第4話 意図せぬ策略

 翌朝の朝練の後、教室に入ると見覚えのある後ろ姿があった。

 私はそれに近づくと頭を後ろから抱きしめた。

「会いたかったよ!マイハニー!」

 本を読んでいた葵は少し嫌がる素振りを見せる。

 でも本当に嫌がっているときはこんなものでは済まない。

「体調は大丈夫なの?」

「うん。こんなに強く抱きしめられてなかったら、さらに元気だったはずよ」

「そっかそっか。それはよかった」

 さらにいけると踏んだ私はもっときつく抱きしめる。

 案の定それ以上の抵抗は見せない。

「心配したんだよ?返信もなかったし」

「ごめん。昨日は寝てた」

「ううん。無事ならいいよん」

 寝込むほど落ち込んでいたのは心配だが、今のところ大丈夫のようだ。

「ところで、原因は何だったの?もしかして昨日なんか言われたこと?」

「そんなこともあったわね。忘れてたわ。さぁ。疲れかしらね?」

「ふぅん」

 やはり昨日の体育が始まる時のおかしな様子が寝込む原因ではなかったようだ。

 ここで誤魔化した葵に核心をついてみる。

「啓介?」

 ビクッと肩を震わせると葵の動きが固まる。

 後ろから僅かに覗かせる耳が徐々に赤くなっていく。

 葵は突然立ち上がって振り向くと、その顔は真っ赤だ。

 ビンゴ!

