第39話 買えないもの

 二人で、部屋でプリンを食べながらふと思い出したことがあった。


 なんで今の高校を受験したか、だ。


 今更そんなことを思い出したことに特に理由はないが、そういえば先生からここがいいと強く勧められたっけ。


 その時、先生の机にはプリンが置いてあったような。

 だから思い出したのか。

 ……まあ、受けた理由はそうだとしても受かるかどうかは五分だったし。


 考えすぎか。


「なあ、そういえばあの人形はもういいのか?」

「うん、実験は終わったから片付けたの。さようならしたの」

「そうか。ま、色んなことに興味持つのはいいと思うけど」

「奏多君は色んなものに興味もたないでね」

「……ああ」


 今日は平和な一日だった。


 だったはず、なのだがどうも胸騒ぎがするというか、胸焼けのような気持ち悪さが残る。


 体調でも崩したのかな。


「ふう。なんか疲れたよ今日は」

「私がずっといなかったから寂しかった?」

「……そう、かもな。最近ずっと一緒だったし」

「えへへっ、嬉しい」


 怜は、猫のようにじゃれてきながらキスをしてくる。

 少し、プリンの甘い匂いがする。


「……怜、そういえば怜は中学の時って部活とかしてなかったのか?」

「うん、なにも。奏多君もだよね」

「あ、ああ。あんまりスポーツは得意じゃないからな」

「知ってる。ドッジボールしててもいつも外にいたもんね」

「……まあ、そうだったな」


 俺は怜のことをやはり知らない。

 まるっきり覚えてないのか本当に知らないのかは定かではないが、しかしここまで彼女が俺のことを鮮明に知っているということはつまり、やはり近くにはいたということなのだろうけど。


 同じ学校に通う生徒で、怜くらい目立つ存在の子を全く知らないってのも変な話だ。

 やっぱり俺が何かの拍子に記憶を欠損させているってことなのかな……。


「なあ、俺は怜のことを覚えてないんだとしたら、何かきっかけがあれば思い出せると思うんだ。何かないか?」

「うーん、いっぱいあるけどどれも覚えてないんだよね?」

「……全く。やっぱりお前が嘘をついてるんじゃないかって思ってるのも正直事実だ。だって覚えてないんだから」

「そうだよね。うん、でもそうやって思い出そうとしてくれてるだけで私は嬉しい。奏多君、大好き」

「怜……」


 何度も体を重ねる怜のことを、俺はもう好きじゃないなんて強がって否定することはできなくなっていた。


 好きだし、大切だし、いないと困ると。

 彼女の存在に依存している自分を確かに自覚する。

 

 だから、今は彼女のことを思い出したいという気持ちが強くなっている。

 怜の妄想ではなく、俺の記憶喪失こそが事実だと。

 だから彼女が幼馴染であってほしいという願望も含めたそんな希望が、俺の中をぐるぐるとめぐる。


 何か、きっかけがあればいいのだけど……。



「えー、須藤千曲さんはご両親の仕事の都合により」


 翌日。

 また、転校生が出た。


 須藤さん。

 名前が千曲とは、珍しい上にあの千曲陽子さんと被っていることに驚いたりしたが。

 怜が少し残念そうな顔をしていたのでそれ以上は何も思うことはなく。


 そして代わりにと言った具合に、今日は三人の転校生がうちのクラスにやってきた。


 なんか入れ替わりの多い学校だなとは思うけど、怜に訊けばこの街には大きな工場があって、そこが全国転勤の多い会社の運営しているところだから、きっと転校した子の両親はそこに勤めているのだろうと。


 まあ、そんなことを確かめるつもりもない俺にとっては、なんとなくそれが腑に落ちさえすればそれでよくて。

 怜の話に勝手に納得していた。


 そして今日もまた、何もない穏やかな一日だった。

 最近の怜は大人しい。

 時々、どろっとした目をすることもあるけど基本的にはニコニコしていて。

 これも一緒に住みだしたことによる安心感のおかげなのか。


 となれば、同棲も悪いものではない。

 怜が笑ってくれていることが俺の幸せであり、安寧である。

 そう、今が一番平和だ。



「奏多君、今日は先に帰っててくれる?」


 正門のところで怜が、少し慌てた様子で言う。


「忘れ物か? だったら待つけど」

「ううん、いいの。ちょっとね、文化祭のことで手伝ってほしいって言われてたのを忘れてたから」

「そうか。俺も手伝えることがあるなら行くけど?」

「いいのいいの。それに、女子ばっかりだから奏多君は来ちゃダメだよ」

「……わかった」


 怜は、さっさと校舎へ戻っていく。

 俺はその後ろ姿を見送ってから、さっさと正門を抜けて帰路に就く。


 夕陽がまぶしい。

 でも、もうすぐ夏が来るのがわかる少し蒸し暑いこの季節は嫌いじゃない。

 夏休みも待ち遠しいし、秋の体育祭なんかも楽しみで。


 今、俺は充実しているのかもしれないなと。

 ふと、赤い空を見ながらそんなことを考えて、一人静かにアパートに向かった。



「うん、じゃあそんな感じでお願いね。くれぐれも余計なことはしないでね」

「はい、わかりました」


 演劇部の劇の内容。

 それはもちろん私が考えた脚本。

 須藤さんがそれを勝手にすり替えようとしていたことももちろん知ってるけど。

 残念だったね須藤さん。

 今頃どうしてるのかなあ。

 あはは、友達がいなくなるのって悲しいなあ。


「じゃあみんな、本番はよろしくね」


 そう伝えて帰ろうとすると、一人の女子がやってくる。


「あ、あの、綾坂、さん」

「んー、なあに?」

「ええと、ど、どうしてこんなこと、を?」

「どうして? なにかなあ、貴方も須藤さんみたいに」

「ち、違います! た、ただ、不思議に思って。も、もう園城さんは、その、綾坂さんのことが」

「足りない」

「え?」

「それじゃダメなの。今、彼が私を好きでもそれじゃダメなの。ずっと昔から好きで、今も好きで、これからもずっと好きじゃないとダメなの。だからまだ、足りないの。これでいいかなあ?」

「す、すみませんでし、た……」


 質問してきた子、すっごく怖がってたけどなんでかな?

 私、すっごく優しいのになあ。


 ちょっと、喋りすぎちゃったかな。

 でも、あの子たちはわかってないなほんと。


 お金でね、人の心も愛も買えちゃうけどね。

 でも、人の思い出は買えないの。


 奏多君がずっと昔から私の事を知ってて、運命の人だったって記憶は、いくらお金を積んでもダメなの。

 

 だからみんなに協力してもらうの。

  

 みんなに。


 学校のみんなにも。


 家族のみんなにも。


 そして。


 街中の、みんなにも。


 

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