第7話 変わりゆく日々

「啓介くん、ちょっといい?」

 部活の後で彩先輩に呼ばれた。

「今ですか?」

「うん。ちょっとでいいから」

 そう言うと少し恥ずかしそうにくるりと向きを変えて歩き出す。

 俺はそんな後ろ姿を見ながら後をついていく。

 部員たちがいるところから少し離れた倉庫の裏へやってきた。

「どうかしました?」

 付き合って以降、タイミングを見計らって話をすることがあるが、こんな裏へくることは珍しい。

「次の日曜日、部活休みでしょ?一緒にどっか行けたらいいなと思って」

 これは、デートのお誘いだ!

「行きましょう!俺たち一緒に帰ることはあっても出かけたことはなかったですし」

「そうなの!最近部活も忙しかったしね。ここ最近あんまり話せていないでしょ?じゃあ細かいことはまた連絡するね」

 去っていく先輩の綺麗な髪を見ながら、俺はしばらくにやけが止まらなかった。

「いつまでそうしてるのよ」

 不意にかけられた声にドキリとした。

 その声は聞き覚えがあるどころか聞き覚えしかない。

 壊れかけた機械のようにギギギと首を声がした方へ向けると、これまた見覚えのある顔が。

「あ、葵……」

 倉庫に寄りかかり、腕を組んだ葵がゴミを見るような目で俺を見ていた。

「ふーん。先週の朝からどこか上機嫌だったのはそういうことね」

 冷え切った声が心に刺さる。

「いや、隠そうとしたわけじゃないんだ。ただ……」

「別に。あなたの恋愛事情は私には関係ないわよ。その気味の悪い顔の意味も分かったことだし」

 何とも酷い言い様だ。

「よかったじゃない。可愛げのある女の子らしい彼女ができて」

 その言葉はどこかで聞き覚えがあった。

 そう、あれは中学で葵との仲を疑われた時のこと。

「あの言葉……覚えてる?」

「さぁね。何のことだったかしら。彼女にするなら葵なんかじゃなくてもっと可愛げのある女の子らしい子にする、とか言っていたことは覚えてないわよ」

 これは随分と根に持っている。

 俺の額に冷や汗が滲む。

 何と返したらいいかと迷っていると葵はクスクスと笑い出した。 

「冗談よ。あの発言であの時は私たちが付き合ってるって噂は消えたんだから。あの発言で、ね」

 笑ってはいるが目は笑っていない。

 こんな顔が一番恐ろしい。

 確かにあの発言で噂が消えたこともまた葵にとってはかなり不服だったはずだ。

 だが、葵は下を向いてため息をつくと俺の方を向き直した。

 その顔は同じ笑顔でも、先ほどとは変わって優しさに満ちた目元だった。

「ま、そんなことはともかく、彩先輩大事にしなさいよ。私はまだ知り合ったばかりだけど、すごくいい人なんだから」

「言われなくたってそうするさ」

「ほんとにぃ?デートだって誘ってもらっているじゃない。その調子じゃ告白も向こうからでしょ?」

「うぐっ。ってか、どこから聞いてたんだ」

「どうかしました?ってところからね」

「最初からじゃねぇか」

「しょうがないじゃない。倉庫で荷物漁ってたら二人が来ちゃったのよ」

 中学からあまり話さなくなった葵だが、こうして話していると昔の感覚を思い出す。

 葵がサッカー部に入ったということは、必然的にこれから話す機会も増えていくのだろう。

「ま、お幸せにね」

「ちょっと待て」

 俺は頭に不安が過り、葵を呼び止めた。

「何よ」

「このこと他の人には……」

「このことって、日曜のデート?」

「いや、それもそうだけど、彩先輩とのこと」

 葵の目がまん丸になって、突如噴き出して爆笑し始めた。

「あははははっ」

「なっ!なんだよ!」

「もしかして彩先輩とのこと知られてないって思ってるの?」

「いや、いつかは言おうと思っていたけど……まさかばれてる?」

「ばれてるどころか全校で噂になってるわよ」

 俺は絶句し、その様子を見た葵がさらに笑う。

「なんで……」

「なんでって、部活中もあれだけ近くに寄って二人で談笑してたら気づくわよ」

「そんな……。彩先輩とこの間まだ二人だけの秘密にしようって言っていたのに。バレたのはその後か?」

「まぁいいんじゃない?それだけ二人だけの空間にのめり込める関係っていうのも。お似合いじゃない」

 そう言う葵はどこか悲しそうな顔をしていた気がした。


 それから数週間後、葵がサッカー部に入って一か月が過ぎた。