「ち、違うから!何よそれ!」

 冷静さを欠いた葵は大声で私の言葉に反応した。

 教室中の視線が私たちに集まる。

「ご、ごめん。みんなも騒いでごめんね」

 クラスの人たちに謝りつつ葵を席に座らせる。

 葵は席に座ると険しい顔で机を凝視する。

「ごめんてー。機嫌直して」

「そんなんじゃないから」

「わかった。わかった。とりあえず何か言われたことが原因じゃなくて安心した」

 安心したのは本当だ。

 葵は普段の態度から誤解を生みやすい。

 素直に言葉を言えないだけで中身はこんなに素直な子なのに。

「ふーん。でもそうかぁ。葵が啓介をねぇ…」

「だから…むぐっ!」

「ほらほら。また注目されちゃうぞー」

 私はまた大声を出しかけた葵の口を塞ぐ。

 ここまで動揺しているのは見たことがない。

 おもしろいのでもう少し粘ってみることにした。

「ぷはっ。だから…そんなんじゃないから」

「そんなんってどんな?」

「それは……」

「私は啓介って名前を出しただけだけど?」

「とにかく!変な詮索はするんじゃない!」

「はいはい。分かりましたよぉ」

 とりあえず今はここまでか。

 続きはそのうち聞くとしよう。

 それに今日はあの件も言っておかなくてはならない。

「ところで葵。相談があるんだけど」

「何?変なことじゃないわよね?」

「疑り深いなあ、もう」

「日頃の行いの結果よ」

 そう言う葵は私をジト目で見ている。

「おー!こわっ!」

「で、相談って?」

「それが、サッカー部のマネージャーを増やそうって話してて。葵やらない?」

「なぜ私に?」

「葵と一緒にできれば楽しいと思ってさ」

「そう……」

 この言葉に嘘偽りはない。

 真っ先に一緒にやりたいと思い浮かんだのが葵だった。

 放課後も一緒に過ごして一緒に帰ることができたら嬉しい。

 けれども今はそれだけではないかもしれない。

 啓介のそばに居たら彼女のどんな姿が見られるのか……。

「本当の理由は?」

 一緒にやりたいというのは本当の理由だが、あえておもしろそうなので煽ってみる。

「そりゃ、葵を啓介のそばに置いといたらおもしろいだろうと……いたたたたっ!痛い!痛い!」

「まだ言うかっ!」

「ごめん!ごめんて!っ!ギブ!ギブ!」

 こめかみへのグリグリに抵抗していると人の気配を感じた。

 葵を避けようと下を向いている私の目に入ってきたのは、スリッパから覗く特徴的な五本指ソックス。

「お、三嶋!おっす」

 こんな靴下を履いているのはコイツしかいない。

 なんでも指が蒸れなくて快適なんだとか。

「おはよう、原田。それに桜木さんも」

「おはよう」

 そういう二人はどこかぎこちない。

「桜木さん、昼休みにちょっと話せる?」

「うん」

「じゃあまた呼ぶから」

「分かった」

 去っていく三嶋をしげしげと見続ける。

「何だ?あいつ。話って」

「それは……」

 ここで私はピンときた。

 昨日も葵の名前を出したらどこか様子がおかしかった。

「さては!昨日何か言ってきたのって三嶋か!」

「えーっと」

「おのれ!愛しの葵をけなしやがって!成敗してくれる!」

 三嶋に原因があるなら話は簡単だ。

 連れてきて土下座でもなんでもさせよう。

 そして葵のかわいさを分からせてやるのだ。

「待って待って!三嶋くんはそこまで悪くないというか……」

 ん?三嶋ではないのか?

「……と言うと?」

 葵は昨日あったことを説明してくれた。

 どうやら葵が注意した男子が陰口を叩いていたようだ。

 それをさりげなくフォローしたのが三嶋。

 たしかに葵は美人でスタイルが良く、普段強がっているが故に不意に見せる弱さはとんでもなくかわいい。

 さっきまで三嶋に葵のかわいさを分からせてやると意気込んでいたが、それが分かっているとなると急に胸の奥がチクリと痛みを覚える。

「フムフム。三嶋はそう言っていたのか。……キモイな」

「いや。まぁ否定はしないけど……」

「ぶはっ!否定はしないけど!あはは」

 少しホッとする。

「でも、悪いのは三嶋くんじゃないし」

「まぁね」

 でもどこか胸の奥にモヤモヤしたものが残るのは確かだ。


 その日の放課後の部活で、私はボーっと練習中の三嶋を眺めていた。

 三嶋は啓介のような目立ったプレーは少ない。

 ドリブルやシュートで観客を魅了する啓介とは対照的に、マークから外れた選手へ正確にパスを繋ぐのが三嶋の特徴だ。

 彼のお陰で啓介のようなプレーヤーまでボールが行き渡るのだ。

 彼は日常生活においても周囲をよく見ている。

 ケガをしていそうな部員を発見してよく面倒をみているし、私たちマネージャーが手一杯の時に手伝ってもくれる。

 そんな彼だから、葵の魅力にも気づくことができたのか?

「……そういうことだよな?」

 もし三嶋が葵に気があるとしたら?

 でも葵は啓介を……。

 だとしたら葵が啓介を想っている限り、二人は結ばれない。

 葵がマネージャーをするとしたら、関わらざる得ない啓介への想いは断ち切れないワケで……。

「いかんいかん」

 私は頭を振った。

 そんな意図で私は葵をマネージャーに誘ったんじゃない。

 私は変なことを考えないように一心不乱にボールを磨くことにした。


 ちょうど休憩時間に入った頃、ボールを磨き終わったついでに空気を入れることにした。

 倉庫に空気入れを取りにいくと、そこにいたのは啓介と彩先輩だ。

 何を話しているかは分からないが、二人は仲良く微笑んでいる。

 これを見ていると、リア充め!爆発しろ!と言っている人の気持ちがよく分かる。

 そこで私はふと気づいた。

 葵がマネージャーになったら啓介どころか彩先輩とも関わることになる。

 それは葵にとってあまりにも酷すぎやしないか。

 私は葵を困らせるためにマネージャーをさせようとしているのでは?

「いやいや。そうじゃない。そうじゃない」

 片思いに悩む葵は見てみたいが、落ち込んでいるのを見るのは私も嬉しくない。

 啓介に彼女ができたということであれほど落ち込んでいたのだ。

 目の前に二人がいて耐えられるのか。

 けれどもそうやって啓介を想っている限り、葵が三嶋の方向に向くことはない。

 当初はなかったその考えを、今や私は否定しきれない。

 心の中に今までになかったどす黒い感情が蠢いているのを感じながら、私はボールのある所へ戻っていった。

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