第53話 完成
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月日が流れた。
高校最初の一年間は、あっという間に終わった。
どういう始まりだったのかも忘れたが、とにかく怜とずっと一緒にいる一年だった。
怜はいつもそばにいる。
怜はいつも笑っている。
時々不機嫌になるが、それもこれも俺が好きだからだと。
たまに暴力で訴えてくる彼女も最近ではすっかり大人しくなって。
そのまま高校二年目も何事もなく過ぎていった。
突然の転校も唐突な先生の転勤も最近は全くなく、潰れる店も施設もなく、あまりに何事も起こらない平々凡々とした日常。
むしろこの辺りには次々と店が立ち並び、随分と便利になった気がする。
コンビニも、商業施設も、デパートだって何軒も新設されて。
まあ、あまり買い物に行かない俺には関係のない話だが。
それに、もう高校に行くこともなくなったから。
最近はずっと家の中にいる。
「奏多君、もうすぐだねえ」
「ああ、早いな」
高校三年生のはずだった今年。
俺は今、病院にいる。
怜のお見舞いだ。
「女の子だって。ふふっ、奏多君に似て綺麗な顔で生まれてくれるかなあ」
「怜に似た方が美人だよ。それに、無事に生まれてくれたらそれでいいって」
「だね。うん、私頑張るからね」
「ああ」
怜は身籠った。
もちろん俺の子供を、だ。
それがわかったのは高校二年生の冬休み。
妊娠三カ月だった。
そこからすぐ、俺は高校を辞めて。
よそで働くといったのだけど怜が親の仕事を手伝ってほしいと言ってくれて。
俺は毎日朝から夕方まで、自室のパソコンの前に座っている。
やることはほとんどない。
たまに来るメールに言われた通りの返信をするだけの簡単な作業。
これで一体いくらの給料なのかも、俺は知らない。
怜が管理しているが、しかしこれまで一度も不自由したことはなかったので何も疑問に思わず、日々をたんたんと過ごしている。
「もう暑いね。夏にちなんだ名前、考えようかな」
「俺か怜の名前を使ってもいいけどな。ほんと、楽しみだなあ」
「うん。私、頑張るね」
「ああ」
俺は怜を残して病室を出る。
そして、暗い夜道をさまようようにして家に着く。
一人の時間だ。
とても不安だ。
怜がいないと不安で心が押しつぶされそうになる。
部屋をいくら明るくしても、心までは灯してくれない。
でも、怜の作り置いてくれたお茶を飲むと少し気分が和らぐ。
怜の買い置いてくれたアロマを焚くと、気分が軽くなる。
怜のことだけを考えて、一日が終わる。
また、明日がやってくる。
♥
病室のベッドの上で一人、物思いにふける。
父は私が幼い頃は、今よりよく喋っていた記憶がある。
むしろお喋りで、それはそれで楽しかったけど。
でも、父と仲良くしているとお母さんが怒るから。
だから今みたいに私に気づかないくらいがちょうどいいんだよね。
実の娘にも嫉妬するなんてどうかと思ったけど、今こうして新しい命の誕生を前にすると少しその気持ちがわかる。
奏多君の愛情が、私ではなくこのお腹の中の子供にだけ向けられていくとしたら。
多分私は耐えられない。
我が子を殺してでも、奏多君を取り戻そうって必死になるんだろうなあ。
ま、そんな心配はなさそうだから。
この子には無事に生まれてきてほしいなって思うけど。
心配しなくても、あなたにも運命の人がきっと見つかるから。
だからパパは渡さないよ。
「失礼します、お嬢様」
病室に、作業員が一人入ってきた。
「なあに急に?」
「いえ、先ほど病室の前で不審者を捉えましたので」
「……連れてきて」
「はっ」
黒服たちが連れてきたのは、かつて私をいじめていて、それなのに私がお友達役に選んであげた、だけど裏切った恩知らずの女の子。
「須藤さん、戻ってきたんだ」
「あ、あんな地獄みたいな場所にいられるわけないでしょ!」
「いい田舎だと思ったんだけどなあ。合わなかったんだ、残念」
「あ、あなたは、こんなことを繰り返して心が痛まないの!?」
黒服に腕を縛られたまま、じたばた虫みたいにもがく須藤さんは、昔誰かに言われた言葉と同じことを私に吐いた。
心が痛む?
心に痛覚はないよ?
でも、痛みに似たなにかを覚えることは私にだってある。
奏多君がいない時、奏多君が他の誰かと話してる時、奏多君が私を見ていない時、奏多君が苦しそうな時、奏多君が泣いている時。
そんな時、私の心は酷く震える。
だから、それが嫌だから頑張ってるのになあ。
この子でいう、心が痛まないように日々努力してるのに、なんでそんなことを言うんだろう。
「あは、意味わかんない」
「……人を傷つけたり、人を陥れたり、人を悲しませたらあなたでも辛いって、申し訳ないって思うでしょ? それとももう、あなたには人の心なんてないの!?」
人の心、かあ。
そもそも心って何? って話になっちゃうけどそれは今はいいや。
うーん、いいたいことはわかるけどね。人を傷つけるのを快感だとは思わないし、誰かが悲しい顔をしていたら自分も悲しくなるのは普通だ。
私も、恋愛映画を見て普通に泣きそうにもなるし、親しい人がいなくなったら悲しくなったりもするんだよ?
でも、まあそうだねえ。
「須藤さん、おなか痛くなったらどうする?」
「おな、か? い、いや……別に薬飲んだり」
「そうだよね、お薬飲むかトイレに行けば大体治っちゃうよね」
「な、なんの話なのよ」
「あのね、おなかが痛いのってその時は苦しいけど、すぐおさまるし治ってみたらどんな痛みだったのかも、どこが痛かったのかもよくわかんなくなるよね」
「だ、だからなんなのよ!」
「だからね」
そんな感覚だよ、と。
私はそれだけを彼女の方を見て伝えた。
「……綾坂、怜」
「ふふっ、わかりやすい例えでしょ? じゃあ、もういいかな? 私、これでも明日可愛い我が子を産まないといけない大事な体だから」
それにここは病院だから。
須藤さんみたいに相手の気持ちに寄り添えない不届きものにはお薬を処方してあげないとねえ。
お注射で、直に。
「や、やめ、やめてっ!」
「あはは、やめなーい。じゃあね須藤さん」
バイバイ。
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