第6話・正しい間違い

 一旦野営地を離れて、ロウファーの街へとラックは戻った。

 道中は馬だったが、ここで幸いしたのは案内役の召使が馬の乗り方を教えてくれたことだった。自分の馬を飼えるのは随分と先のことになるだろうが、ともあれ無様さは減るだろう。


 ロウファーの街も物々しい雰囲気だった。騎士たちが野営地に向かうところに出くわしたが、あと数日早ければどうなっていただろうかと想像してしまう。その場合、ラックは単純な青年のままでいられたかもしれない。

 街の中も兵や彼ら相手の商いをする者たちで一杯だった。敵に素通りする気がない場合、次に狙われるのは当然にこの街だ。国境沿いの街というだけあり、一般人の男達も腹を据えたような目つきの者が多い。


 そんな慌ただしさの中とは言え、城に入れるというのはラックにとっても、中々に心踊る体験だった。領主の間などには入る機会は当然無かったが、尖塔は城に繋がっていた。常に控えめなラックだが、年相応の感覚が無いわけではない。感情を顔に出さないことに長けているだけだ。


 しかし、塔とはいえ城に部屋がある騎士とは一体どんな人物なのか。冷静に考えると騎士に会ったことすらないので、想像は膨らんだ。

 結論から言うとサー・ハルはラックが想像していたような騎士ではなかった。背筋はまだ伸びてはいるものの、素手でへし折れそうな老人だった。



「まぁよく来た。戦時は騎士爵がばらまかれるからのぅ」

「はい。まだ従騎士ですが……」

「んんん分かっておるよ。儂はこう見えて多くの優秀な騎士を育ててきた。といっても今代のお館様になってからはとんと忘れ去られていたが、まだ覚えておる者もおったらしいなぁ」



 そういった後に部屋の隅から椅子を持ってきて勧めてくれる。変わった老人と縁があるな、そうラックは思う。この人物には身分差などをある程度無視できる人物のようで、随分と奇特な人柄だ。



「すいません。こちらがしなければならないことを……」

「なに、人前でなければ構わんさ。さて、従騎士の仕事じゃが……主人の武具を手入れすることが一番多い。後は荷物持ちやらじゃな。甲冑を着せたりもするが……今の儂では文字通りに骨が折れるじゃろうなぁ」



 老人のとぼけるような言葉にラックは微笑みを返した。なるほど、適当にこの老人が選ばれたわけではないようだ。要は何もするような事はない。つまりへまをする機会もないということだ。

 負け戦の中で平民が従騎士まで成り上がったという事実が必要で、その人物が次に死んでいたら割りに合わないと思われるかもしれない。

 事実上、戦場から遠ざけられたわけだ。



「なにか、後ろめたいので仕事はしっかりと覚えたいと思います。武具の手入れや身の回りの世話ですね。教わることが多そうです」

「お前さん、変わっておるなぁ。なら、甲冑とはいかんが古い胸甲をやろう。へこみを後ろから叩いて直し、油を引く。その鎧下の上に付ければ、まぁ平民とは思われんよ」



 錆の落とし方などまで、しっかりと教わる。サー・ハルは喋ることが好きなようで、仕事の最中にも色々な思い出話をする。おかげでラックは時折、意図して集中しなければ鎧を拭くことさえしくじりそうになった。



「それにしてもお前さん、立派な剣と一緒に錆びた剣も持ち歩いているのはどういうことなんじゃ」

「これは剣術の先生がくれたもので、捨てられないんですよ。それに錆びてボロボロなんですが、えらく頑丈なんです。どういうわけか、斬れますし」

「ふぅん……錆は落ちんのか。何か、曰く付きの代物やもな」



 まさか魔法の剣ではないだろうが、ソウズ老人の錆剣は不思議な剣であるのは確かだった。生きて帰ることができれば返そうと思ってもいた。



「そういう不思議な物というのは、時折あるものよ。儂の二番目の盾も、矢が当たったことは一度もない。魔法なぞあるわけもないが、運が付いている武具は確かにある。そういうことなら大事にしたがよい、よい」



 ソウズ老人、カンリグ、サー・ハル、と出会いには恵まれているラックの従騎士としての勤めは平穏で始まった。

戦地が近いと言うのに穏やかに従騎士としての仕事を覚えていくラック。だが、彼も全く問題を起こさなかったわけではない。



「おい、そこの新入り。ここの鎧も磨けよ」



 にやにやと笑っているのは同じ従騎士のようだった。近くに控えている騎士が咎めないあたり、城でも良い身分なのだろう。

 しかし、ラックはそういった職分に関しては極めて頑固だった。



「それはあなたの仕事で、あなたの主人は僕の主人ではありません。ご自分でどうぞ」



 自分で言っておいてラックは驚いていた。ここが農場であるなら普通に手伝っただろう。だが、今のラックにはサー・ハルという主人がいる。その道理が自然に口から出たらしい。


 案の上、横柄な青年は怒り狂い何を言っているか分からない。そして若者特有の向こう見ずさで決闘を申し込んできたが、ラックはここで間違った。



「はぁ別にいいですよ。そちらの騎士様と2対1ですね。わかりました。まだ今日の予定も残っていますから、今すぐでよろしいですか?」



 ラックは別にふてぶてしい訳ではないが、時折こうした問題を引き起こす。親なし子として生まれた彼は端的に言って自分の命を軽く見ているところがあった。それでいて生きぎたなさも持ち合わせているため、他者から見ればひどく不気味で挑発的に見える。

 相手が謝ると思っていた青年は泡を吹くような調子で決闘に応じた。たまらないのは一緒にいた騎士である。従騎士相手に2対1など、それだけで不名誉にも関わらず気がつけば巻き込まれていたのだから。

 騎士は懸命に若者をなだめて、まず自分から行くと納得させた。少し冷静になった若者は忍耐を取り戻し、いかにもな余裕を取り繕った。


 そこでまたラックは間違った。

 騎士を相手にしたラックの感想は「遅い」というものだった。ソウズ老人やサー・マドリッチのような鋭さが全く見られない。

 そして、勢い余って剣を弾き飛ばす際に相手の腕を思いっきり切り裂いてしまったのだ。


 痛みの叫びがあがったことで野次馬が集まってくる。



「えーと、まだやりますか?」



 悪い意味で雰囲気をぶち壊すラックの言。騎士に答えられる余裕は無かった。そのため青年に向かって更に余計な一言を言い放った。



「じゃあ、次はそちらからどうぞ」



 国境沿いにあるだけあって、血の気が多いのだろう。見物客達は若い従騎士がもたらす血に歓喜していた。

 ところが、青年は顔を青くして逃げだしてしまったのだ。落胆と嘲笑の声が飛び、ラックはちょっとした有名人になってしまった。


 問題は二人もの家に傷がついてしまったことだ。

 ランシア王国は古い国家であるため決闘裁判も野蛮なところがある。お守りをしていた騎士は、年下の従騎士に負けたことで大きく名を損ねた。青年の方に至っては決闘から逃げだしたので、不名誉者の烙印が付くことになり、貴族としての未来を閉ざされた。



「まぁ、問題ばかり起こしたのう……」

「すいません。言われた通り、名誉を第一にしたのですがやりすぎてしまったようです」

「うーむ」



 サー・ハルとロウファーの貴族は頭を抱えた。法律的にはラックには何の問題も無いのである。しかし、大昔の決闘法に則っての話だ。立会人こそいないものの、青年が逃げたところは大勢の人々が見ている。

 ラックの人生は奇妙な方向に走り出したが、それはロウファーへの新しい風でもあった。


 

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