エンケラドス・サブマリン

嶌田あき

エンケラドス・サブマリン(1)

 出汁濃度および麺選択における志向性に端を発する冷戦――通称〈きつねたぬき戦争〉――は、25世紀初頭には世界規模に拡大していた。大地溝帯フォッサマグナを境に日本列島を二分。乾麺みたいにこんがらがって固まった対立に、技術覇権を巡る2大国の緊張が熱湯のように注がれ、冷戦はまたたく間に膨れ上がっていた。

 宇宙開発、AI、ゲノム編集、半導体、量子コンピューター。威信と存続をかけた競争の舞台は一周回って宇宙開発へと舞い戻り、熱量の矛先は月、火星、木星、土星に、そして今やここ土星の衛星エンケラドスにまで達していた。


「そろそろかしら……。副長、現在位置は?」


 分厚い氷の下に広がる真っ暗闇の内部海を航行中の潜水艦。その発令所で、艦長のミドリが長い髪からひょこりと丸耳を立てて尋ねた。


「海底の重力場形状によると、南緯64度、東経138度――目標水域と思われます」


 副長のツツミがふわふわに整えられた前髪をかきあげながら応える。

 前世紀に実用化された人獣合成技術により、世界はケモ耳をもつ人々で溢れかえっていた。イヌ、ネコ、ウサギ、ウマ――。当初は興味本位で様々な動物種との合成が試みられたものの、現在では宇宙開発競争に向く種としてイヌ科の動物、とくにキツネとタヌキが定番化した。

 これは〈妖怪化〉と呼ばれるDNAレベルの若返り現象により、ヒトの平均寿命を遥かに越える長期間の太陽系内探査ミッションに耐えられることによる。


「ソナーに反応は?」


 ミドリの質問に、水雷長のブンブクが信楽焼みたいな体をふるふると小刻みに震わせながら「ありません」と画面から目を離さず応えた。


「女狐めっ。なかなか尻尾をつかませないですね」


 ブンブクが不満そうに腹のあたりをポンと叩くと、その音で反対側に座る機関長が驚いてぴくりと耳をたてた。

 冷戦構造の東側はタヌキを、西側はキツネを人獣合成に利用するという純技術的な背景から、東西の鍔迫り合いは〈きつねたぬき戦争〉と呼ばれるようになった。東側陣営が調査のために送り込んだこの潜水艦の乗組員は、ミドリら士官を含めて全てタヌキベースの人獣で、みんな丸いケモ耳をもつ。対するは西陣営は皆キツネのような鋭いケモ耳をもつ。


「もう少し様子を見ましょう。どうせ、あちらさんの目当ては分かってるんですし」


 ミドリは耳を前後左右に傾け海中音に気を配りつつ、長い髪を耳にかけた。

 妖怪化遺伝子の性染色体上の発現に性差がある関係で、宇宙探査にかり出されているのは全て女性である。この事情は西側でも同じようだ。

 ミドリがブンブクをなだめつつ、機関長の丸い背中に機関停止を命じようとしたちょうどその時、

 

「艦長っ! 量子ソナーに反応。距離3000」水雷士からの声。

逆演算処理アンコンピュテーション。エンタングル切って。パタン照合。急いで!」


 ミドリに急かされたブンブクはキーボードを弾き


「フォックス級! KTN78。赤です」と不満そうに叫んだ。


紅狐レッドフォックス!? こんなところで何を……?」


 ツツミがショートボブの髪をがしがしとかきながらぼやいた。


「艦長、どうします?」ブンブクの鼻息が荒い。今にでも魚雷をぶっぱなしたいと言わんばかりだ。


「赤いキツネがお出ましとは、ただ事じゃないわね」


 ごくりと生唾を呑むミドリ。水雷士がヘッドフォンを付けたまま振り返った。


「魚雷発射管、注水音っ!!」

「猪口才な――もといっ、狐口才なっ!」ブンブクがコンソールをドンと叩く。 


「水雷長、落ち着いてっ! 相手はズル賢いキツネよ――なにか裏がある!」

「魚雷発射音! 数2!」

「艦長、一体?」

「動いたら負け。動いちゃだめ! この距離では有線はないわ。こちらは無音航行中だったから音響誘導でもない。これは――化かしあいね。上等じゃないっ!」

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