第8話 縮まらない距離
俺は付き合ってから一カ月以上経っても、彩先輩のことは彩先輩と呼んでいる。
呼び方を変えるきっかけもなかったし、変えようという話も上がったことはなかった。
向こうも啓介くんという呼び方は変わっていない。
カップルってどのタイミングで呼び方を変えるのだろう。
いや、俺たちは呼び方どころか手を繋いだりキスしたりということすらなく、一緒に帰ったりデートしたりを繰り返している。
これではいけないと思いつつもイマイチきっかけがつかめない。
そんな感じで今日も彩先輩と途中まで一緒に帰っている。
「ふぅー。今日も疲れたね」
先輩が伸びをしながら俺に話しかける。
「葵が入ってからマネージャーも忙しそうですもんね」
「うーん。そっちはむしろ楽になったんだけどね」
「ん?じゃあ何が大変になったんですか?」
「それは……啓介くんの方が大変だと思うんだけど……」
「?」
一瞬何かあったかと考えたが、なるほど。
部活が忙しいとかではなくて。
「みんながからかってくることですか?」
「そう!それだよぉ」
葵が部員の前で俺をからかったことをきっかけに、何やら俺たちをイジるムードができてしまった。
そして同じクラスのサッカー部員もからかってくるものだから、クラスでもからかわれるようになり、やがてそれは全校に波及した。
「くそっ。葵のやつめ。あいつが余計なことを口走らなければ……」
そう。
なぜだか話題に上がらなかった俺たちがこんなになってしまったのは葵の発言がきっかけだ。
「葵ちゃんのことは葵って呼ぶんだね……」
不意に先輩はそう呟き遠くを眺めた。
これは呼び方を変えるチャンスではないか。
けれども先輩の名前はなかなか口から出てこない。
「……あ」
「ところで、葵ちゃんとは幼馴染なんだよね?」
完全にタイミングを逃した。
「そうですよ。小学校くらいまではよく話してました。しかも家は今も隣」
「へぇー。あるんだね。そんなの」
「あいつは昔から説教臭くて、その割に結構抜けてて」
「あー、なんとなくわかるかも」
「よく忘れ物はするし。なんだか放っておけなくて」
「この間も帳簿忘れてきたって教室まで走ってったけ」
「直ってないな」
「ふふっ。でもそういうところがかわいいよね」
そう言ってほほ笑む先輩の笑顔はとてもかわいかった。
男子からの人気も頷ける。
なぜこんな人が俺に告白してくれたんだろう。
あのとき二つ返事で受け入れてしまったが、それは正しかったのだろうか。
「それにしても、今日ちょっと冷えるね」
先輩は少し手を大きく振ってみせる。
「たしかにもう秋だし、一日曇ってましたしね」
俺の答えになぜか少し不服そうな顔をする。
「そうだね」
そこからはお互い無言のまま分かれ道にたどりついた。
「じゃあ、また明日ね」
「はい。また明日!」
去っていく先輩を見送る。
先輩も見えなくなるまで、歩きながら何度かこちらを振り返った。
先輩が見えなくなると、俺は再び帰路についた。
最後の間はなんだったのか。
考えながら一歩一歩足を前に進める。
「あなた、ほんとにバカね」
突然真横からした声にびっくりしてのけぞる。
「なんだ、お前かよ」
電柱の陰に居たのは腕を組んでこちらを見ている葵。
「冷えるって言って手を振ってるんだから、手くらい繋ぎなさいよ」
「あ!あれそういうことか!」
「今気づいたの?」
「いや、だって分からないだろ。そんなこと」
俺がそう言うと葵は、はぁーというため息をついた。
「普段は優しくて気が利くくせに、意外とこういうところはダメダメなのよね……」
彼女は再びため息をつく。
だが本音が少し漏れていた気がした。
「ほぉ。俺は優しくて気が利く、のか」
お互いに目が合う。
葵の顔がみるみる赤くなっていく。
「ち、違うわよ。別にそれを言いたかったんじゃなくて!」
「俺がダメダメだって?」
「そうよ!だからっ!」
「でも本音が漏れちゃって……いてっ!」
足をゲシゲシと蹴られる。
「もうっ!ほんとバカ」
「いてぇな。蹴ることはないだろ」
蹴られたところについた砂を払う。
「ってか後からつけてたのか?」
そもそも彼女はなぜここにいるのか。
「帰ろうとしたら前にあなたたちがいたのよ」
「で、ついてきた?」
「そんなつもりはないわよ。でもあなたと帰る方向一緒でしょ?」
「まぁな。でも盗み聞きはよくないぞ」
「そのつもりもない。でも会話に割って入るのもどうかと思うじゃない」
「それもそうか」
「そうよ」
こう言ってはいるが、仮にも幼馴染だ。
弟を心配するように、俺のことも気に掛けてくれているのだろう。
葵は昔からそうだった。
そういうことは一切言わないけれども。
「で、俺を尾行してた感想は?」
「だからっ!」
尾行じゃないと否定しようとしたが、面倒になったのかそのまま続けた。
「啓介らしくない話し方。気持ち悪い」
「うっ」
これは薄々感じていたことだ。
「お前にもわかったか」
「普段と明らかに違うもの」
「先輩かわいいし、なんか緊張するんだよな」
「もう少し私にも緊張感を持ってもいいのよ?」
「緊張してるよ。さっきみたいに蹴られないように」
葵は目を細め、眉間にしわを寄せて俺を凝視する。
「とにかく、もうちょっと打ち解けなさいよ」
「どうすればいいんだよ」
「それは……自分で考えなさいよ」
「はぁっ!無責任な!っていうか葵は誰かと付き合ったことあるのか?」
「つっ!」
言葉にならないような音を発して再び赤面する葵。
「あれあれ?恋愛経験ないのにアドバイスをくれていたのか?」
悔しそうにこちらを睨んでくる。
その姿に意図せず笑いが込み上げてきた。
「あはははっ!」
「何よ!バカにしてるの?」
「いやぁ」
目から溢れてきた涙を拭う。
「葵とは気楽に話せるな」
「もう少し気をつかってくれてもいいけどね」
「でも中学の時はこうして話せなかった。だから……」
俺は葵の方を向く。
「またこうして話せるようになってよかった」
視線が合った葵は目をぱちくりしていた。
そして少し視線を逸らす。
「それは、わ、私も……」
何か言いかけた葵だったが……。
「啓にいちゃん!姉ちゃん!」
遠くで手を振っているのは葵の弟の俊太だ。
「おう!俊太!」
俺も手を振り返す。
「すまん、何か言ったか?」
「いえ。なんでもないわ」
「?」
俊太がダッシュでこっちへ向かってくる。
「俊太、今帰りか?」
「うん。友達の家行っててさ!」
夕日が沈み、辺りは一段と暗くなってきた。
もう日が暮れるのも早い。
俺たちは3人で話しながら家へ向かう。
そう、昔3人で遊んだ帰りのように。
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