19 泥棒なんかじゃありませんっ!


 翌朝、珖璉や禎宇とともにおいしい朝食をたっぷりと食べた鈴花は、禎宇を手伝って片づけを終えたところで、無意識に深い溜息をついた。


 胃が重く感じるのは、ご飯をお腹いっぱい詰め込んだから……。だけではないと思う。たぶん。


「今日も、昨日のように各部署を回られるんですよね……?」


 菖花の手がかりを得るために力を尽くすことは、鈴花にとっても本望だ。


 が、昨日、嫌というほど投げつけられた憎悪の視線を思い出すと、出発する前から憂鬱ゆううつな気持ちに襲われる。


「当たり前だ。すぐに出発するぞ。宮女と宦官を合わせれば数千人はいる。主だったところを調べるだけで、まだ何日も……」


 鈴花を促して立ち上がった珖璉が、ふと口ごもる。


「……鈴花。お前、掌服に術師がいると言っていたな?」


「へ? きょうさんですか? いえ、《気》が見えるだけで、術師かどうかは……」


 答える途中で、はっと気づく。


「もしかして、夾さんが泥棒じゃないかって疑ってるんですか!? 夾さんが盗みなんてするはずがありませんっ! 私なんかにも優しくしてくださるすごくいい方で……っ!」


 鈴花の抗弁を無視して、珖璉が廊下に控えていた朔に、夾を調べよと命じる。短く応じる朔の声が聞こえた。次いで珖璉が禎宇を振り向く。


「禎宇。夾とやらを連れてこい」


「珖璉様!? ですから、夾さんは泥棒なんかじゃないと……っ!」


 卓の向こうに回り込んで訴えるが、珖璉の返事はにべもない。


「ならばむしろ、変な疑いをかけられる前に、潔白を証明したほうがよいだろう?」

「で、ですが……」


「下手な警備兵に目をつけられてみろ。無実にもかかわらず、拷問で自白を引き出されて、下手人に仕立て上げられるやもしれんぞ?」


「そ、そんなこと……っ!」

 珖璉の言葉に、鈴花は息を飲んでぶんぶんとかぶりを振る。


「そんな無体むたいなこと、官正である珖璉様がお許しになりませんでしょう!?」


「っ!?」


 たった二日仕えただけだが、珖璉の言動にはきっちりと一本芯しんが通っていると、ちゃんと知っている。


 真っ直ぐ見上げて告げると、珖璉が鋭く息を飲んだ。


「……何にせよ、後宮に入る宮女や宦官は、術師であるならば申告せねばならぬ規則がある。お前のように、自覚がないという可能性もあるが……。術師やもしれぬ者をそのままにはしておけぬ。調べはわたしと禎宇で行う。お前は立ち会わずともよい」


「いえっ! お願いですから私も立ち合わせてください!」


 鈴花が《気》を纏っている夾の名を不注意に出してしまったせいで、疑いがかけられているというのに、放っておくことなどできない。鈴花は頭を下げて珖璉に懇願した。


    ◇   ◇   ◇


 鈴花には何刻ものように感じられる時間が過ぎた後、最初に珖璉の私室に戻ってきたのは朔だった。


 何も手につかず、うろうろと部屋の中を回っていたせいで、卓で書類仕事をしていた珖璉に、「目障りだ。床でも磨いておけ」と命じられた鈴花は、朔が入ってきたのを見て、あわてて雑巾を置いて立ち上がる。


「珖璉様」

 鈴花を無視して珖璉に近寄った朔が何やら耳打ちするが、鈴花には聞こえない。


「あ、あの……っ」


 朔が出ていき、鈴花が意を決して珖璉に尋ねようとしたところで、夾を連れた禎宇が戻ってきた。


「いったい、あたしに何の用だって言うんですか。こちとら『十三花茶会』の準備で忙しいんですよ。余計なことをしている時間なんて――」


 ぶつぶつと禎宇に文句を言いながら入ってきた夾が、珖璉を見とめた途端、無言になる。ぽぅっと珖璉に見惚れる表情は、瞬きすら忘れたかのようだ。そばに鈴花がいると気づいてさえいないに違いない。


