第24話 卒業アルバム

 綾坂怜という危険極まりない人物に、安全なんて言葉は似合わない。

 こいつがやってきてからの日常は常に危険と隣り合わせで。

 安息も、安心も、安寧もなにもない。

 そんな彼女が言った。

 安全な日だと。


「そ、それって」

「あはは、わかってるくせにー。それに彼女いなかった奏多君の部屋に、そういうものは置いてないもんね」

「……」


 俺だってもう高校生だ。

 綾坂の言おうとしていることの意味くらい、分かる。

 ただ、なぜ急にそんな話をした?

 話を逸らしたかったのか?

 俺が何かを勘ぐっていることを警戒して、誘惑しようとしてるのか?


 ……やっぱり、怪しい。


「なあ怜、今日知らない女の人がここにやってきたんだ」


 俺は、留守番中の謎の来客について彼女に話すことを決めた。

 これで嫉妬されて刺されそうになったところで、今はすぐそこに母さんもいるわけだし危害を加えたりはしないだろう。


 だから今しかないと。

 あれが本当に俺の記憶にない俺の知り合いなのか、それともでっちあげなのかを確かめないと。


「へえ、その人はどんな人なの?」

「同い年くらいだった。そして、俺のことを知ってた。俺はその子のことなんて記憶にないのに」

「ふーん。なんて子なの?」

「……咲、とか言ってたな」

「咲ちゃんかあ。可愛い名前だね」


 俺はいつ綾坂が噴火するかドキドキしながら話を進めていくが、彼女は終始冷静で。

 またみかんは宙を舞って彼女の手に納まる。


 そのあと、少し沈黙があった後に彼女が言う。


「でも、覚えてないのは奏多君だけかもしれないよね」

「……まあその可能性は否定できないけど」

「でも、案外卒業アルバムでも見たら思い出すかもね」

「アルバム……」


 その言葉に、俺ははっとする。


 俺の記憶が不確かで疑わざるを得ないものだとしたら、やはり写真やアルバムなんていう過去の記憶に頼ればいいんだと。

 そうすれば、こいつが過去に俺と一緒にいたかどうかもわかる。

 写真は嘘をつかない。


「アルバム、持ってくるよ」


 俺は少しだけ気分が高揚していた。

 珍しくあいつは墓穴を掘ったと。

 気が動転してすっかりアルバムのことなんて忘れていた俺に救いの手を差し伸べたのだから。


 中学の卒アルなんて、多分もらった時に自分の写真うつりがいいかどうかを確認したくらいだけど。

 多分修学旅行の時の写真や、クラスの集合写真もあるはず。


 それを見れば一目瞭然、か。


「ええと確かこの辺に……あった」


 引っ越しが多いので、あまり使わないものや大切なものは基本的に祖父母の実家の部屋に置いてあったのが幸いした。

 それに大切なものを保管してある道具箱の中には、まあ、ちょっとえっちな本とかも一緒に入れてあって。

 親に見られたくないからナンバーロックキーで施錠までしてる。

 つまり綾坂が何か手を加えてすり替えたりも不可能だ。


 少し埃っぽいアルバムを持って、俺は再び綾坂のところへ行く。

 

「あったぞ」

「わー、懐かしい。見よ見よ」

「……」


 懐かしいとは、また随分と演技派だなと。

 でも、そんな嘘もこれをめくればお終いだからなと。


 適当にページを捲ると、そこには俺がピースをしてカメラに映った写真が。

 隣には……綾坂?


