第2波襲来! 問題ない。私の尻穴は鉄壁だ。
サキュ美はすまし顔でこちらを見ている。込み上げてくる怒りを抑えて私も平然と答えた。
「もしかしてずっと私を見ていたのかな」
「そうよ。自尊心たっぷりのエリート様が腹痛で悶え苦しむなんてこと、めったに見られるものではないでしょう」
「君、ずいぶん悪趣味なことをしてくれるじゃあないか。でも残念だったね。腹痛は完治した。所詮魔族は勇者には勝てないのだよ」
「あら、戦闘はまだ継続中よ」
「どういう意味だ」
サキュ美がスマホを取り出して操作を始めた。口パクをしながら画面を叩く。なるほど。電車内での度を越した会話はマナー違反。しかもプライベートな内容だ。続きはスマホで、というわけか。そう言えば昨晩ライン交換をしたんだったな。私もスマホを取り出す。
『あなたの体にはすでに第2陣が潜入しているのよ。屈強の魔族で構成された精鋭部隊がね』
そんなメッセージが表示されている。第2陣? 何のことだ。ハッタリか?
『つまらない負け惜しみは止めたまえ。素直に敗北を認めるのなら今回の
『あら、まだ気付いていないの? さっき香水みたいな匂いがしたでしょう』
『ああ、ひどい匂いだった。電車に乗るのならもう少し考えて香水を選びたまえ』
『あれは香水じゃないわ。感染性魔族を凝縮させた有毒ガスなの。製薬会社で働いているあたしの友人が作った特別製。異世界のマンドラゴラが配合されていてね、大部分は肺に入らずそのまま胃へ直行。5秒で十二指腸へ到達し吸収されることなく1分で小腸を通過。大腸に入ってからは駐留する兵士たちを殲滅しながら毒素をばらまき、直腸に到達する頃には猛烈な便意で勇者を苦しめるってわけ』
読んで顔が青ざめた。なんてことだ。この女、どこまで私を苦しめれば気が済むのだ。
「うぐっ!」
スマホを落としそうになった。何の前触れもなく猛烈な便意が私を襲ったのだ。先程の第1波とは比べものにならぬビッグウェーブだ。
『効いてきたようね。ふふふ』
最後のふふふは文字と音声のダブル嘲笑だ。万事休す!
だが私は勇者。抜かりはない。もらった小瓶は1本だけではないのだ。我が友人は何もかもわかっているという顔をしてこう言ってくれた。
「ああそうそう、君は全てにおいて慎重だから予備の分も合わせて2本プレゼントするよ。さあ受け取ってくれ」
さすが長い付き合いだけのことはある。私の性格をよく理解してくれているようだ。
友人に感謝しつつ上着の内ポケットに手を伸ばす。そこに予備のエリクサーが入っている、はずだった。
「なにっ!」
ない。小瓶がない。すぐさまサキュ美を見る。驚愕と絶望が同時にやってきた。サキュ美の右手には小瓶が握られていたのだ。
『もしかしてお探し物はこれ? ざんねーん! さっき電車が停車して人の流れができた時、ドサクサに紛れてあたしが盗んでおきました』
「く、くそっ!」
ここまで卑劣な女だったとは。うう、腹の痛みがさらに激しくなってきた。
――ぎゅるぎゅるぎゅる。
先程飲んだエリクサーの残存兵が魔族と死闘を繰り広げているのがわかる。しかし彼らに残されている戦闘力では数分もせぬうちに全滅してしまうだろう。
(落ち着け。まずは深呼吸だ)
もはや魔族の殲滅は不可能だ。となれば次に重要なのは如何にしてこの便意を耐え抜くかだ。駅に到着しトイレに入るまで耐えられればこの戦いは嫌でも終結する。勝利とは言えないまでも敗北したわけではない。忍、この一文字に全てを賭けよう。
『薬などなくても平気だ。私は耐えてみせる』
『あら、今度はあなたが負け惜しみ? どこまで意地を張れるかじっくり観察させてもらうわ』
大丈夫、私の尻穴は鉄壁なのだ。そう、あれは得意先の接待で料亭に行った時のことだ。接待の相手はひどく酒癖が悪かった。酔っぱらうと誰彼かまわずカンチョーを食らわすという、とんでもないオヤジだった。もちろん私にも仕掛けてきた。
「カンチョー!」
だが私の尻穴は鉄壁だ。
――ゴキッ!
