第5話 揉み消した気持ち

 葵をサッカー部のマネージャーとして誘っておきながら、私はそれについて自問自答を繰り返していた。

 誘ったのは自分の利益のためではないのか。

 マネージャーをするとして、彼女は楽しく過ごせるのか。

 朝練中もずっと考え続け、今教室へ向かって廊下を歩いている。

「どうしたの?智子」

 不意に私の視界に顔を覗かせる先輩。

「先輩はどうやって啓介をゲットしたのだろうかって考えているんですよ」

 そう言うと彼女は頬をプクーっと膨らませて怒ったポーズをとる。

 だがこの姿を前にすれば、誰であったとしてもかわいいという感想しか思いつかないだろう。

「もー!そうやってからかって!」

 私をポコポコと叩く。

 けれども全く痛くない。

 これが葵だったら一発強烈なやつをお見舞いされたであろう。

「すみません。攻略なんてしなくても、そのかわいさでどんな男でもゲットですね」

「そんなことないもん」

「で、啓介のどんなところに惚れたんです?」

「絶対言わない!からかうもん!」

 再び頬を膨らませ、そっぽを向く。

 言わないということは、惚れたところがあるということだ。

 先輩は啓介に惚れている。

 葵をマネージャーに引き入れれば、先輩を不幸にするかもしれない。

 こんなに優しくて尊敬できる先輩に対して、私がしようとしていることは正しいことか。

 先輩がよくあるヒロインの恋路を妨害する悪役のような人間だったら、葵も少しは救われただろうに。

「……どうかお幸せに」

 私にしては弱い声で呟く。

 先輩は突然の言葉に一瞬きょとんとする。

「あ、ありがとう」

 こちらを向いてそう言うと再びそっぽを向いた。


 覚悟は決まった。

 今日はやけに教室の扉を開けるのが重い。

 葵はいつも通り席に座って読書をしている。

「おはよ、葵」

「おはよう、智子」

 葵は突然首を傾げた。

「どうかした?」

「調子悪い?」

「調子?私が?」

「うん。なんかいつものアホらしさがないのよ」

「アホって……」

 相変わらず言葉に容赦がない。

「大丈夫ならいいけど」

 読んでいた本に栞を挟む。

「あ、そうそう。例のマネージャーの件だけど」

 その言葉にドキリとした。

「私、やるわ」

「え、ホントに?」

「何よ。嬉しくないの?」

「いや、嬉しいよ」

「本当に?」

 目を細め、疑いの目で私を見る。

 私は思わず目を逸らす。

「ほらっ!何か隠してる!普段通りじゃないのもそれが理由でしょ」

 頷くと葵は顔を緩めた。

「言ってよ。怒ったりしないし」

 優しい口調でそう告げた。

「あのさ、知ってると思うけど、啓介と彩先輩はサッカー部なんだ。それって葵にとっては酷なんじゃないかと思ってさ」

 私の三嶋に対する考えまでは言えなかった。

「なんだ、そういうこと」

「え?」

「私は部内で誰と誰が付き合っていようと気にしないわよ」

「!?」

 どうやら葵は自分の気持ちを封印するつもりのようだ。

 これはよくない手だ。

 こうやって自分の気持ちをなかったことにするのは彼女の常套手段だ。

 止めようとするが、彼女は再び口を開く。

「それに、あの後三嶋くんと啓介にも誘われたのよ」

 驚いた。

 啓介もそうだが、三嶋にまで誘われるなんて。

 ということは、逆に葵をマネージャーにせずにサッカー部から遠ざけたほうがいいのではないかという考えが瞬時に頭を駆け巡る。

 決めた覚悟が瓦解していく。

「マネージャーという立場ではあるけど、私もサッカー部に入って、彼らを応援する中でいろいろ経験したい。そこに智子がいるなら尚更」

「そっか」

「どう?」

 私を見つめる瞳は微妙に揺れている。

 それは凛として考えが揺るがないように見える彼女の中にも葛藤があることを物語っていた。

「いいんじゃなーい?言ったでしょ?私も一緒にやりたい」

「そう」

 そんな素っ気ない返事とは対照的に嬉しそうな葵の目を、私は真っすぐ見ることができなかった。


「ぐおぉぉぉぉ!」

 部活中に人気のない倉庫裏で奇声を発しながら、私は頭を抱えて座り込んだ。

 本来葵がいろいろ考えた上で一番いいと思う選択をしてほしいはずなのに、自分の気持ちが抑えらえない。

 考えが堂々巡りではっきりとしない。

「こんなの私らしくない……」

「いや、原田らしいぞ」

 誰もいないはずの真横から声がして、私は盛大に尻もちをついた。

 サッカー部はどうやら休憩時間に入ったらしい。

「み、三嶋!」

「やぁ、原田」

 座り込む私に手を差し伸べる。

 俯きながらその手を掴むと、三嶋がぐいっと引っ張って私は立ち上がった。

「ど、どこから聞いてた?」

 恐る恐る聞く。

「ぐおぉぉぉぉ!って変な声から」

「げっ!最初からじゃん……」

「そう。そんな声出すのは原田しかいないだろ?」

「それで私らしい、か」

 私のことを分かってもらえているのか、バカにされているのか。

「ま、みんな悩みを抱えているもんだよ。そのとき一生懸命考えたんなら、後から間違った選択をしたと思っても仕方なかったって思えるもんだ。そうやって反省して次に進んでいくんだよ」

