【2巻4/25発売&コミカライズ連載中】鈴の蕾は龍に抱かれ花ひらく ~迷子宮女と美貌の宦官の後宮事件帳~【WEB版】

綾束 乙@迷子宮女&推し活聖女漫画連載中

1 死体は桃の薫りの揺蕩う中に


 今にも降り出しそうな曇天は、龍華国りゅうかこく後宮の夕暮れを、くらく不穏な気配に変えていた。


 甘く揺蕩たゆたう桃の花の薫りにかすかに混ざるのは、死後二日経った遺体の死臭だ。


 珖璉こうれんは四人がかりで大きな木箱を抱えた屈強な身体つきの宦官かんがん達に鋭い視線を向ける。


「中に入っているものを決して気取られるな。可能な限り人目を避け、秘密裏に浣衣堂かんいどうへ運べ」


 後宮内の不正を取り締まる官職・官正である珖璉の命に、宦官達が「かしこまりました」と恭しく頷く。


 浣衣堂とは、病気になった宮女を隔離し療養させるための建物だ。後宮の外れの人気のない区画にあり、不慮の出来事によって死亡した宮女の遺体も、埋葬されるまで安置される。


「わかっておるだろうが、この件については他言無用だ」


 珖璉の厳しい声に、宦官達が無言で頷いて歩を進める。踏み潰された草の青臭い匂いが湿った空気に重く漂った。


 珖璉は唇を引き結んで宦官達の背を見つめる。


 自由に出入りできぬ閉ざされた後宮内で連続殺人事件が起こっていると広まれば、妃嬪ひひんや宮女、宦官達に混乱が巻き起こるのは必至だ。


 決して、余人に知られるわけにはいかない。


珖璉こうれん様?」


 側仕えの禎宇に名を呼ばれ、珖璉は忠実な従者を振り返った。


 武官らしい大柄な身体と、それに似合わぬ穏やかな顔立ちの禎宇ていうが、気遣わしげに珖璉を見つめている。


 禎宇の隣では、せぎすの隠密の少年・さくが無言で主の指示を待っていた。


「すでに七人か……。後手に回されているのが腹立たしいことこの上ないな」


 ちっ、と苛立いらだちを隠さず舌打ちすると、珖璉は信頼する従者達に指示を出す。


「禎宇は殺された宮女の身元の確認を。殺された宮女が着ていたお仕着せは掌食しょうしょくの者だ。被害者を誘い出した者がいたかどうか、目撃者を探せ。朔は犯人の手がかりが残っていないか、周囲の捜索を」


