第45話 母娘


 久しぶりに夢を見た。


 綾坂怜の、これまでを振り返るような夢。


 小学校の時、初めて奏多君に会った日のこと。


 彼が突然転校して一晩中泣いたあの日のこと。


 その後すぐに私がクラスの男の子たちにいじめられた日常。


 奏多君を見つけて、あなたを私の用意した学校に転校させることが決まった日の事。


 そして、転校初日に須藤さんたちに邪魔されて、話すことができなかった苦い思い出も。


 その後。


 すぐに入院してしまったことも。


 なぜか鮮明に夢に出てきて。


 やがて、目が覚めた。


「おはよう、怜」

「奏多君……おはよう」

「今日はお寝坊さんだな。どうしたんだ」

「文化祭の疲れかなあ。それより、もうすぐ夏休みだね」


 夏が来る。

 私は夏があまり好きじゃない。

 暑いし、虫がうるさいし。


 でも、今年の夏はちょっと楽しみだ。

 奏多君がいるから。


「奏多君、そういえばうちの親が奏多君に会いたいみたいなの。お父さんは仕事だけどお母さんはこっちに来るみたいだし」

「そうか。ちゃんと挨拶したかったし、いいよ」

「じゃあ言っておくね。多分飛んでくるから」


 もう、奏多君は私に対して一切の疑念を持たなくなった。

 あはは、もう少しだね。

 仕上げ、だね。


 空白の時間が。

 彼と過ごせなかった虚無の日々が。


 もう少しで埋まる。



「えー、明日から夏休みが始まりますが、皆さんくれぐれも羽目を外しすぎないように」


 等々。


 先生からの注意をもって、一学期が終わった。


「奏多君、今日の夕方にはお母さんこっちに着くって」

「そっか。なら晩御飯一緒に食べる?」

「うん、一緒に駅まで迎えに行こうね。お母さん喜ぶよ」


 怜の親。

 それがどういう人なのかも、実はほとんど知らない。

 俺が覚えていないだけなのか、そもそも知らないのかは置いておいて、やはり知らない人と会うのは緊張する。


 それに、彼女の親ともなれば。

 どう思われるのかも気になるし、どういう人なのかも気になってしょうがない。


「奏多君、緊張してる?」

「そりゃあ、まあな。お前は、俺の母さんと初めて話した時に緊張しなかったのか?」

「全然。すっごくフランクですぐに仲良くなったよ」

「そっか」


 そういや、祖母の家に一緒に帰った時の母さんと怜の会話は本当の親子のようだったのを思い出す。


 あれは演技なんかじゃないと、さすがの俺でもわかる。

 だからやっぱり怜が言ってることは正しいんだと、過ごしてきた日々からもそれが確信めいてくる。


 俺もうまくやらないとな。

 怜のお母さんに気に入ってもらえるように頑張ろっと。



「あ、いたよ。おかーさーん」

「あら、怜。久しぶりね。それに……奏多君ね」

「え、ええと。あの、初めまして、で、よかったですか?」

「ふふっ、大丈夫よ。事情は怜から訊いてるから」


 そう言って笑う綺麗な女性が、怜のお母さんだそうで。

 駅前の噴水の前に、一人だけこの街の人ではないと一目見てわかるほどに上品なたたずまいで立っていた彼女はどことなく怜と似ている。


「じゃあ、行きましょうか。今日は近くのレストランを予約したから好きなもの食べてね」

「わーい。奏多君、いっぱい食べようね」

「う、うん」

 

 そのまま、怜の母親について行く。

 案内されたのは近くにある高級レストランだ。

 あるのは知ってたけど、高校生の間に来ることはまずないと思っていたお店に、さっさと通される。


「うわあ、綺麗なとこだなあ」

「この辺で一番のお店なんだって。お母さんが教えてくれたの」

「へえ」


 高級そうなシャンデリア、机、ソファ。

 店員も皆、品があっておしゃれで。


 ちょっと場違いだなと思いながら、席に着くと向かいに座った怜の母親が、


「改めまして、怜の母親の静流しずるといいます」


 自己紹介をされる。

 ただ、名前に聞き覚えはない。


「あ、あの。静流さんは俺のことを知ってるんですか?」

「ふふっ、どうかしら。奏多君はどこまで覚えてるの?」

「え……それは、その……」


 怜のお母さんは、俺を知っている様子で話をしてくる。

 でも、俺はやはり何も思い出せない。


「……何も、わかりません」

「そう。まあ、いいじゃない別に。それより、今奏多君は怜のこと、好き?」

「え、ええ。もちろんです」

「怜とずっと一緒にいたいって、思ってる?」

「そ、それも、もちろんです。彼女と一緒にいる今が一番幸せですから」

「この子の為なら、何でもできる?」

「は、はい……」


 なんだろう、この質問攻めは。

 試されてる、のか?


 でも、怯むわけにもいかない。


「お、お母、さん。俺は彼女のことを……ちゃんと、好きです。大切に思ってます。だから」

「うん、よかった。あなたがきちんと娘のことを考えてくれてるのがわかったわ」

「そ、それじゃあ」

「ふふっ、ごめんなさい試すようなことばかり聞いて。これからも娘をよろしくね」

「は、はい」


 とまあ、怜のお母さんから笑顔を向けられたところで息を吐く。

 結婚の挨拶とかってこんな気分なのだろうか。

 緊張というか、力が入ったというか。

 ようやく、体が軽くなった。


「す、すみませんトイレ言ってきてもいいですか? ちょっとこういう場所、慣れてなくて」

「ええ。どうぞ」


 この時ばかりは、怜も行っちゃダメとは言わず。

 俺は広い店内をキョロキョロしながらトイレを探して彷徨った。



「ふふっ、いい感じなのね。よかったわね、怜」

「うん、もうすぐだよ。もう少しで、奏多君は身も心も過去も未来も全部完全に私だけのものになるの」

「そう。頑張りなさい。私がパパを捕まえるときもそうしたみたいに、ね」

「えへへっ、いいよねお母さんはお父さんと幼馴染で」

「ええ、幼馴染よ。彼も、

「あはは、あははは」

「ふふっ、うふふふ」


 もうすぐ、仕上げ。

 次で最後かなあ。


 奏多君、全部終わったら私のこと褒めてね。


 あは、あはははは。


 ……。


 けほっ……。


 

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