「ぎゃあああー!」
哀れにもオヤジの両人差し指は骨折してしまった。それ以後そのオヤジは二度とカンチョーをしなかったと伝え聞いている。
(弱気になるな。己の尻穴を信じろ! 魔族の猛攻も必ず防いでくれるはずだ)
――ぐぎゅうううー。
腹がうめき声を上げている。く、苦しい。尻穴は鉄壁でも腹の痛みは耐えがたいものがある。腹に意識を集中していてはダメだ。気を紛らわせよう。楽しかった子供のころを思い出そう。
小学校の授業中、今と同じように便意を催したことがあった。あの時はどうやって危機を脱したんだっけ。そうだ、魔法の呪文を唱えたのだ。「先生、トイレに行ってもいいですか」この一言で全てが解決した。なんだ、簡単なことじゃないか。よし、言おう。
「先生、ト……」
バカ! 私は何を言っているのだ。ここは学校じゃないぞ。先生はいない。いるのは車掌だ。言い直そう。
「車掌さん、ト……」
アホ! 車掌にそんな申し出をしてもどうにもならんだろう。この電車にトイレは設置されていなんだぞ。
『とうとう思考回路までおかしくなってきたみたいね。お気の毒さま』
サキュ美がにやにやしながら私を眺めている。確かに意識が混濁し始めているような気がする。呼吸が乱れて息が荒い。額に脂汗が滲み出ている。まずい。なんとかしなければ尻穴を閉じたまま失神してしまいそうだ。
(何かないか。この腹痛を押さえる手立てはないか)
スマホを操作してネットで情報を探る。便意を催した時に効くツボを発見! 直ちに試してみる。手の甲の
とにかく押しまくった。鼻に唾をつけると便意が収まるという眉唾みたいな情報もあったがそれもやってみた。溺れる者は藁をもつかむの心境である。
(おや、少し痛みが和らいだような……)
努力はしてみるものだ。激痛が鈍痛へと変化した。病は気から。イワシの頭も信心から。プラシーボ効果。イワシでも偽薬でもツボでも効くと思えば効くのである。次の駅到着まで5分ほどか。これならなんとか耐えられそうだ。
『あらあらツボのおかげで楽になったみたいね。つまらないなあ。それじゃあ、えいっ!』
「がはっ!」
サキュ美のメッセージを読み終わらないうちに腰椎周辺に激痛が走った。振り向くと、いつの間に回り込んだのだろう、サキュ美が私の背後に立っている。
『な、何をしたんだ』
『あなた、下痢に効くツボを押しまくっていたでしょう。だからあたしは便秘に効く秘孔を突いてあげたの。サキュバス一族に伝わる奥義、肛門括約筋弛緩拳。あなたの尻穴はもう死んでいる』
「うぐおお!」
あり得ぬ。私の意思とは無関係に鉄壁の尻穴が緩み始めているではないか。このままでは私の尻穴は突破され、増殖した魔族どもが私の腹だけでなく車内をも蹂躙してしまう。平和な通勤電車の風景は悲鳴と悪臭に満ち溢れた地獄絵図へと化してしまう。そしてその時、私の社会的信用は地に落ちるのだ。
「はあはあ、はあはあ」
もはや満足に呼吸もできぬ。立っているのもツライ。全神経は尻穴に集中しているが、それもまもなく限界のようだ。
『さてと、そろそろあたしはここから離れようかしら。匂いが服に付いたら大変だもの』
人ごみの中、サキュ美がゆっくりと遠ざかっていく。私は覚悟を決めた。
(こうなったらあれしかない)
これだけは使いたくなかった。だが背に腹は代えられぬ。乗客の視線は気になるが今はそんなことを言っている場合ではない。
「ふん!」
両足を交差させて大殿筋をぴっちりと密着させた。詠唱を開始する。
「不破の盾と無敵の鎧をまといし至高の者、今こそ我に力を貸したまえ。顕現せよ、守護女神シリアナ!」
言い終わるやいなや私の肛門括約筋は一瞬で硬直した。成功だ。守護女神シリアナが私の尻穴に降臨したのだ。
『あら、いいのかしらシリアナなんか召喚して。どうなっても知らないわよ』
魔族のくせにサキュ美は知っているのか。守護女神シリアナ。守備においては絶大な防御力を誇るが存在するだけでHPを消費する。そしてHPが0になった瞬間、強制的に爆裂魔法を放って自滅するのだ。そうなれば尻穴は全開放の状態となり車内は大混乱に陥るだろう。
『問題ない。シリアナのHPが0になる前に便器を見つければいいのだからな。電車は間もなく駅に着く。余裕で耐えられるだろう』
メッセージを打っているうちに電車のスピードが落ちた。これなら大丈夫だ。
(さあ早く止まれ。ドアよ開け。私を便器に座らせろ)
すでに勝利を確信していた。長かった戦いにもついに終止符が打たれるのだ。だが、予想もしない事態が発生した。前に立っていたおっさんが私の手を取って叫んだのだ。
「いや~ん、この人チカンよ!」
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