15 針のむしろに座るような心地がする
掌寝の棟まではさほどかからなかった。だが、長い距離を歩いたわけでもないのに早くも鈴花が疲労を感じているのは、これまで感じたことのない
なんせ、珖璉が通るだけで、ありとあらゆる宮女と宦官が魅入られたように見惚れるのだ。
次いで、珖璉に付き従う鈴花を見て、信じられぬと言わんばかりに全員がぎょっと目を見開く。突き刺さすようなまなざしは、なぜ鈴花などが珖璉の供をしているのかと、無言で責め立てるかのようだ。
いたたまれなさすぎて、叶うならこのまま消え去ってしまいたい。針の
確かに、珖璉の美貌は見惚れずにはいられない。薄ぼんやりとしか見えない鈴花でもそう思うのだから、はっきり見える宮女達が、全員
が、珖璉をうっとりと見つめるとろけたまなざしと、鈴花を睨みつける刃のような視線の落差が激しすぎて、正直恐ろしい。
もし視線が針と化していたら、今頃、鈴花は針山になっているに違いない。
鈴花が恐怖に震えているにもかかわらず、珖璉は慣れているのか、澄ました顔で淀みなく歩いていく。
と、廊下の向こうに、掌寝のお仕着せを着た人の好さそうな顔立ちの四十過ぎの宮女の姿を見つけて、鈴花は思わず珖璉の袖を引いた。
「どうした?」
初めて歩みを止めて振り返った珖璉に、緊張しながら懇願する。
「ね、姉さんのことを聞いてきてもいいですか!?」
「かまわんが……。余計なことは言うでないぞ?」
「はいっ! 気をつけます!」
こくんと頷き、珖璉を追いこして宮女に駆け寄る。
「こんにちは! あのっ、菖花という掌寝担当の宮女がどこにいるか、知ってますか!?」
「え? ああ、何だい?」
ぽぅ、と珖璉に見惚れていた宮女が、初めて鈴花に気づいたと言いたげに視線をよこす。
「菖花という宮女について、教えてもらいたいんです!」
勢い込んで尋ねると、「菖花?」と宮女が目を丸くした。
「菖花なら、二か月ほど前に急にやめて故郷へ帰ったよ」
「えっ!?」
凍りついた鈴花をよそに、宮女がふう、と溜息をつく。
「よく仕事ができた子だったから、いなくなって痛手だったんだけど……。ご両親が流行り病で亡くなったんだって? なんかタチの悪い宦官にも絡まれてたみたいだし、本人にとっては、故郷に帰れることになってよかったんじゃないのかねぇ」
「り、両親は亡くなってなんかいませんっ! それに姉さんは故郷に帰ってきてなんて……っ!」
思わず宮女に言い返す。
両親は、故郷でぴんぴんしている。いったい、この宮女は誰のことを言っているのか。
なおも反論しようとした瞬間、ぐいと肩を引かれた。よろめいて、とすりとぶつかった拍子に、爽やかな香の薫りが鼻をくすぐり、誰か肩を掴んだのか振り返らずとも察する。
「菖花が後宮を出たのはいつだ?」
突然、珖璉に話しかけられた宮女が、驚愕に目を見開く。
「おい、聞こえているか?」
「は、はひっ! に、ににににに二か月前でございますっ!」
鋭い声音に、宮女が弾かれたようにうわずった声で答える。
「……となると、一人目が出るより前だな」
一人目というのは、殺された宮女のことだろうか。
鈴花は思わず珖璉を振り仰ぐが、何も言うなと目線だけで制され、口をつぐむ。
「菖花に絡んでいた宦官というのはどんな
夢見心地で珖璉に見惚れていた宮女が、千切れんばかりに首を横に振った。
「い、いえっ! わたくしは噂で聞いただけでございまして、くわしいことはさっぱり……っ! あのっ、珖璉様がお知りになりたいということでしたら、同輩達に確認して、後ほどご報告いたします! ええっ、わたくしにお任せくださいませっ!」
鼻息も荒く宮女が身を乗り出す。鈴花も驚くほどの勢いだ。
この調子ならすぐに姉を見つけられるのではと期待すると同時に、珖璉の美貌の威力に感嘆する。
