episode.6

彼女と想いを打ち明け合ってから数日、前よりも随分と互いの距離が近くなってきたのをとても感じている。自分が彼女に対して恋愛的好意を抱いてることはわかったが、それを言える権利は僕にないから言えないことだと思う。


 彼女はあの日から少しずつまた、学校に来てくれるようになった。ほとんどの時間を共に過ごす毎日だ。至極幸せである。クズの僕がこんなに幸せでいてもいいのだろうか。否。そんなはずはない。それでも、少しでも長くこの幸せが続けばいいのにと思ってしまう僕は最悪だろうか。


 そんなこんなで、数日が経っていた。時間とは恐ろしいもので、幸せな時ほど早く不幸な時ほど遅いのだ。ここしばらく、何もなかった。だから余計に恐ろしい。毎日が怖い。幸せな後には必ず不幸が舞い降りてくる。その不幸が僕だけにふりかかるものならば仕方ないで終われるが、それがもしも彼女を巻き込むような事態になったらどうしたらいいのか。そんなふうに悶々と悩んでいた。だから、気がつかなかったのだ。線路を横切っているにも関わらず踏切が降りていることに。


 電車に「急ブレーキ」という概念は存在しない。不可能だからだ。ここまで言ってしまえば、誰であろうと予測はつくだろうが僕は轢かれた。電車による人身事故。その日の夕刊の1面の大見出しだ。電車による人身事故のうちの死亡件数は大雑把に言えば五分五分くらいらしい。しかし、運がいいことその日は晴れだった。だから、運転手さんが気がついて非常用ブレーキをかけてくれた。その甲斐あって僕は、軽傷とは言わずとも死に至るような結果ではなかった。ただし、ICUから出られたのは10日後のことだし、さらに言ってしまえばそのうちの5日間は意識は戻らなかった。事故から5日後僕は意識を取り戻した。しかし、真っ暗で何も見えなかったので一瞬まだ夢の中なのか、とさえ思った。しかし、忙しく鳴り響く機械音や靴擦れの音、医師たちの声、何かと何かがぶつかり合う音が、聞こえてきたのでこれが夢ではないということがわかった。その後、なぜ目が見えないのかわからなっかたのでひとまず手を目元に当てた。しかし、布がかぶさっているようでもなく、目もしっかりと開いていた。それでも辺りは真っ暗だった。とにかく、何が起きているのかを理解するためにひとまず看護師さんを呼ぼうと声を出す。5日間も声を出していなかったせいか、声が出しにくく呂律の周りも不安定だ。それでも必死に声を出すと、一人の看護師さんが気がついてくれたらしく声をかけてくれた。「なんか、真っ暗で何も見えないんですけど、僕の目開いてますよね。」と聞いた。すると、看護師さんは僕に少し待てと言って何処かへ行ってしまった。一人寂しく思ってると今度は医師さんがきた。その医師さんにショック性のものだろうと言われた。そして、自分の名前を聞かれた。僕は僕の名前を言おうと思ってふと思った。「僕の名前ってなんだっけ。」と。僕は「わからない」と答えた。すると今度は生年月日を聞かれた、それも思い出そうと考えるが「わからない」と答える。そして最後に、自分に何が起こったのか覚えているかと聞かれた。それはさすがに覚えていた。「電車に轢かれたんですよね。」そう答えると、医師はしばらく黙り込んでしまった。しばらくすると、今度はあの日の一週間前の出来事や1ヶ月前のことで覚えてることを聞かれた。だが僕は、あの日の一週間前はおろかあの時の記憶以外の記憶がわからなくなっていた。それを医師に伝えると医師はそれもショック性のものだろう、と言った。しばらくすれば戻るかもしれない。と言った。僕は、パニックに陥ることもなくいたって冷静だった。救いだったのは、誰かが僕と連絡が取れないことを心配して失踪届けを出してくれたことだ。その失踪届があったから僕の身元はすぐに判明したそうだ。そして、その失踪届を出してくれた棗優希という少女は毎日のように見舞いに来て、僕の話をしてくれた。


「君の名前はね、一ノ瀬樹っていうんだよ。とってもいい名前だよね。」


「樹くんはね、4月6日生まれのA型でね、趣味は読書だったよ。よく行く場所は、図書館。甘いものが好き。辛いものも好きなのに、苦手。今は亡くなられてしまったけどシングルマザーのお母さんに育てられて、留学中のお兄さんがいるんだよ。小説も好きだけど漫画も好きで、とってもたくさん読んでたんだよ。雨の日になるといつもより不機嫌になってた。」


「樹くんはね、私を救ってくれたヒーローなんだよ」



 そんな調子でさも楽しそうに喋っていた。また、ある日は僕が特にお気に入りだったという本を持ってきて朗読してくれた。


「『自動手記人形(オート・メモリーズ・ドール)』。


その名が騒がれたのは、もう随分前のことだ。」


           暁佳奈作 ヴァイオレット・エヴァーガーデン より


 その一言から始まる本を、朝から晩まで1日かけて朗読してくれた。あまりの感動的な内容に時折涙が流れるのを感じた。そして、それは優希も同じだったようで、嗚咽の混じった声が響くことがなんどもあった。


 また、ある日は他の僕が大切にしていたという本を持ってきてまた朗読してくれた。


「……17年、私は君に必要とされるのを待っていたのかもしれない。


桜が、春を待っているみたいに。


それがわかってたから、私は本も読まないくせに、この「共病文庫」という記録方法を選んだのかもね。……」


                 住野よる作 君の膵臓をたべたい より


 優希はいつもいつも僕の涙を誘ってくるような本を選んでくる。そして、自分でも泣きながら僕に語って聞かせてくれた。


 そんな楽しくてほのかな幸せを感じ始めていたある日、僕はだいぶ視力を取り戻した。はっきり見えるとまではいかないが幾分か輪郭は見える。そういった具合まで回復した。そして、出会ったらしい。三上楓という女の子に。彼女は僕を見て、さも驚いたような反応をした。そして踵を返して戻っていった。という表現が実に似合う気配をまとって去っていった。


 記憶を失う前の僕が何かあったのだろうな。そんな単純なふうに考えた数日後、僕は売店に水を買いに行こうとよたよたと歩いていた。すると、どこからかもう聴き慣れてしまった優希の声が聞こえてきた。彼女はこの間三上さんと話しているようだった。


「樹くんは、もう十分償ったじゃない。3年間も毎日毎日苦しんで、死のうとさえした。私みたいに逃げずに、向き合った。それなのに、まだ不幸に慣れというの。」


三上さんは反論したようだったがうまく聞き取れなかった。


「楓の呪いの言葉のせいだよ。楓のいった「近寄るなクズが。」あの一言が今も樹くんを苦しめてる。もういいじゃない。樹くんはようやく振り出しに戻れたの。何もかも知らない普通の男の子になれたんだよ。これ以上樹くんの幸せを奪わないで。樹くんの苦しみは半分こじゃなくて、全部私が背負うから。」


その言葉を聞いて、僕の中で電流が走ったような感覚に襲われた。

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