第26話 夢の中へ


「お待たせ、風呂あがったぞ」


 部屋に戻ると、綾坂は一人で本棚にあった小説を読んでいた。


「あ、奏多君おかえり」

「風呂、最後に湯を抜いといてくれ。あと、タオルは」

「二段目の引き出しの白いのが来客用だよね」

「あ、ああ」


 当たり前のように。

 綾坂は何でも知っている。

 多分、この家のどこに何があるかなんて、全て把握してるのだろう。

 まあ、今となってはそれもどっちでもいい。

 もしかしたら本当に俺の記憶がないだけで、こいつが幼馴染だった可能性もあるわけで。


 そう思うようにしようと決めたのだから、それでいい。

 それでいいんだ……。


「じゃあ、お風呂借りるね」


 綾坂はさっさと部屋を出て行く。

 その後で、机の上に置かれたままの卒業アルバムにふと目がいく。

 

 そして捲ってみると、やはり綾坂は俺と写っている。

 しっかりそこに、彼女はいる。

 もしこれが合成だとしても、だとしてもこれをすり替えるタイミングなんて全くないんだ。


 卒業式を終えてからこのアルバムは、すぐにこの家に運び込まれて。

 ばあちゃんにこれを見せた後は、ずっと部屋の保管庫に鍵をしてしまってあった。

 動いた形跡もなかったし。

 最初からこうだったとしか思えないのだ。


 それに、同級生のものも全部同じだったとしたら、やはりこれが本物であることを証明するだけだし。

 綾坂も、そんなバレる嘘はつかないだろうし。

 ……やはり、俺がなんらかの理由で彼女のことを覚えていないと考えるしかないのか。


 でも、なんで?

 どうして記憶がなくなった?


 ……何か事故でもしたのだろうか。

 いや、記憶がないんだから、わかるはずもないか。



 はあ、いいお湯だなあ。

 奏多君が入った後のお風呂。最高に気持ちいいなあ。

 奏多君の汗が染みこんでるんだって思うと、興奮しちゃう。

 えへへっ、体綺麗に洗っておかないとね。


 ふふっ、卒アル見た時の奏多君の顔もよかったなあ。

 でもー、卒アルで確かめようだなんてことするからいけないんだよ、奏多君。

 すり替えなんて、してないけどね。

 最初っから、あの状態でんだけどね。

 まさか仕上がりの段階ですでに変わってるなんてわかんないよね。

 それに奏多君って誰とでも仲良くて、誰とも仲良くなかったから。

 私と写ってる写真があったって、誰も疑問に思わない。

 誰も私のことなんか覚えてなくても。

 誰も不思議に思わない。


 結局、人の思い出なんてそんなものだもん。

 見たいものを、見たいようにしかみない。

 見たくないものは見ないようにして。

 いいことは自分のものにして。

 悪いことは人のせいにして。


 あはは、おもしろーい。

 さてと、今日は奏多君にいっぱい優しくしてもらおっと。



「お待たせ、奏多君」

「ああ、早かった、な……」

「どうしたの?」

「あ、いや」


 濡れた髪を拭きながら部屋に戻ってきた綾坂に、思わず見蕩れてしまった。

 色っぽい、艶っぽい彼女の姿に加え、少し薄めのパジャマ姿には可愛さといやらしさが同居したような、そんな背徳感がある。


 これから一緒に寝る、というのか。


「ねえ、髪乾いたら一緒にねよっか」

「……そう、だな」

「どうしたの? 奏多君はもしかしてエッチなことに興味ないの?」

「そ、それは」

「あるよね。えっちな本とか買うの嫌いじゃないもんね」

「……まあ」


 嫌いなわけがない。

 俺も健全な男子高校生だ。

 むしろ早くそういうことをしたいと、いつも思ってた。

 だけど、本当にこんなままでいいのか。

 何も理解できないまま、言われるがままに彼女を抱くのが正解なのか。

 仮に俺が記憶喪失だったとしても、何も思い出せないまま放っておいていいのか。


「電気、消すね」


 ぱちんと、部屋の灯りが消えて真っ暗になる。

 そのまま、自然と布団に入りこむおれに寄りそうように綾坂も隣に来る。


「えへへ、暗くても顔見えるね」

「月明りが、今日はまぶしいな」

「月が綺麗って、言ってくれたの?」

「……」


 そんなロマンチックな告白をする余裕なんて俺にはない。

 この後、どうすればよいかを必死に考えているだけで頭がパンクしそうだ。


 綾坂の胸が、当たる。


「ねえ、ちゅーしよ?」


 もう、そうやって求められるのが自然というか、それを期待してるまであったかもしれない。


 綾坂のキスは、しっとりとしていて、でもしつこくなくて。

 絡めとるように俺の理性も思考も判断力も奪っていく。

 やがて俺の手は自然に彼女の胸へ向かっていく。


 吸い寄せられるようにそのやわらかなふくらみに到達すると、綾坂は「ああっ」と、艶めかしい声をあげる。


「ご、ごめん」

「んーん、いいよ……奏多君は好きにしてくれて、いいよ?」

「……」


 暗闇の中で、しかし確かに伝わるぬくもりに俺の頭は考える力をすっかり失くしていて。

 そのあとは、よく覚えていなかった。


 覚えてないなんて、やっぱり無責任な言い方なのかもしれないけど。

 でも、気が付いたら眠ってて、目が覚めたら隣に綾坂がいて。

 裸のまま、身を寄せ合っていて、そのまま少し明るい部屋で昨日の記憶をなぞるようにまた肌を重ねて。


 そんな風にして、彼女を何度も抱いた。

 初めて、女の人を抱いた。

 もしかしたらこれが初めてではなかったのかもしれないけど、俺の記憶に初めて刻み込まれた女性の体の感触は、多分今度は一生忘れないと、確信できるほどに気持ちよくて。

 まるで夢の中の出来事のようだった。



「じゃあ、気を付けてね二人とも」


 朝食を食べて、母さんに駅まで送ってもらって綾坂と二人で電車に乗る。

 まだ、昨晩から続く気まずさによって黙ったままの俺に対し、綾坂はすっかり嫁気分でかあさんに応対していた。


 そして、母さんの車が遠くなっていくのを見送ると、そっと綾坂の手が俺に絡む。


「ふふっ、戻ったらまたいっぱいしようね」

「……」

「照れてるの? かわいいね、奏多君って」

「……恥ずかしいだろ、普通」

「あはは、そうだね」


 すっかり長い時間を過ごした恋人のように綾坂が見えてくる。

 昔の思い出も、なぜか綾坂とは共有できてしまうから、錯覚してるだけなのだろうけど。

 でも、俺の記憶が正しいと証明する手段は一切なくなった。

 唯一の手掛かりであったアルバムには綾坂がいたし、俺と綾坂が知り合いだったかどうかを確認できるほど仲のよかった友人はいないし。

 

「ねえ奏多君、明日からは学校だね」

「……そうだな」

「一緒にいこうね、学校」

「いつもそうしてるだろ」

「あ、そうだね。一緒だもんね」

「……ああ」


 もう、いつからこいつと一緒にいるのかがよくわからなくなった。

 でも、わからなくてもいいやって思った。


 多分これが幸せなんだって。

 こんな風に誰かに愛されることが幸せだって。


 綾坂怜は。

 俺の幼馴染で。

 俺の彼女なんだって。


 俺は、そう思うことにした。

 

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