第31話 子供って可愛いよね

「見て見て、ペンギンがいるよー」

「……」

 

 あの後、道に倒れた連中を俺は放っておけず。 

 道の脇に移動させて座らせた。

 しかし、全員意識を失ったまま。

 人通りが極端に少ない場所とあって、助けを求めるにも誰もいなくて。

 やがて怜が「早くして」と。


 その言葉には力がこもっていて。

 俺は泣く泣くその場を離れることとなった。


 ただ、容赦なくスタンガンを振りかざす怜に、俺は怯えていた。

 危ないとか、狂ってるとか、そういう次元ではない。

 

 何もかもが、ズレている。

 感性も、理性も、すべてが俺の知っている人間とは違う。

 彼女にとっての正義は、俺たちの邪魔をする人間の排除。

 それに躊躇は一切ない。


「ねえ見て、あの子だけちっちゃくてかわいい。子供なのかなあ」

「……」

「奏多君?」

「あ、ああ。うん、そうだね」

「あとでぺんぎんのぬいぐるみも買っちゃおうかな」


 あんなことがあったのに、怜は普段通り笑っている。

 いや、あの時も笑っていたっけ。

 こいつは、いつも笑っている。

 時々、泣くけど。


「楽しいなあ。ねえ、もっと他も見ようよ」

「……ああ」


 さっきの連中が気になりすぎて、正直動物園を楽しむ気分になんかなれない。

 だからさっきからずっと、生返事を繰り返すだけ。


 ただ、そんな俺を彼女は見逃さない。


「奏多君、さっきからどうしたの? 楽しくないの?」

「い、いやそうじゃない、けど」

「けど? もしかして、さっき道に転がってたゴミのことが気になるのかな? ポイ捨てはよくないもんね。奏多君って、やっぱり優しいんだね」

「あ、いや、それは」

「でも、それが気になってデートが楽しめないのはかわいそうだから、綺麗に始末するね。やっぱり邪魔しかしないんだね、あいつらは」


 そう言って、怜はおもむろに携帯でどこかに電話をかける。

 なぜかはわからないが、その電話を止めなければ大変なことになると、そう直感した俺は彼女の手をおさえて、携帯を遠ざける。


「ま、待て。お、俺はあんなやつらのこと、気にしてないから」

「そ。だったら楽しも?」

「わ、わかった」


 俺がこれ以上あいつらのことを引きずるのは結果的にあいつらに危険を及ぼすことにしかならない。

 だから忘れようと。

 そう、心に決めた。


「奏多君、奏多君」


 ちょうどお土産コーナーのあたりで。

 俺の服をくいっと引っ張りながら怜が呼ぶ。


「どうした? ほしいものでもあったのか」

「見て、ライオンの赤ちゃんだって」

「へえ」


 生まれてまだそんなに日が経っていないライオンのあかちゃんを、係の人が大事そうに抱えて、お客さんに披露していた。

 まるで猫のように小さく、きゅうきゅうと可愛らしい声をあげるそれに、通りゆく人も足を止めて、段々とギャラリーが増えていく。


「可愛い……すっごく可愛い」

「なんなら近くまで行くか?」

「うん。抱っこさせてくれないかなあ」


 幸い、近くにいたこともあって、最前列あたりでその姿を見ることができた。

 もぞもぞと、恥ずかしそうに動く赤ちゃんライオンに皆が夢中だ。

 怜も、仕草を見せるたびにキャッキャとはしゃいで。

 その様子を見た係の人が、なんと怜を指名した。


「お嬢ちゃん、よかったら抱っこしてみるかい?」

「い、いいんですか?」

「ああ、優しくしてあげてね」


 そっと、係の人からそれを手渡されると、怜は「うわあ」っと声を出してその子を抱く。

 それがあまりにも様になっていて。

 怜のあまりに端麗かつ、少し幼さの残る天使のような姿と相まって、周りからは「かわいい」という声が漏れ始め。


 写真を勝手にとる連中まで現れて。

 そんな中で怜は、大事そうにらいおんの赤ちゃんぎゅっと抱きしめながら。

 やがて名残惜しそうに係の人に返していた。


 その後、ライオン赤ちゃんもミルクの時間だということで連れていかれて。

 ギャラリーは散っていく。


「奏多君、すっごく可愛かった!」

「ああ、よかったな」


 目をキラキラさせて喜びを爆発させる怜は、やっぱり無邪気な女の子にしか見えない。

 それに、さっきらいおんの赤ちゃんを抱えていた時のこいつなんて、まるで天使のように穏やかな顔をしていた。

 あんな顔ができるのに、どうしてこいつは狂気に走ってしまうのだろうか。

 まあ、それだけ嫉妬深いというだけなのかもしれないけど、普段からあれくらい穏やかだったら、俺も……。


「奏多君、ぬいぐるみ買いに行こ? さっきの子を抱っこしてたら、ほしくなっちゃった」

「ああ、わかった。可愛いのがいるといいな」

「うん!」


 あの子のおかげか、いつにも増して怜が上機嫌だ。

 機嫌がよくなるほどに明るくなって、笑顔がまぶしくて、可愛くて。

 普段は濁った目の奥も、今はとても澄んでいる。

 ニタっと口角が上がる口元も、今は自然な笑みを見せている。

 時々低くなる声も、今は聞こえない。

 澄んだ、でもとても女の子らしい声で彼女は甘えてくる。


「あー、あったよらいおんちゃん! これ、さっきの子とそっくりだね」

「確かに。なら、それ買おうよ」

「わーい。じゃあ、買ったらご飯にしよっか。サンドイッチ持ってきてるからね」


 早速、ぬいぐるみを買ってからふたりで近くのベンチに腰掛ける。

 

 買ったばかりのぬいぐるみを、彼女は大切そうに膝に乗せたまま。

 お弁当箱を取り出すと、そこにはぎっしりとサンドイッチが詰まっていた。


「お、うまそうだな」

「ほんと? よかったあ。いっぱいあるからいっぱい食べてね」


 もちろんというか、怜の作ったそれはうまかった。

 味も様々で、ジャムやハムサンド、たまごサンドも絶品だった。


 時々、俺たちのことを見ながら羨ましそうにしている客がいることに気づく。

 多分、あの人たちから見れば俺と怜は理想のカップルなのだろう。

 他人にそうやって認識されるというのも、悪い話ではない。

 内情がどうとか、実はこうだとかそんなこと以前に。

 羨まれるというのは、いい気分だ。


「ねえ、奏多君。私、ほしくなっちゃたなあ」

「ほしい? さっきの赤ちゃんか? いや、ライオンは飼えないだろ」

「うん、でも赤ちゃんほしいなあ」

「猫を飼うにしても、アパートはペット禁止だし。まあ、高校生の間は」

「赤ちゃんほしいよね」

「……だからそれは」

「赤ちゃん、ほしくない?」

「……」


 さっき買ったぬいぐるみを撫でながら。

 まるで壊れた人形のようにずっと、それを同じ動作で繰り返し撫でながら。


 彼女は遠い目をしたまま、言う。


「赤ちゃん、ほしいね」

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