 掌食というのは後宮の部門のひとつで、後宮内の食の担当だ。

 珖璉の命に、禎宇と朔が「かしこまりました」と応じる。


「珖璉様はどうなさるのですか?」


 禎宇の問いに短く思案する。禎宇とともに掌食に聞き込みに行ってもよいのだが、珖璉が動けば嫌でも目立つだろう。


 蜜に群がる蝶のように我先にと寄ってくる宮女達の姿がたやすく想像できて、珖璉はげんなりと吐息した。人知れず調査を行うには、己の容貌は人目を引きすぎる。


「わたしは今までの現場を見て回ってから部屋へ戻る。ひょっとしたら、時間をおいて見れば、前は見落としていた点に気づくやもしれん」


 脳裏をよぎるのは、苦悶の表情で事切れていた宮女達の姿だ。


 これ以上、犯人の好きにさせるわけにはいかない。


 まだ見ぬ犯人への怒りに突き動かされるように、珖璉はきびすを返した。


   ◇   ◇   ◇


 数千人が暮らす後宮の洗濯場は、ちょっとした池なみに広い。


 干し終えた洗濯物を雨が降り出す前に運ぼうと、手早く畳んでかごの中へ入れていく同僚達に混じって、鈴花りんかは宦官用のお仕着せを丁寧に畳んでいた。


 と、「新入り!」と叩きつけるように呼ばれ、弾かれたように立ち上がる。


「は、はいっ! 何でしょうか!?」


 新入りと言われたら、半月前に掌服しょうふくに入った鈴花しかいない。

 ぱたぱたと小走りに自分を呼んだ先輩格の宮女達の元へ駆け寄ると、


「用があるから呼んだに決まってるでしょ!?」

 と苛立たしげに吐き捨てられた。


「洗い桶。あんたがちゃんと片づけておきなさいよ」


「え……?」


 鈴花は広い洗濯場を見回す。確かに、そこここに使い終わった大きな洗い桶がそのままになっている。だが。


「あのぅ、洗い桶は、自分が使ったものをそれぞれで片づけるんじゃ……?」


 確か、入った当初にそう教えられたはずだ。


「はぁっ!?」


 おずおずと返した瞬間、宮女の一人が足元にあった桶を蹴りつける。

 がんっ、と響いた大きな音に、鈴花は思わず身を強張らせた。


「いっつもあんたのせいで迷惑をかけられてるのよ!?」


「だったら、詫びとして代わりに片づけるくらい当然でしょう!?」


「ほんっと気が利かないんだから、この役立たず!」


 あざけりを隠そうともしない声音に、唇をみしめる。

 周りの同僚達も、触らぬ神にたたりなしとばかりに、ちらりと視線をよこしただけで、黙々と手を動かすだけだ。


 故郷の村でも、「役立たず」と何度罵られてきただろう。


「出来のいい姉と同じ腹から生まれたとは思えないほど、どんくさい娘」


「使いに出せば迷って帰ってこない、村一番の役立たず」


「わけのわからぬモノが見えるなんて言う不気味な娘」


「あんなのの面倒を見てやらなきゃいけないなんて、姉の菖花しょうかもとんだ厄介者を背負わされたもんだ。気の毒に……」


 故郷の村でさんざん言われ続けた陰口が頭の中を駆け巡り、痛みをこらえるように、さらに強く唇に歯を立てる。


 抗弁なんて、できるわけがない。

 鈴花が役立たずなのは、まぎれもない事実なのだから。


 それに先輩宮女達の機嫌を損ねては、鈴花が後宮へ奉公に来た意味がない。


 少しでも先輩宮女達や掌服長に気に入られて、早く有益な情報を得られるようにならなくては。


 ――後宮に奉公に来たまま、消息不明になった姉の菖花を探し出すために。


「も、申し訳ありませんでした! 気が回らなくて……っ! ちゃんと片づけておきます!」


 深々と腰を折って謝罪する。


「そうよ! わかればいいのよ」

「じゃあ、後はよろしくね」


 頭を下げる鈴花の横を通り過ぎていく先輩宮女達に、「で、ですが……っ」とあわてて声をかける。


「あのぅ、掌服の棟までは、どうやって帰れば……?」


「は?」


 振り返った先輩宮女の声は氷よりも冷ややかだった。


「本気で言ってるの? 半月も経ったっていうのに、毎日通ってる道をまだ覚えられないわけ?」


「そ、それは……っ」

 情けなさに、両手でぎゅっと自分の衣を握りしめる。


 鈴花は超がつくほどの方向音痴だ。特に、よく似た建物が並ぶ上にあちこちに木々や茂みが配され、故郷の村よりも広い後宮は、何度行き来しても覚えられない。


「もしかして、その首の上についてるの、頭じゃなくてうりか何かなんじゃなぁい?」


 嘲笑混じりの声に、周りの宮女達からも、どっと笑い声が巻き起こる。


「じゃあね、瓜頭。ちゃんと片づけておかないと承知しないからね」


「今日は、帰ってくるのにどれくらいかかるかしらね~」


「夕食に間に合ったらいいけどねぇ」


「あんまり遅くなると、また掌服長がおかんむりになるわよぉ~」


 くすくすと笑いながら、先輩宮女達が自分の担当分の着物を入れた籠を抱え、ぞろぞろと洗濯場を出ていく。


「わ、わたしも早く自分の分を畳まなきゃ!」


 とりあえず、片づけよりも先に洗濯物を畳まなくては、せっかく綺麗に干したのに変なしわがついてしまう。


 はっと我に返ると、鈴花はぱたぱたと自分の籠へ駆け寄った。


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