第36話 お仕置き

 放課後。

 

 なんら変わりのない教室の空気の中で、俺だけがずっと震えていた。


 お仕置き。

 怜は俺にそう言った。

 言ってから、しかしまた普通の様子に戻った彼女は友人と何もなかったかのように話をして授業を受けて。


 今、隣の席にいる。


「奏多君、かえろ?」

「……ああ」


 さっきのお仕置きとは、あとで説教でもされるということなのか。

 しかし、怜は嘘をついたら死ぬと俺を脅していた。

 だからやっぱり殺されるんじゃないかと。

 不安を拭えないまま、彼女について行く。


「なんか最近平和だね。毎日平凡これ一番ってやつかな」

「……平凡、か」

「うん。元気ないね? 夢のせい?」

「ま、まあ」


 あれは夢だったのか。

 学校から全員の姿が消えて、怜に追いかけられて気絶して。

 鮮明に残るあの情景は、全て俺の脳内でのみ起こった、いわば妄想だったのだろうか。


 ……そんなはずはない。

 でも、こいつと幼馴染だったなんて記憶も一切ないのに周りはそう認識していて、写真もしっかり残っていて、俺だけ覚えていないこともまだ、説明がついていない。


 クラスメイトや家族にうまく取り入っただけとも言えるが、それだと写真の件は説明がつかないし。

 やはり俺の記憶が、あたまがおかしいのではないかという不安はどうしても拭えない。


「なあ、怜」

「んー?」

「あのさ、お仕置きって、なんだ? 俺、嘘なんかついて」

「ついた。私以外いらないって言ったのに」

「え? それは」

「ひどいなあ奏多君は。欲張りなんだもん。だからそんな欲張りさんにはお仕置きだねって。めっ、ってしないといけないなあって」


 少しウキウキした様子で。

 怜は俺の先を行く。


 やがてアパートの前に着くと。

 彼女がコンビニに行きたいという。


「コンビニは潰れてただろ」

「え? 開いてるよー」

「……あれ?」


 確かに、今朝見た時には閉店となっていて、看板の明かりも消えて誰もいなかったはずのコンビニが普通に営業していた。


「あはは、それも夢? 結構長い夢見てたんだ」

「バカな……」

「コーヒー買おうよ。あと、お菓子もほしいな。今日は一緒にゲームしたいし」


 といって、彼女は先にコンビニに入る。

 普段通りの店の中に入って、やっぱりあれは夢だったのかと、俺は肩を落とす。

 いや、夢なら夢でいいんだけど。

 

 だんだんと、思考が濁っていく。

 もしかしたら今こうしていることが夢なんじゃないかとか、さっきまで別世界に迷い込んでいたんじゃないかとか、そんなことを繰り返し想像しながら買い物を済ませて店を出ると、怜が俺にコーヒーを渡してくる。


「はい、これ」

「あ、ああ。ありがと」

「ねえねえ、今日はゲームいっぱいしようね」

「いいけど、お前そもそもゲームなんて好きだったのか? 初めて聞いたけど」

「あはは、好きだよ」


 今日は奏多君でいっぱい遊ぶの。


 コーヒーを一口飲んだ俺は、彼女のそんな一言をぼんやり聞きながら意識を失った。



「……ん?」

「あはは、奏多君起きたんだ。寝ててよかったのに」

「なっ……あ、あれ?」


 目の前に怜がいて。

 慌てて立とうとすると体が動かない。

 見ると、椅子に縛られていた。

 手足をがっちり縄で縛られて。

 動けない。


「ど、どういうことだこれは」

「あのね、お仕置きの時間なの。奏多君が嘘ついたことを認めるまで、いっぱいいっぱいペチンってするの」


 そう言って、彼女は傍にあった袋から何かを取り出す。

 カッターだ。


 キチキチと、それは音を立てて刃をむき出しにする。


「や、やめろ! こ、こんなことして許されるわけ」

「許されるよー? だってここも夢だもん。奏多君が夢見てましたって言えばそれは夢になるんだよ?」

「な、なに言って」

「いくら奏多君の認識がそうでもね。周りの世界の認識が違ったら、それが事実になるんだよ? 奏多君が私を知らなくても、みんながを認識してたら、それが事実ってことなの」

「お、おまえ、それって」

「でも、みんながおかしいのか奏多君がおかしいのか、確かめる方法なんてないよね? だって、人の記憶なんて覗けないし、みんなが知ってる事実がね、真実ってことなんだよ」


 カッターの刃は少し伸びる。

 じたばたと体を動かそうとするが、しかし動くほどに縄がきつくなるような感覚にとらわれる。


「や、やめ……」

「奏多君、いい加減認めてよ? 奏多君がおかしくて、私が正しいって。奏多君が狂ってて、私は正常なんだって。奏多君が忘れてて、私が覚えてるんだって。ねえ、どしてそれがわからないの?」

「わ、わかった! わかったから」

「またその場しのぎの嘘つくの?」


 カッターの刃が、俺の太ももに当たる。

 彼女が、俺を覗き込む。


「ねえ、今朝も変な夢見たっていってたよね? でも、それが夢じゃないってまだ思ってるんだよね?」

「そ、それは……」

「じゃあどうしてみんなは気づいてないの? 今日は誰も遅刻なんかしてないって、先生に確認したらわかるはずだよ? 奏多君、それも嘘をつくの?」

「う、嘘なんかじゃ……」

「まだそんなこと言うの?」

「……」


 カッターの刃が、グッと押し当てられる。

 そのまま引けば、スパッと足の皮膚が切れるだろうほどに強く。

 その痛みに、足が震えて、汗が止まらない。


「み、みと、めるから……俺が、おかしいって、わかった、から」

「ほんと? じゃあ私のこと、ちゃんと思い出そうって努力してくれる?」

「す、する! するし、俺がおかしいんだって認めるから、だからやめてくれ……」


 もう、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 これ以上このままだと、失禁してしまいそうだ。


「……奏多君、ごめんね」

「?」

「私、奏多君がいなくならないかなって不安なの。ある日突然、知らない女の人の夢を見たとかって言って、その人のところにいっちゃわないか心配で。ほら、おばあちゃんちに行った時も、知らない女の人が来たっていってたでしょ?」

「あ、ああ。でも」

「奏多君はちょっと記憶が不安定なんだよ。ね、それだけなんだよ。だから大丈夫だよ。私が全部あげるから。ね?」

「怜……」


 ぼろぼろと泣きだした怜は、縛られたままの俺にキスをする。

 カッターが、カランと床に落ちる。


「んんっ……」

「ん……奏多君、しょっぱい味がする」

「す、すま、ん」

「んーん、おいしい」


 そのまま、怜にずっとキスをされた。

 もう、何が本当で何が嘘なのかも、どこまでが現実でどこからが夢なのかもはっきりしなくなってきた。


 ただ、怜とキスをしている時だけは、ここに自分が確かに存在していると実感できる。


 だからこのままずっとキスをしていたいと。

 このまま、快感に溺れていたいと、そう願ってしまっていた。



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