第23話 エキストラ


「お母さん、奏多君のは味付け濃いめでしたよね」

「ええ、さすが怜ちゃんよくわかってるわね」

「えへへ、だってもう何年も彼のご飯作り続けてるんだし」

「ほんと、それなのに奏多ったらいつになっても怜ちゃんのこと、ちゃんと紹介してくれないんだものね。今日こうやって二人で一緒に帰ってきてくれて嬉しかったわ」

「奏多君は照れ屋さんだから。あ、ちょっとコンビニ行ってきますね」

「ええ、気をつけてね」


 お母さんとこうして料理をするのはいつものこと。

 中学のあの日から、ずっとずっと私はこうして奏多君のお母さんと仲良くしてる。


 最初は料理教室で。

 奏多君の彼女ということで挨拶をして、近づいてから仲良くなるのに時間はかからなかった。

 奏多君から親に言うなと釘を刺されてるから知り合いだということは黙っててほしいと言って。

 初めてこっそりおうちに入れてもらった時はドキドキしたなあ。

 奏多君がやってきたらどうしようって、ハラハラしてたなあ。


 なんか懐かしい思い出だなって。

 そんな中学時代を少し振り返りながら私はコンビニへ。


 でも、何かほしいものがあるというより、人に会いにだけど。


「あ、綾坂さん」


 コンビニの駐車場で待つ女の子。

 名前は確か咲ちゃんだっけ?

 女優志望で、とっても演技が上手なんだよねえ。


「咲ちゃん、ご苦労様でした。はい、これお礼ね」

「あ、ありがとうございます。あんなのでよかったんですか?」

「うん、とっても。じゃあ、早くこの街から去ってくれる? 奏多君に会ったら面倒なんで」

「は、はい」


 彼女はきっといい女優さんになる。

 応援してあげようっと。

 ま、奏多君にちょっかい出すようだったら殺すけどね、あはは。


 まあ、そういうこと。

 クラスのみんなも、咲ちゃんも、みーんな私のエキストラ。


 ぜーんぶ私が用意したものなんだって、奏多君は知らないもんね。


 そんなことができるはずがないって、思ってるもんねえ。

 でも、できちゃうんだよ? お金があればね、立場があれば、ね。


 奏多君は想像したこともないかなあ。


 学校も買えて、人の人生も買えて、街も買えるような大富豪だったら、その街全体が演劇の舞台みたいになっちゃうんだって、奏多君には考えも及ばないかなあ。


 あはは。


 奏多君の困ってた顔もかっこいいなあ。

 えへへっ、出会う前から私のこと知っててくれるなんて、すっごくロマンチックだよねえ。

 それにそれに、ああやって刷り込んでいったらね、奏多君ったら勝手に自分の記憶がおかしいのかなって疑いだして。


 だからトドメに咲ちゃん使って疑心暗鬼にさせてから、私が優しく慰めてあげる作戦、うまくいったなあ。

 もう、奏多君は私にメロメロだよねえ。


 あはは、帰ったらいっぱいイチャイチャしちゃおう。

 撫で撫でしてもらってー、ちゅーもいっぱいしてー、今日はその先まで……。


 そーいえば童貞じゃないって言ったら驚いてたっけ?

 そんなわけないのにねー。

 奏多君は穢れを知らない綺麗な体なのにねえ。

 うーん、なんて誘おうかなあ。

 あの時みたいに抱いてよ、とかいいかなあ。


 あははは、おもしろーい。

 奏多君、大好きー。


 あはは、あはははは!



「ただいまー」


 そんな声が玄関の方からきこえて、うっすらと目が覚めた。

 綾坂は、どこかに出かけていたようだ。

 買い出しか、それとも散歩にでも行ってたのか?


「おかえり怜ちゃん、そろそろ奏多をおこしてきて」


 やがて母さんがそう話すと、綾坂はすぐに俺の部屋の扉をノックする。


「奏多君、起きてる?」

「……ああ、目が覚めた」

「そっか。今日は奏多君の好きなロールキャベツにしたからね。早くきてね」


 綾坂は部屋にくることなく、足音をさせて戻っていった。

 すぐに体をおこして部屋を出ると、廊下に美味しそうな匂いが漂っている。


 懐かしい。

 母さんのロールキャベツは絶品だからなあと、振り返ったところでこの記憶も正しいものなのかわからなくなる。


 多分、あれも綾坂が作っていたのだろう。

 でも、俺はそれを知らずに食べていたのか、それとも……


 自分の記憶という一番確かなはずのものが揺らぎ始め、俺は疑心暗鬼に陥っていた。


 何が正しいのかが全くわからなくなった。

 俺は、自分を信じることができなくなった。


 ただ、目の前のことだけは間違いなく現実だ。

 キッチンで仲睦まじく料理をする母さんと綾坂。

 その光景に偽りはない。


「奏多、早く明日に座りなさい。今日も怜ちゃんが作ってくれたのよ」


 今日

 やはり、母さんにとってもそれが当たり前のことで。

 俺だけが覚えていないことなんだ。


「……いただきます」


 見覚えのあるロールキャベツは、味も懐かしいあの頃のものだった。

 もう、何がなんなのかさっぱりだ……


「どうしたの奏多君、お口に合わない?」

「い、いやうまいよ。でも、これも以前からお前がずっと作ってたのか?」

「そうだよ? だから懐かしいでしょ」

「……」


 一瞬、気が遠くなっていた。 

 そして、綾坂が俺のために嬉しそうに料理を食卓に並べてくれる光景が、なぜか頭に浮かんだ。

 

 存在しない記憶。

 でも、こんな景色を俺は忘れているのではないかと、妄想して勝手に頭の中で補完しかけていて。


 やがて我にかえる。


「……違う、やっぱりおかしい」

「どうしたの奏多君?」

「いや、どう考えても俺はお前と」

「じゃあ私が嘘ついてるっていうんだ」

「……」


 まあ実際そうなんだけどと言いたいが。

 でも、それだと説明がつかないことがあまりに多すぎて、即答することができず。


 すぐに母さんがやってきてこの話題は一度途切れる。

 黙々と食事を口に運ぶ間、仲良さげな怜と母さんの様子を見て、また悩んで。


 そのまま食事を終えて、かあさんが食器を片付けてくれている時のことだった。


 テーブルの上のみかんを手にとった怜は、それをぽんとお手玉のように浮かせながら、こっちも見ずに語りだす。


「奏多君は、まだ私が嘘をついてるって思ってるんだね」

「い、いやだってそれは」

「恋人に嘘ついたらダメだよって、言ってるじゃん」

「……」


 遠回しな言い方だが、つまりは綾坂が俺に嘘をついてはいないと。

 そう言いたいのだろうが、しかしこいつが真実を語っているとは思い難い。

 少し前なら、ふざけるなと言って終わりなんだけど、今は……。


「あはは、心配しなくても奏多君はおかしくなんかないよ」

「どういう意味だ」

「さあねー。でもでも、一つだけいいこと教えてあげるね」


 何度も宙に舞うみかんを、より一層高く天井すれすれまで放り投げた綾坂は、やがてそれをキャッチするとこっちを見て笑う。


 そして、言う。


「今日は私、安全な日だからね」

 

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