第3話 幸せの陰で
「……おかしい」
私は運動場の片隅にて、考える人のポーズで体育の途中で抜けた葵のことを考えていた。
「おーい、智子!先教室帰るよ」
クラスの女子が声を掛けてくれた。
こういう時は普段葵が連れて行ってくれるのだが。
私はすぐに立つと彼女らの後を追いかけた。
着替え終わって教室に戻っても葵は見当たらなかった。
メッセージを送っても返事がない。
授業中に何度も画面を盗み見るが、既読すらつかない。
「……おかしい」
「そうよね、原田さん。授業中にスマホを見ているなんておかしいわよね」
ふと顔を上げると国語担当の田中先生が私を見下ろしていた。
「それに教科書やノートすら机の上にないこともおかしいわね」
「いやっ、あのっ、これは」
精一杯の反論を試みる。
「やはりこの情報化社会。教科書やノートといった紙媒体ではなく、それら全てデジタル化しようという試みでして……」
「ではそのメッセージ画面はどう説明をつけるつもりですか?」
先生に身振り手振りで質問している間、私はメッセージ画面が表示されたままのスマホを握っていた。
先生はその画面を指さしてきたのだ。
「これは……メッセージを活用した…記憶の定着法でして……」
「原田さん。授業後に先生の所へ来なさい」
「……はい」
私はクラス中のクスクスという笑い声を聞きながら席に座った。
「どうして授業中に携帯を開いていたの?」
授業後に田中先生のところへ行くと、鋭い目つきでそうおっしゃった。
「すみません。葵のことが心配で」
「桜木さん?」
毒気を抜かれた表情の先生。
「体調不良で保健室でしょう?心配なの?」
「はい。葵はすぐに返信するんです。それに保健室へ行く前もどうにも違和感が……」
「それで画面を見ていたのね」
先生は短いため息をつくと、再び口を開く。
「友達思いもいいけれど、授業はちゃんと受けなさいよ」
「はい。すみません」
「それから、すぐにバレる変な言い訳はしないこと。いいわね」
私が頷くと先生は荷物をまとめて教室を後にした。
私はこの休み時間中に葵の様子を見に行こうと考えた。
だが次の授業は移動教室で時間的余裕はない。
そして時計を見ると保健室へ行って帰ってくるのは難しそうだ。
葵のところへ向かうのは次の休み時間、二限の後にするしかない。
結局授業が長引いて、葵のところへ行けるのは三限の後ということになりそうだ。
皆延長した先生について口々に文句を言いながら、次の授業に間に合うように足早に教室へ戻る。
廊下を歩いていると、不意に肩を叩かれる。
振り向くと特徴的な黒縁メガネ。
「なんだ。三嶋か」
「どうしたんだ?さっきの授業といい、いつもより変だぞ」
「ざんねーん。わたしはいつも変じゃないよーだ」
「十分変人だと思うけどな。で、普段は変じゃない原田さん。何故今日は変なんだ?」
「ああ。私の愛しの葵の様子がおかしいんだ」
私がそう言うと三嶋が一瞬硬直したように見えた。
「ん?何か知ってるのか?」
「……いや。今朝学校へ来るときは普段通りだったぞ」
「朝一緒に来たのか!?」
今度は気のせいか私が少し動揺する。
「桜木さんが啓介と歩いていたからな。二人に声を掛けたんだ」
「そういうことか」
それを聞いてなぜか胸を撫でおろす。
「でも久々に啓介と登校していたからか元気だったな」
「啓介……」
体育が始まる時に落ち込んでいたのは、たまにある落ち込み方だった。
葵は他人に物怖じしない性格に見えるが、本当は他人からの評価を物凄く気にする。
普段の強気な態度は弱さを見せられない彼女の精一杯の虚勢だろう。
私が思う彼女の一番かわいいところでもあるが、それによって彼女は傷ついてしまう。
だが保健室へ行く前の葵は明らかにそれとは異なる様子だった。
返信をしないのも葵らしくない。
直前に話していた話題は啓介に彼女ができたという話。
そして今朝は啓介と登校してご機嫌だったという葵。
「ぐへへへ」
「うわっ。気持ち悪い笑い方するなあ。何か分かった?」
