第35話 おかしな夢
結局同棲の話は勢いでしただけのものだったのか。
怜の引っ越しの話は一旦どこかに消えて。
でも、彼女は当然のように俺の部屋にいる。
「ねえ奏多君、さっきファミレスで話してたことって、本当に信じていいの?」
夜。
寝る前にテレビを見ていると怜が隣で言う。
「うん、嘘じゃない。俺は別に他の女に目移りとかしないし、なんなら怜がいればそれでいいから」
「私以外誰もいらない?」
「……あ、ああ」
嘘じゃない。
俺は今、怜のことが好きだと思っている。
可愛くて一途で健気な女の子として。
ストーカーだとかメンヘラだとかそういう部分も少しずつ直してくれたらそれでいいと思っている。
「そ。だったら必要ないね」
「なにが?」
「んーん、こっちの話。でも、少しずつ変えていくね」
「……ああ」
変えていく、というのは彼女自身の在り方についてだろうか。
まあ、一気にというのは無理な話だし。
そうやって前に進もうと思ってくれるだけで俺は嬉しい。
「寝よう。明日は学校だし」
「うん。じゃあお布団はいろ」
今日は、怜を抱かなかった。
手を繋いで、そのまま自然と寝落ちしてしまっていたのは疲れもあったのだろうけど。
怜に、思っていたことを話せて少しすっきりしたのも大きい。
久しぶりに、心地よい眠りだった。
◇
「あれ、ここ潰れたんだ」
「そうみたい。残念だね」
朝、いつものように朝食を買いに行こうとすると、アパートの前のコンビニがつぶれていた。
昨日の夕方には普通に営業していたような気がしたが、何かあったのか。
それとも、俺が告知を見逃していただけか。
「学校前にもあるから、そっちいこっか」
「そう、だな。でも、ここも結構流行ってたような気がするんだけどな」
「あはは、もう用事ないよ」
怜は店舗跡にぺこりと頭を下げて、そのまま先を行く。
ここで、確か温泉旅行をプレゼントされたんだっけな。
……。
「いらっしゃいませ」
学校前のコンビニは、いつになく閑散としていた。
コンビニが減ったというのにこれはどういうことだと、少し不思議に感じながらも朝食のサンドイッチとコーヒーを買って。
学校に到着すると校庭もやけに静かだ。
「……今日は休みじゃないよな?」
「うん、平日だよ」
「なんで、誰もいないんだ? やけに静かだけど集会でもしてるのか?」
「えー、そんなの訊いてないよ?」
廊下でも誰ともすれ違うことはなく。
静寂に包まれた校舎をゆっくり進んで、教室に。
鍵は開いていた。
でも、中には誰もいない。
「……どういうことだ」
あと十分もすればホームルームが始まる。
というのに誰の姿もない。
おかしい。これは、変だ。
「なあ、怜」
「奏多君、チューしよ?」
「え?」
「学校で、教室でしてみたかったんだ。なんか、いけないことしてるみたいでドキドキするなあって」
もじもじと。
体をよじりながら顔を赤くする時は息を荒くして。
俺にキスをする。
「んんっ……」
教室の入り口でキスをして。
しかし誰もその場にはいなくて。
やがて、始業を告げるチャイムが鳴るが、先生も来ない。
誰も、いない。
「……なんかドキドキするね」
「ま、待て。なんで誰もいないんだ」
「え、だって奏多君がいらないって言ったから」
「……え?」
キスを終えたあと、俺の顔をじっくり鑑賞するように覗き込む怜は、さっきまでの甘い声を少し低くして、言った。
「私以外いらないって、言ったから。だからみんな来ないよ?」
「な、なにわけわからないことを言ってるんだ。そんなこと」
「できるよ? 私、奏多君がいらないって言ったら全部消すよ? あれ? 昨日話したことは嘘じゃなかったんだよね?」
怜は、俺から離れて自分の席に向かう。
そのまま、椅子ではなく机に小さなお尻をとんとのせて。
誰もいない教室で、俺を見ながら言う。
「もう、誰もこないよ?」
その様子に、俺は震える。
彼女が学校中の人間を一晩のうちに消せるなんてもちろん信じられないけど。
でも、まるで別世界に迷い込んだような異常な現状に俺は、思わずその場から逃げ出す。
「う、うわーっ!」
誰もいない廊下を、叫びながら走る。
このままだと、俺まで消されるんじゃないかって恐怖が俺を支配する。