「へぇへぇ。ご親切にありがたいご説教をどうも」

「で、頭を抱えて何を悩んでたんだ?」

「それは秘密でーす」

「そっか。また気が向いたら聞かせてくれよ。じゃあ僕は行くよ」

 そう告げてグラウンドへ戻っていく。

 三嶋は悩んでいる私を否定しなかった。

 そして悩みもあえて深掘りしない。

 そんなさりげない優しさを前から持っていた。

 私は中学の頃を思い返す。


 三嶋とは中学が一緒だった。

 とはいえ中三で同じクラスになるまでは、その存在自体よく知らなかった。

 成績優秀なガリ勉メガネの学級委員長。

 三嶋の第一印象はそんな感じだった。

 だからサッカー部だと知ったときは驚いたものだ。

 当時は葵のように常に一緒に居る友達がいなかった私は、今の交友関係よりも大分広く、初対面の三嶋ともクラスメイトとしてたまに話すくらいの間柄にはなっていた。

 そんなある日、私は休み時間に進路の話をしているグループの会話に入り込んだ。

「おーおー、悩める季節ですなぁ」

「智子はどうするの?進路」

「私か。私はここだ!」

 私は第一志望の高校とその合格可能性が示された紙を見せた。

 その評価はかなり厳しい。

「全然ダメじゃん!」

「ってか東高って一番難しいじゃん」

「いやいや、甘いな。これはまだ私の実力の一割にも満たない。私の真価は直前に発揮されるのだ!」

「アホっぽい」

「なにぃ!」

 こんなくだらないやりとりをしている毎日が好きだった。

 こんなくだらないやりとりができる友達が好きだった。

 放課後にあの会話を聞くまでは。


 私は当時バスケ部に所属していた。

 その日の部活終わりに、自主練を終えて部室で着替えていると外から何やら声が聞こえてくる。

 どうも裏にある違う部活の部室から声が漏れているようだ。

 私は珍しく耳を澄ます。

「ってか智子ってあの進路マジで言ってんのかな」

 まさかの自分の話題が出てくるとは思わず、心臓が飛び跳ねた。

「さぁ。いくらなんでも無理じゃないの?本人気にしてなさそうだけど」

「わかる。悩みなんてなさそうだよね」

 荒くなる息を慎重に抑える。

 話しているのはさっき話していた友達だ。

「っていうか智子って男子と話すときもあの調子じゃん。あれが普通なの?」

「案外狙ってやってたりして」

「うわぁ。それなら幻滅。ってかああいう感じのモテそうにないのにね」

 そこから先は遠くへ行ってしまって聞こえなかった。

 下着姿でしばらく茫然としていた私は制服を着るとフラフラと部室を出た。

 だが体育館の裏で力尽きてうずくまる。

 本当は進路だってすごい思い悩んでる。

 男子の人気取りのために男子と話してるんじゃない。

「うっ、うっ」

 怒りなのか悲しみなのかよく分からない感情とともに、私は涙をこらえられなかった。

「大丈夫?」

 不意に声を掛けられて顔を上げる。

「三嶋?」

「うん」

 涙を拭って笑顔を作る。

「へへっ。変なとこ見られちゃったな」

「何かあったの?話聞くよ」

「……いい」

「え?」

「いいって言ってんの!」

 私は私自身を制御できなくなっていた。

「いつも調子乗ってるくせに、こいつ泣いてるって思ってるんでしょ」

「そんなことないよ」

「どうだか……」

「ごめん、ちょっと思ってたかも」

「へ?」

 三嶋はポケットに手を突っ込み、ゴソゴソと何かを探している。

「お詫びも込めて、これあげるよ」

「は?」

 その手元にはペロペロキャンディーが。

「どういうこと?」

「舐めてたらちょっとは元気になるかなって」

「……あはっ!ふははははっ!」

 笑いが抑えられなくなる。

「今度はどうしたの?」

「だって!否定しないし!お詫びにペロペロキャンディーって!あはは!」

 今考えるとよく分からないが、当時の私はツボにハマった。

「まぁ元気になったならいいけどさ」

 三嶋は少し恥ずかしそうに呟いた。


 私はその日あったことを三嶋に話した。

「そんなことがあったのか」

「うん」

「まぁあんまり気にしない方がいいと思うよ。彼女らも原田を嫌っているわけじゃないと思うし」

「そうかな」

「まぁ確かに想像つかないよね。普段あんなに能天気な原田が体育館裏で泣いて……いててててて!痛い!」

 私は三浦の頬をつねった。

「それ以上は言うな!」

 大きく頷いた様子を見て解放する。

「いてて。こういう原田も初めてだ」

 そう言うと穏やかな笑みを浮かべる。

 それを見て少し胸の中がざわつく。

 再び頬へ指を近づける。

「ちょっとちょっと。何この手は」

「何かムカついた」

「なんだよそれ」

「あ、あとこのこと他の人には……」

「言わないよ」

「ありがと」

 体育館裏には夕日が差し込んでいる。

「高校のことだけどさ」

 三嶋が再び話し始める。

「僕は西高へ行こうと思うんだ」

「西高?東高受けられるんじゃ?」

「そうなんだけど、サッカー続けたいし西高の方が塾近いし、大学受験の現役合格は西高の方が良かったりするんだ」

「そうなのか」

「偏差値高い学校行くのもいいけどさ、そこで何がしたいかも大事じゃない?まぁ参考にしてくれれば」

「私じゃ西高ですら参考にならないけどなぁ」

 その後、私は勉強を頑張って何とか成績を上げてギリギリで西高へ進学した。

 結局何がしたいとかはなかったが、何となく。

 三嶋がいたからなんてことはない。

 サッカー部のマネージャーになったのもなんとなく。

 あいつがいたからなんてことは絶対ない。

 ……と思う。

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