第22話 疑心暗鬼

「ねえ見て、お母さんにお洋服買ってもらったんだ。可愛いでしょ」


 帰るや否や、嬉しそうに話しかけてくる綾坂を見て、俺は言葉を失う。


 こいつが現れてから。

 いや、こいつの名前を聞き始めた頃からずっと、俺の周りは様子がおかしい。


 知らない人間と勝手に恋仲にされて、母さんも友人も、皆その存在を知っていて。


 でもそれが綾坂だけだと思っていたら、また別の見覚えのないが現れて。


 俺、頭がおかしくなったのだろうか。


「……」

「どうしたの奏多君? 気分悪いの?」

「あ、ああ。ちょっと疲れたから、一人にしてくれないか」


 そう言い残して、部屋に向かった。

 珍しく、綾坂は俺に何も言わず。

 まあ、何か言ってきたところでそれを聞く余裕なんてなかっただろうが。


 昔使っていた部屋はそのままで、しかし埃っぽくないあたり、定期的に掃除をしてくれていたのだろうと、すぐにわかった。


 ありがたいなと、今はそんな些細なことにも感謝しながらマットだけのベッドに寝転がる。


 自重じじゅうできしむベッドの音を聞きながら、頭を抱える。


 俺、もしかして記憶喪失にでもなってしまったのか?


 いや、それらしいことなんて心当たりがないし。

 それに、誰か特定の人間の記憶だけが失われることなんて、聞いたことがない。


 ……でも、そうだとしたらさっきの子はなんなんだ?

 綾坂はただのストーカーで理解できたとして、さっきの子は説明がつかない。

 それともあの子まで綾坂と同じストーカーだというのか?


 ……。


「奏多君、大丈夫?」


 部屋の外から綾坂の声が聞こえる。

 ……返事したくないけど、ここで機嫌を損ねるのも、な。


「ああ、大丈夫だ。ちょっと疲れたんだよ」

「そっか。ねえ、入っていい?」

「……ああ」


 綾坂を招き入れたのは、まあ怒られるのが嫌だからというのもあったけど。


 なぜか、今は少しだけこいつの顔を見たかったような気がする。


 それだけ、心が不安に押しつぶされそうだったのか。

 それにしてもどうかしている。


「奏多君、顔色悪いよ?」

「……なあ、俺って頭おかしいのかな。なんか自分がよくわからなくなってきたんだよ」


 俺を悩ませる元凶にこんなことを愚痴るなんて、やっぱりどうかしてる。


 でも、誰でもいいから俺がおかしくないと、認めてほしかった。


「奏多君はおかしくないよ? どうしたの、何かあったの?」

「……いや、別に」


 それでも、女の子の話を綾坂にするのはタブーだと。

 千曲さんの一件でそれはよくわかっている。

 だからさっきの子の話も、聞きたいけど聞けない。


 それに、聞いたところで知らないと言われるのがオチだろう。


「奏多君」


 ベッドに、綾坂が腰掛ける。

 

「なんだ」

「奏多君は、何もおかしくなんかないよ?」

「……」


 その言葉は、なぜか俺に安心感を与える。

 でも、それを認めるということはつまり、こいつの言っていることが嘘だと認めるってことになるけど……。


「なあ、怜」

「なあに?」

「お前、俺といつから知り合いなんだ?」


 またそんなことを聞くのかと、怒られる覚悟はあった。

 でも、彼女はまた俺を不安にさせる。


「やっぱり、覚えてないんだね……」


 その言葉の意味はつまり、彼女は俺と以前から知り合いだったのだと。

 しかし覚えていないのは俺だけで。

 俺以外のやつはみんな覚えてて。

 こいつの言ってることも嘘じゃないと。

 そういうことになる。


「……やっぱり、俺って」

「気にしなくていいんだよ、奏多君は。大丈夫、今はちゃんと私が彼女だから」

「怜……」


 もし俺が本当に記憶喪失で、こいつは昔からの知り合いで、彼女だったとしたら。

 俺はこいつにとんでもなく辛い思いをさせてしまっていたのだと。


 もちろんそんなはずはないと思ってはいても、万が一の可能性を考えてしまうくらいに、周囲の状況は不自然だ。


 だから悩む。

 何が真実なのか。

 こいつの頭がおかしいだけなのか、はたまた俺がおかしいのか。


 そんな俺の悩みすら見透かしたように、綾坂は優しい顔で俺によってくる。


「ふふっ、悩んでる顔も素敵だね」

「……」

「ね、ちゅーしよ?」

「……うん」


 もう、完全にこいつを否定することができなくなっていた。


 俺はこいつと昔もキスをしたことがあったのではないかと。

 それに、童貞じゃないって発言だって。

 忘れてるだけで以前に綾坂を抱いた経験があるのではないかと。

 だからこうしてキスしたら、何か思い出さないかと。


 そんなことを願いながらキスをした。

 ゆっくりと、確かめるように。

 彼女の存在を確かめるように、探るようにキスをして。


 でも、何も思い出せはしなかった。



「お母さんの手伝い、してくるね」


 多分一時間くらい、綾坂と唇を重ねていたことだろう。


 やがて、夕方になって彼女は前のめりになる俺を制止しながら部屋を出て行く。


 また、一人になった。

 しかし先程までの不安はどこかに消えていて、俺の頭の中は綾坂のことでいっぱいになっていた。


 キスをする度に漏れる可愛らしい声。

 抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な腰つき。

 潤むと、まるでビードロのように輝く大きな瞳。


 そのどれもに俺は魅了されていた。

 もっと言えばあいつは、俺のことが好きなのだ。

 それがたまらなく愛おしくなってしまう。

 きっと、不安な俺の心が拠り所を探してしまっていただけなのだとわかっていても、今は綾坂にいてほしいと、願ってしまう。


 ……もうすぐ夕飯か。

 あいつ、料理上手だし母さんとうまくやってるだろな。


 なんか、本当に幼馴染な気がしてきたよ。

 ていうか、本当の幼馴染だったら、いいのにな。


 ……もしかして、本当にそうなのか。

 俺が、覚えていないだけで。

 それが、一番辻褄が合うのかもしれない。

 やっぱり、俺がおかしいのかな……


 そんな考えがぐるぐると頭を巡り、やがて少し部屋が薄暗くなっていくのを感じながら、そのまま俺は眠りについてしまった。


 

 

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