドの兵たちを鼻で笑うだろうさ」

「そいつらが俺たちを守ってくれるのなら、こっちも兵士達を笑えるんだがな」



 確かにその通りだった。ロウファーの精鋭達は国を守るためにいるのであって、哀れな徴募兵を救うためにいるわけではない。

 死にたくないことを自覚したラックはこうした話に耳をそばだて続けた。周囲の木立が変わるわけでもない地味な時間が過ぎ去っていった。


 ひたすら歩くという行為に不満を抱いたのは意外にも兵士達の方からだった。徴募兵達は辛抱強く、そして意味のない作業にさえ慣れていた。勿論、徴募兵達がろくな装備が無いことが原因だったが、幸いにも誰かが徴募兵達に従士よろしく武器を持たせようと考えつくまでになんとかロウファーの地へとたどり着いた。


 ロウファーの町自体はロンスタッドを堅固にしたような物に過ぎなかったが、集合地点はロウファーの街から西にあり、多くのテントが並び立っていた。

 途中で聞いた通り、ロウファーの兵士達は雰囲気がまるで違っていた。顔に傷がある者も多く、概して寡黙であり、念入りに武具の手入れをしていた。彼らの鎧は傷だらけで、ロンスタッドの兵士達は確かに気圧されていたがロウファーの兵達はそもそも援軍に頼る気などさらさらないように見えた。



「次」



 同じように素っ気ない官吏の前で、ラック達は並ばされ名を記録された。そして革製の帽子と胸当てに木の槍だけ渡されて通された。その名簿が死者の台帳になることは誰の目にも明らかだった。


 しかし、ラックは革の防具を身につけると、初めて短剣をプレゼントされた少年のようにやる気が満ちてくるのを感じた。

 ようやく休めると座り込んだ同胞達を尻目に、ソウズ老人から教わった剣の振り型を鍛錬していると不思議と注目されていることを感じた。



「おい、お前。剣を習ったことがあるのか?」



 話しかけて来たのはいかにもな古強者といった男で、その逞しさはラックをあっさりと絞め殺せるような体躯の持ち主だ。



「はい。本人は引退してたという風でしたが、近所の老人から稽古をつけてもらっていました」

「ふーむ。どこかで見たような型だが……どれ」



 その男の豪腕に付いている手のひらでラックは太ももや背中を叩かれた。全身を震わせるが、痛みは感じなかった。



「倒れないか……よく鍛えられている。随分と良い師だったらしいな。見せかけの肉じゃなく、実戦を想定している」

「そういえば、ずっと地味な稽古でしたね。型を教えて貰ってからも振り棒は無くなりませんでした」

「面白いな……槍はお前には似合わん。俺の部隊で死ぬ気はないか?」

「いえ、無いです」



 とんでもないことを言う人だなと思っている間に、脳裏に展開したのは打算と誠意だ。

 おそらく自分はとても光栄な誘いを受けている。正式な兵士にならないかと誘われているのだから、厚遇だろう。


 だが、それは同時に死ぬまで戦うことを義務付けられるということでもあった。生きている限り戦えるほど覚悟が決まっているわけでもないラックは、それを受ける資格は無いと考えただけだ。

 故郷にそれほど未練が詰まっているわけではないが、全て捨てられるかと言われれば違う。なら彼らの仲間になるのは、彼らに不義理だ。



「そうか……欠員の補充になると思っていたのだがな」

「誰かと一緒に剣を振ることも習っていませんし、徴募兵ですから」

「気が変わったら、いつでも話してくれ」



 話しかけた時と同様にあっさりと踵を返す男。多分、名のしれた戦士というもので、自分はそれと話す機会を得たのかも知れないとラックは思った。


 そんなことがありながら、とうとう次の日の朝日が昇った。

 微妙に物足らない量の豆のスープを食らうと、整列させられ木の棒を片手に握って閲兵を待った。全ての列を強面の兵士が回り終えると、ランシアの国旗が掲げられた。青に星の紋章だった。

 それと反対側にロウファーの青に楽器の紋章が立ち上がる。そして自分たちの近くには紫色とベルの紋章が上がった。ロンスタッドの紋章だが、こう並ぶとロンスタッドだけ仲間外れのようで、ラックは少し可笑しく思った。


 閲兵が終わってしばらくすると、向こう側から土煙がもうもうと湧き上がった。きっと向こうも威勢のよいところをみせるんだろうな、とラックは考えた。

 こっち側だってそうしたのだから、向こうもしないと喧嘩に負けたようになるだろう。そう考えるのはごく自然なことで、ラックのような善良な若者にとって戦争は喧嘩の延長線上にあったのだ。



「槍を構えろ」



 誰かがそう言った気がしてしばらくしてから、土煙を出しているのは相手側の馬だということがわかった。次いで、旗も見えた。黒字に黄金の角が4つ並んでいる。



「槍を構えろ!」



 強気な口調にラックは思わず従った。構えるといっても、槍を下げてふんばるだけだ。

 そんなハリネズミのような威嚇をあざ笑うように……敵国マイカードゥリアンの黒鉄に身を包んだ騎士たちがどんどん近づいてきた。


 自分の下げた槍が馬にめり込むのをみてから、ラックは大きな耳鳴りを聞いて、しばらく暗闇に包まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る