葵は自分のことを他人にあまり話さない。
私もだいぶ仲良くなってからでないと話してもらえなかった。
そんな私も知らないことがある。
それは恋愛だ。
彼女に聞いても興味がないなどと、はぐらかされ続けてきた。
それがとうとう明らかになりつつある。
指摘された葵が動揺する姿を妄想し、口元が緩む。
「今度はニヤニヤしだした。本当に気持ち悪いぞ」
「私は分かってしまったのだよ。三嶋には教えないけどな」
「何だよその顔。ムカつくな」
しかし啓介には既に想い人がいる。
これはどうしたことだろう。
「ま、おもしろいからいいか」
今は深く考えないことにした。
廊下ですれ違った田中先生に、葵が早退したことを教えてもらった。
それほどショックだったのかと心配になるが、メッセージに既読すらつかないので私にはどうしようもない。
そのまま放課後になり、私は部活へと向かった。
部員たちは練習前のストレッチなどを各自で行っている。
一方マネージャーはドリンク作り。
サッカー部のマネージャーは私を含めて二人だ。
もう一人が二年の岡村彩先輩。
問題の啓介の彼女だ。
低身長でボブカット、いつでも笑顔で性格も明るい。
そして……。
「ど、どこ見てるの?智子?」
「先輩のけしからん胸です!」
私がそう言うとバッと胸を隠す仕草をするが、その大きさ故に全く隠れない。
「やめてよ。恥ずかしい」
「なるほど。その圧倒的な武器で啓介の攻略に成功したのですな」
「!」
先輩は目を見開いたまま固まった。
「え、どうして知って……」
「どこから漏れたのか、学校中の噂になってますよ」
「えぇー。そんなぁ」
頭を抱えている様子も小動物のようでかわいい。
さすがはサッカー部のアイドルだ。
「で、どこまで進んだんですか?」
「どこまでって。まだ何も……」
「では告白はどちらから?どんなところに惚れたんですか?」
「うぅ……」
追及していると私たちのところへ駆け寄ってくる足音。
「原田。また岡村をからかってるのか」
「からかってなんかいませんよキャプテン。先輩で遊んでるんです」
「同じことだろ」
「先輩も一緒にどうです?」
「やらん。俺はお前に話があるんだ」
「わお!告白ですか?」
「何言ってんだ。前に言っていたマネージャーを増やすって話だ」
最近は試合なども多く、部員も増え、マネージャー二人では余裕がないことがあった。
「結局増やすことにしたんですか?」
「そうだ。前に言ってた女の子、誘ってみてくれないか。他のやつにもおすすめの人がいたら紹介してくれるように今頼んでる」
前に言っていた子というのは葵のことだ。
彼女なら仕事も完璧にこなすだろうし、何より一緒の時間を過ごせるのはいいことだと考えてキャプテンに話したことがある。
「りょーかいです」
「岡村も、誰かいたら頼むな」
「うん。分かった」
葵はやるだろうか。
とりあえず聞いてみるしかない。
ところでそもそも葵は明日学校へ来られるだろうか。
携帯に通知はないし、これまで葵の家に行ったことはないので家に行こうにも場所は分からない。
と、その時ストレッチをしている啓介が見えた。
彼なら家が隣だ。
「啓介!」
私が啓介を呼ぶと急いでこちらへ走ってくる。
「何だよ。もう練習始まるぞ」
「あのさ、あお……」
葵の様子を帰りに見て欲しいんだけど、と言おうとしたが早退の理由であるこいつを向かわせるのは、葵にとって拷問に等しいのではないかと間一髪で気づく。
「いや、彩先輩がドリンク持ってほしいってさ」
「え?」
キョトンとした顔の先輩。
「も、持ちましょうか?」
「は、はい。よろしく」
ギクシャクした様子の二人。
初々しいのう。
この二人には本当に幸せになってほしい。
でもそれは葵には酷なことだ。
「……報われないな」
私は目の前の二人を見ながらそう呟くとその場を立ち去った。
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