 ほうけている夾に、珖璉が単刀直入に斬り込んだ。


「お前が装飾品を盗んだな?」


 冷ややかな声音に、現実に引き戻された夾の顔が凍りつく。と、弾かれたように首を横に振った。


「き、急に何をおっしゃるんですか!? 証拠もないのにそんなことをおっしゃるなんて、いくら珖璉様でも……」


「下手な芝居は要らぬ。お前の荷物から、盗まれたかんざしなどをすでに見つけている」


 斬り伏せるかのような珖璉の言葉に、夾の唇が色を失ってわななく。と、そこでようやく鈴花の存在に気づいたらしい。夾が刺すような視線で鈴花を睨みつけた。


「違います! あたしは犯人じゃありません! 犯人はこの小娘ですよ! こいつが盗んで、あたしに罪を着せようとして隠したんだ!」


「ち、違……っ」


 憎悪のこもった視線に射抜かれ、震える声でかぶりを振る。珖璉がはっ、と呆れ果てた冷笑をこぼした。


「言い訳ならもっとましなものにするのだな。方向音痴のこやつが、妃嬪の宮まで行って、迷わず帰ってこられるわけがないだろう? お前が術師だというのも調べがついている。おとなしく罪を認めたほうが身のためだぞ?」


 珖璉の言葉に、夾が噛み千切りそうなほど強く唇を噛みしめる。鈴花を睨む瞳には、憎悪の炎が燃え盛っていた。


「あんたが! あんたがあたしを売ったんだね!?」


 殺意すらこもった視線に、身体が震えて声すら出せない。


「鈴花はお前を盗人だなどと、一度も口にしておらぬぞ」

 珖璉の言葉は、夾の耳に入らなかったらしい。


「可愛がってやったのに! 恩を仇で返されるとはこのことだよ! あんたのせいで捕まったんだ! この疫病神が! 恨んでやる! あんたを一生たたってやる!」


「っ!」


 身体の震えが止まらない。昨日も宮女達からさんざん嫉妬や憎しみの視線を浴びたが、鈴花を名指しで放たれた夾の怨言えんげんは、比べ物にならない。


 声も出せずに震えていると、不意に視界が陰った。椅子から立ち上がり、夾の視線を遮るように鈴花の前に立った珖璉が、夾を見下ろす。


「それとこれとは別の話だ。世話になったからと言って、罪を犯した者を庇う必要はなかろう」


 珖璉が庇ってくれるとは思いもよらなかった鈴花は、驚いて広い背中を見上げる。

 同時に、固まっていた頭がようやく動き出す。


「ど、どうして……っ!? どうして盗みなんてしたんですか!?」


「おい!?」

 珖璉を押しのけるようにして前へ出る。


「あとひと月ほどで年季が明けるって言ってたじゃないですか!? そうしたら、娘さんを引き取って一緒に暮らすんだって……っ!」


「その前に娘が死んだら意味がないじゃないか!」


 血を吐くように叫んだ夾が、糸が切れたように床にへたり込む。


「今も鈴花は病に苦しんでるんだ! あたしが早くお金を持って行ってやらなきゃ……っ!」


「鈴花?」

 珖璉がいぶかしげな声を上げる。


「夾さんの娘さんです! 私と同じ名前で……っ」


 早口に説明しながら、鈴花は思わず自分も床に膝をついて、くずおれた夾の手を取る。


「娘さんが病気なんですか……? それで、薬代のために盗みを……?」


「だったらどうなんだいっ!? あんたが余計なことを言わなけりゃあ、ばれなかったのに……っ!」


 目に怒りをたぎらせた夾がばしんと鈴花の手を振り払う。じん、と指先にしびれが走った。


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