「そうか。では頼む」
「は、はいっ! お任せくださいませ……っ!」
すげない珖璉の返事だというのに、宮女の表情は今にも天に昇りそうな
「他に、菖花が後宮を出る前に何か変わったことは?」
「そ、そそそその、これと言っては……っ。あっ、やはり両親を亡くしたということで、ひどく消沈しておりました! そういえば、宮廷術師の博青様と何やら立ち話をしているところを見ましたでございます!」
「博青と……?」
珖璉の呟きに、鈴花は昨夜、宮女殺しの現場で会った人の好さそうな顔立ちの青年を思い出す。泂淵の弟子と聞いたが、師匠と違って、とても真面目そうな印象だった。
「そうか。もしまた何かわかったことがあったら教えてくれ」
「はひっ! 珖璉様のお望みでしたらいくらでも!」
こくこくこくっ、と壊れた人形のように宮女が頷く。が、視線はずっと、珖璉の端麗な面輪に固定されたままだ。
「では行くぞ」
珖璉に声をかけられ、鈴花は我に返った。「は、はいっ」と珖璉の後について歩くものの、先ほど宮女に言われたことが頭の中をぐるぐると回って、足元がふわふわする。
「よく見ておけよ」
珖璉の命に応え、すれ違う宮女や宦官達を見ていくが……。
視界には入るのに、ろくに見えない。ぼんやりと眺めるだけだ。宮女達が鈴花に注ぐ鋭い視線すら遠く感じる。
ひと通り掌寝の棟を回り終え、ついで後宮内の食事を担当する掌食の棟へ移動するところで。
「こ、珖璉様……っ」
余人の姿が見えなくなった瞬間、鈴花はこらえきれずに珖璉に呼びかけた。
「ね、姉さんがいなくなったのは、昨日の事件と何か関係があるんでしょうか……っ!? だって、故郷の両親は元気で、なのに姉さんは帰ってこなくて……っ」
夕べ見た遺体や、今朝がた見た悪夢が頭の中を巡り、震えが止まらなくなる。
「落ち着け。今の状況ではまだなんとも言えん。菖花に絡んでいたという宦官がどんな輩かもわからぬしな」
珖璉の落ち着いた声音に、ほんのわずかに冷静さを取り戻す。
「だが……。やけに手が込んでいる。これまでの被害者はみな、夜更けに部屋を抜け出したり、夕刻の人気のない時間帯に一人になった者が狙われていた。確かに、三人目までは隠そうとしていたようだが、最近はすぐ気づかれても構わんと言わんばかりに開き直っている」
珖璉が記憶をなぞるように低い声で呟く。
「……ということは、まだ発見されていない一人目の可能性もあるのか……?」
「っ!?」
珖璉の推測に、恐怖のあまりかくんと膝から力が抜ける。
「おいっ!?」
廊下にくずおれそうになったところを、珖璉の大きな手に腕を掴まれた。
「しっかりしろ。まだお前の姉が犠牲者だとは限らん」
「で、でも……っ」
かたかたと歯が鳴って、うまく言葉が紡げない。
「しゃんと立て」
ぐいっと力任せに引き起こされ、たたらを踏む。
「わぷっ!」
胸板にぶつかった拍子に爽やかな香の薫りが
「実際に菖花がどうなっているかはわからん。だが……。妹のお前が生きていると信じてやらねば、他に誰が信じる?」
怒ったような声。だが、なだめるように鈴花の背を叩く手は、確かな励ましに満ちていた。
「そう……、そうですよねっ! 姉さんはきっと生きていますよね……っ!」
すっくと自分の足で立ち、珖璉を見上げる。
今朝、鈴花が申し出た取引に、珖璉は確かに応じてくれた。鈴花が頑張れば頑張るだけ、姉についての情報を集めてくれるはずだ。
「私、もっと頑張ります! あっ、掌寝では術師や《気》が宿った物などは見つかりませんでした!」
「そうか。では、次へ行くぞ」
気合をこめて報告した鈴花にあっさり頷くと、珖璉は
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