第32話 回る寿司を食べて

 赤ちゃんがほしい。

 その言葉の真意までを、俺は確かめることはなかった。


 あくまで動物の赤ちゃんがほしいということか。

 それとも、自身が身籠りたいということか。

 訊くだけ無駄というか、聞いたところでそれに応えてやれることなんて一つもないのだから。

 

「……ご馳走様。おいしかったよ」

「うん、よかったあ。いっぱい食べて、うんと精をつけないとね」

「……」


 機嫌はいい。

 しかし、怜の機嫌があまりに良すぎるというか。

 幸せに浸りすぎて、よからぬ妄想が働きまくっているという感じすらする。


「赤ちゃん、いいなあ。えへへっ、絶対かわいいよねえ。ほしいなあ。うん、絶対ほしい」


 うんうんと。

 一人で勝手に納得して。

 その後、そっと弁当箱を片付けると、らいおんのぬいぐるみを紙袋に戻してからお茶を飲んで。

 

 なぜか俺にキスをしてきた。


「んっ!?」

「んん……んんっ、ん」


 また、別の意味で多くの人からの視線を感じたが怜は離してくれず。

 やがて、糸を引きながら唇を離す彼女は、少し息を荒くしながら顔を朱くして、俺に言う。


「奏多君、えっちしたい」

「え、ま、まだ昼間だし、それに」

「じゃあ、夜はしてくれる? 昨日も何もしてないから、奏多君がほしい」

「……」


 火照った様子の彼女は、その綺麗な顔を俺から離さない。

 間近で見つめ合って、やがて俺が首を縦に振るとニコッと笑って。


 何か得心した様子でそっと立ち上がった。


「楽しみだね、夜が」


 そう言って、荷物を手にする怜に俺は黙ってついて行く。

 キスをするたびに、心臓が張り裂けそうになってうまく言葉が出てこなくなる。

 唇を重ねる度に、怜に感情移入してしまうというか、こいつのことしか考えられなくなる。

 だから今は迷ってしまう。

 赤ちゃんが欲しいという怜の言葉を、即座に否定できない。


 そういうことをしたいという自分が、少しだけ見え隠れし始めて。

 それを自覚して、やはりいけないことだと理解して。

 でも、怜に手を繋がれると、またよからぬことばかりが頭をよぎって。

 

 そんなことの繰り返しで、動物園デートは幕を閉じた。


「さて、移動して晩御飯食べないとだね」


 今日の夕食は寿司。 

 回転ずしデートということで、俺も久々の寿司を少し楽しみにしていた。


「駅前にあるところか? 行ってみたかったんだよな」

「あそこっていつも人いっぱいだから早く行かないとね。何食べよっかなあ」


 駅に向かう途中。

 今朝、怜によって駆逐された連中が横たわっていた道を通った。

 しかしもちろんと言うべきか、誰もそこにはいなくて。

 何か事件で騒がれたような様子も周囲には感じられず。

 彼女が捨てたスタンガンも、どこにも見当たらず。


 ただ、そのことについては触れることはなかった。



「いらっしゃいませー」


 店に到着すると、すぐに四人掛けの席に案内されて。

 しかし、怜は向かい側ではなく俺の隣に座る。


「お、おい」

「えへへっ、だってここテーブル大きいから遠いもん。奏多君の近くがいいなあ」

「まあ、いいけど」

「あ、私海老とって。あと、サーモンとたまご」

「はいはい、待ってろよ」


 レーン側に座った俺が皿をとると、怜はまるで初めて寿司を見た子供のように目をきらきらさせて。

 ぱくっとたまご握りを頬張ると、嬉しそうに目を細める。


「んー、おいひいね」

「俺も何か食べようか。ええと、ハマチと、カズノコと」


 寿司を食べている時の平和な空気は、いままでこいつと一緒にいる中で一番じゃないかと思うくらいに穏やかだった。


 怜はそれくらい寿司に夢中で。

 流れてくるネタを見てはワーキャー騒いで俺にねだって。

 そんな楽しいひと時のせいで、今朝のことや、動物園での発言なんてすっかり忘れてしまっていて。


 積みあがった皿を見ながらあがりを飲んで落ち着いていると。

 怜は少しうとうとしていた。


「大丈夫か? 眠いならさっさと帰ろう」

「うん、ちょっと疲れたのかな」

「朝早かったからな。帰ったらゆっくりしよう」

「じゃあ、帰りはおんぶしてくれる?」

「……わかった」


 席で会計を済ませ、店を出るとすぐに怜が背中に飛び乗ってくる。

 軽い。お世辞ではなく本当に軽くて。

 程よく彼女の体重を感じながら、アパートに向かう。


 すっかり辺りも暗くなり始めていて。

 すれ違う人もほとんどいない。

 怜も、そのまま眠ってしまったのか、スース―と音をさせながら沈黙する。

 なんか平和だ。穏やかに時間が流れてるのを実感する。


 結局、怜のさじ加減というか気分次第なんだよな。

 こいつが楽しそうにしてたら、俺も嫌な気はしないわけだし。

 これからはこいつが怒らないような行動を心がけよう。

 そうすることが、やっぱり一番いいんだ。


 やがて、部屋につくと俺のベッドで怜を寝かせて。

 お茶を飲みながらテレビをつける。

 少し音量を下げながらチャンネルを回していると、速報と書かれたテロップが画面に現れる。


 今朝、路上で女子をスタンガンで襲おうとした高校生三人組が、逮捕されたというものだった。

 詳しい事情はあまり報道されていなかったが、いずれも容疑を認めているというワードを見て、ただの偶然かと。

 まさか今日の連中が、被害者としてではなく加害者として逮捕されるなんてことはあり得ないだろうと。

 それに、捕まったところで認めるわけがないと。


 だから偶然だ。

 こういう事件は結構あることなんだ。

 それに怜がやったことは、多分あいつらが目を覚ましてから怖くなって口を閉ざしてるだけだろう。


 そうに違いない。

 違いないと、振り返って怜を見る。


 すると、大きく目を見開いた彼女がこっちをじっと見ていた。


「わっ……お、起きてたのか」

「ニュース、気になるの?」

「え? いや、べ、別に」

「ふうん。でも、最近は怖い人が多いね」

「……そうだな、気をつけないとな」


 すると怜はゆっくりと体を起こす。

 そして、俺の後ろにそっと近づいてきて。

 優しく抱きしめるように、俺の背中にもたれる彼女は耳元で。

 

 息を吐くように。

 でも、はっきり聞こえるように、言う。


「冤罪って、覆ること、ほとんどないんだってね」

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