「な、なんだこれ?」

「あはは、これは遠足の前に一緒に撮ったやつだね」

「ま、待て……こんな写真、知らない」


 何かの間違いだと。

 そう信じたくて次のページを捲るとそこにも俺の写真が。

 綾坂と、一緒にお弁当を食べている写真だ。


「……うそ、だよな」

「懐かしいねえ。奏多君、ちょっと幼くてかわいいねえ」

「……う、嘘だ!」


 思わず机をたたいて、叫んでしまった。

 キッチンから母さんが、「しずかにしなさい」と注意してくる。

 ただ、正気でなどいられない。

 俺の知らない思い出が、アルバムには確かに残っているのだから。


「どうしたの奏多君?」

「お、お前……何をした?」

「えー、私は何もしてないよ?」

「お、俺のアルバムをすり替えただろ。そうじゃないとこんなもん説明がつかない」

「あはは、面白いこというね奏多君。でも、私はそんなことしてないよ?」

「だ、だったら」

「ちなみに私も持ってるよ。あと、そんなこと言うのなら中学の同級生のみんなにアルバム見せてもらえば?」


 綾坂は少し不機嫌そうにそう語る。

 なんでこいつが俺の中学の卒アルを持ってるんだと、ふと気になってクラスのページに戻るとそこには、見覚えのある顔が。


 綾坂怜。

 写真の下にそう書かれた女の子の少し硬い笑顔が、そこにはあった。


 同じクラスの。

 女子の一番先頭に。

 綾坂がいる。

 ただ、もちろん俺は知らない。


「……」

「奏多君って、友達多かったよね」

「そ、それがどうした」

「いっぱいモテたよね。毎日ラブレターもらって、大変だったもんね」

「だ、だからそれがなんだと」

「でも奏多君は、誰とも深く関わらなかったもんね」

「そ、それは……」


 言われてみて、改めて考えてみると綾坂の言う通りで。

 俺は人気者としてチヤホヤされる反面、親友や彼女という心を許した人間が一人もいなかった。

 均等に、なんとなくチヤホヤされるのが楽しいだけで、誰ともそれ以上関わろうとせず。

 どうせまた引っ越したら人間関係なんてゼロに戻るからと。

 そうやって人と深くかかわってこなかったのもあるが。


 ……いや、だから何だという話だ。


「何が言いたい?」

「んー、そんな奏多くんがね、昔のことを覚えてなくても仕方ないんじゃないかなあって。私はちょっと寂しいけど」

「一緒に写真を撮った人間なんて忘れるはずない、だろ」

「へえ。じゃあ運動会の時に一緒に写真撮った人、全員言って?」

「そ、それは……」

「ほら、忘れてる。そういうことだよ、奏多君。覚えてないからって、なんでもかんでも私のせいにしないでほしいな。私はちゃんと覚えてるのに。なんで人のせいにしちゃうかな? ねえ、なんでかな? 謝ってくれるかな? 私、傷ついたんだけど」


 持っていたみかんを、ぽんと籠の中に戻すと。

 果物を食べるために置いてあった小さなフォークをそれにぶすりと刺す。


「あ……」

「ねえ、謝ってよ。私、このままだったら奏多君のこと」

「ま、待て……お、俺が悪かった。覚えてないのは事実だけど、それで傷つけたのなら謝るから」

「じゃあ、私たちが幼馴染だって、わかってくれた?」

「あ、ああわかった。わかったからそのフォークを離せ」

「……うん。よかった、奏多君は優しいね」


 綾坂はフォークを力強く引き抜いてからテーブルにカランと放り投げる。

 少しみかんの汁がしたたるそれがこっちに転がってくるのを見ていると、綾坂がアルバムをそっと手に取って、パタリと閉じる。


「奏多君、もうアルバムはいいから部屋に行かない?」

「……部屋にはテレビないぞ」

「知ってるよ。それにトランプやリバーシがあることも知ってる」

「……それで遊びたいのか?」

「どうかなあ。でもとりあえず仲直りのちゅーはしてほしいなあ」


 とか言って。

 唇をペロッと舐めてから綾坂は席を立つ。

 その後、俺を引っ張って、部屋に行こうと甘えてくる。

 そんな彼女の様子を見て母さんも、「ゆっくりしてなさい」と気を利かせてくれて。


 部屋に戻る。

 もちろん他人をこの部屋にいれるのは初めてだったのだけど。

 彼女は横で「懐かしいね」と呟いて。


 さっきのアルバムの件といい、これまでの状況といい、一体俺はどうなってしまったんだと頭を抱える。

 そして先にベッドに腰かけて足をブラブラさせる綾坂は、隣をポンポンとして「ここ、来て」と。

 言われるがままに隣に座ると、彼女は何の前触れもなく俺に抱きついてキスをする。

 少しびっくりしたが、あまりに強く抱きしめられて、やがて力が抜けていく。

 するすると、彼女の手が俺の全身を舐めるように這って。

 やがて唇を少しだけ離した彼女が、俺に息を吹きかけるように、言う。


「えっち、しよ?」

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