自然と涙や鼻水が溢れながら、やがて校舎を飛び出して正門に。
しかし、正門は鍵がかかっていた。
「あ、あれ……さっきは開いてたのに」
何度強く引っ張っても、動かない。
すると遠くから、怜が歩いてくるのが見える。
「奏多君、どうして逃げるの? 二人っきりだよ? 嬉しいよね?」
「く、くるな!」
「嘘ついたの? もしかして、やっぱりみんながいないと嫌なの? 私だけじゃ満足できないってことなの?」
「ち、ちが……そう言う意味じゃ、なくて」
ここで怜に捕まったらもう終わる。
なぜかそんな気がして、正門をよじ登ろうとしたところで、俺の服が掴まれて地面にたたきつけられる。
「いててっ……」
「奏多君」
「ひ、ひい……」
仰向けに倒れた俺に覆いかぶさるように、怜が覗きこみながら馬乗りになる。
そして、まるで死人のように精気のない表情で、言う。
「嘘ついたら死ぬよって、前にそう言ったよね?」
「う、嘘なんかついてない! お、俺はただ、ふ、普通の学校生活を送りたかっただけだ!」
「どうして? 私だけだと不満なの?」
「そ、そんなこと言ってない! お前が普通に友達と仲良くして、俺も普通にお前といるところを羨まれて、そんな毎日がいいって、お、思ってただけ、なんだ」
だから、許してくれ。
みんなを元に戻してくれ。
泣きながら、声を枯らしながら願った。
すると、
「あー、そういうことなんだ。奏多君って、承認欲求強いもんねえ」
「しょう、にん?」
「いいよ、戻してあげるー。その代わり」
その代わり。
そのあと、彼女が一言だけ俺に言うと同時に、俺は意識を失った。
「おかしなことしたら、今度は死体が教室に並ぶからね」
◇
……ここは?
「お、園城。昼休みまで爆睡とか、やるなあ」
「……え?」
目が覚めたら教室だった。
がやがやと賑わう教室の自分の席で、俺は目が覚めた。
目の前で、クラスメイトの男子が嬉しそうに俺をからかってくる。
「……どういうことだ?」
「まだ寝ぼけてんのか? 顔洗って来いよ」
「……ああ」
さっき、怜に正門も前で馬乗りされて。
泣きながら日常を願ったら、そのまま気を失って。
起きたら元通り。
……なんだこれは?
もしかして、さっきまで夢をみていたのだろうか。
いや、そうでなければ説明がつかない。
あれは夢だったのかと、洗面台で顔を洗ってから鏡を見る。
目が腫れている。
まるで泣きじゃくった後のように、目の周りが赤い。
……。
「奏多君」
後ろから俺を呼ぶ声がする。
「と、怜……」
「どうしたの、気分悪いの?」
「い、いや。ええと、これはどういうこと、だ?」
やっぱり夢なんかじゃないと。
俺は怜に尋ねる。
しかし彼女は首を傾げながら、「なんのこと?」とだけ。
「……いや、さっきまで誰もいなかったのに、なんで元通りなんだ」
「あはは、それって夢の話? 随分うなされてたもんね」
「夢……ば、バカ言うな。あれが夢なわけ」
「どうしてそう言い切れるの?」
「そ、それは……だって、さすがに」
「夢じゃないって、証拠は?」
「……」
あれが夢じゃなかったと、証明するものは何もない。
俺の赤く腫れた目と、さっきまで逃げ惑った記憶によって動悸が激しくなる心臓の高鳴りだけは、あれが夢じゃなかったと確信させるけど。
それでも、あれが夢ではないと証明ができない。
むしろ、俺だけが別世界に迷い込んでいたのではないか。
そんな風にすら、思えてくる。
「おかしな奏多君。きっと怖い夢だったんだね」
「……ああ、怖い夢、だった」
「どんな夢だったの?」
「誰も、いなくなって。お前しかいなくて。それで……」
それで、最後に怜につかまって。
そう言いかけた時に、彼女は俺の方をじいっと覗き込むように顔を近づけて。
おかしいなあっと、呟きながら続ける。
「私がいたんなら、怖くないはずだよね?」
「い、いやそういうわけじゃなくて」
「あはは、困ってる。でもね」
廊下の窓を開けて。
爽やかな風が吹き込んでくる。
怜の髪が風になびく。
そんな後ろ姿を見ていると、そのまま彼女は、振り向きもせずに。
「嘘ついたから、お仕置きだね」
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