 この一か月で部活動を取り巻く環境は劇的に変化した。

 どれもこれも葵が入った事が原因だ。

 まずは備品がきれいになった。

 今までビブスは一週間以上使いっぱなし。

 一定期間経ったらまとめて洗濯していた。

 夏場には臭くなってから洗濯ということが多々あった。

 それが今では毎回使ったものだけ回収して洗濯している。

 こうすれば毎度洗濯しても使うものがないということはない。

 ビブスに首を通すときの、臭いでおえっとなる感覚がなくなった。

 そしてボールもきれいだ。

 泥で汚れたものも次の日にはピカピカ。

 さらには古い備品の置き換えも進んだ。

 これは経費の管理がしっかりされたことも影響している。

 今まで部費の滞納があっても取り立てられることはなかったが、葵はきっちり回収した。

 そのお金がきちんと有意義に使われているわけだ。

 今まで人手不足に加えて、こうした管理が苦手だった彩先輩と原田ではできなかったことだ。

 しかし、彼女らがサボっているわけではない。

 二人はタイム計測など練習のサポートに徹することができ、役割分担ができた格好だ。

 だが俺にとって一番影響があったことはそういったことではなかった。

 あれは葵が入って二週間経ったころ。


「じゃあ今日はこれで終わりにしようと思うが……」

 その日もキャプテンが練習の終わりを告げようとしていた。

 俺は彩先輩に顔を向けると目が合った。

 俺たちはこの後一緒に帰る約束をしているのだ。

 皆に知れ渡っているようだが付き合っていることが話題に上がることはない。

 俺はともかく彩先輩はからかいづらいからだろうか。

 裏では彩先輩をからかっているらしい原田も、皆の前で話題にすることはない。

 お蔭で俺たちは今まで通りに部活ができていた。

「誰か連絡事項はあるか?」

 キャプテンが聞くが、この日は誰も言うことはなかった。

「では解散の前に俺から一言」

 さっきも練習のことで話をしていたので、何なのだろうと耳を傾ける。

「桜木が入ってちょうど二週間になる。慣れない環境だろうけどよく仕事をこなしてくれている。俺の部費も先程きっちり回収されたしな」

 部員たちはこれを聞いて大笑い。

 葵も一緒になって笑っている。

「そこでそんな桜木に二週間マネージャーをやってもらった感想を聞いてみたい。どうだ?桜木」

「え?私ですか?」

 少し動揺した葵に全員が注目する。

「えーっと。男子が圧倒的に多いですし、正直最初は不安しかなかったですけど、仲のいい部活で馴染みやすかったかなと思います。これからもよろしくお願いします」

「それはよかった。ところで、これ変えたほうがいいんじゃないかとかあるか?」

 キャプテンが葵に聞く。

「変えたほうがいいところ?うーん。部費の滞納をはじめ、いろいろあるとは思いますけど、それを変えていくのも私の仕事だと思うので、これからもあったら直していきたいと思います。キャプテン、また相談させてください」

「おう。他は?」

「特にないですけど。皆さん真面目に練習してるし……あっ!」

 何か思い出したように手を合わせた。

「どうした?言ってみ?」

「ほとんどの人は真面目に練習しているのに一人だけ不真面目な人がいまして」

「ほう」

「その人は練習中、彩先輩の近くを通るたびにニヤニヤして立ち止まるんです。誰とは言いませんが」

「誰なんだろうなぁ。なんてやつだ」

 キャプテンがそう言いながら俺の方を見ると、部員たちは爆笑し始めた。

 彩先輩は顔を真っ赤にして俯いている。

「そういうのは練習終わってから存分に楽しんだほうがいいと思います」

「あははは。そうだなぁ!練習終わってから存分に、だな!」

 キャプテンが再びこちらを凝視して、皆が笑い出す。

 そしてバシバシと俺の背中や肩を叩き出す。

「あー!もうっ!わかったから!」

 必死に叩いてくる手を払いのけながら俺は葵を見た。

 あいつはしたり顔でこちらを見ていた。

 次の日から俺や彩先輩はしばらく部員たちにからかわれることになった。

 それどころではない。

 学校中で声を掛けられることになってしまった。

 どれもこれもあいつのせいだ。

 よくもやってくれたな!

 葵!

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