第21話 見知らぬ訪問者

 車はほどなくして祖父母の実家の前に止まる。

 綾坂は、すぐに車を降りてから俺に手を差し伸べる。


「はい、足元気を付けてね」

「……」


 俺は、さっきのこいつの発言の意味を考えながら沈黙する。

 いっぱいしようというのはつまり、キスのことだろうか。 

 それならわかるというか、意味が通るのだけど、もしそうじゃなかったとしたら。

 ……いっぱいしたのか? こいつと? 


「なああやさ」

「怜だよ」

「と、怜。お前、ここに来たことはあるのか?」

「あはは、何いってるの奏多君。あるに決まってるじゃん」

「……いつだ。俺だって年に数回しか来ないのに」

「だからその年に数回の時だよ? 夏休みに花火、したよね」

「おまえ、そんなことまで」

「知ってるよ? 私は奏多君のことなら、なんでも知ってる。知らないのは奏多君だけだよ。あはは」


 乾いた笑い声をあげながら、綾坂は気分よさそうに母さんについて行き、先に実家に入っていく。

 ちょうど庭を見ると、昔花火をしていた時に使った錆びたドラム缶がまだ置いてあった。


 ……綾坂怜。

 ほんとあいつは何者なんだ?



「あら、おかえり奏多。みんなもうリビングにいるわよ」


 玄関先で靴を脱いでいると祖母が迎えに出てきてくれた。

 

「久しぶり、ばあちゃん。ええと」

「怜ちゃんも大きくなったねえ。ほんと、美人さんになったよ」

「……ばあちゃん、ちょっといい?」


 どうやら祖母も綾坂のことを知っている口ぶりだったので、外に誘う。

 どうして皆が皆、彼女を知っているのか。

 それについて確かめるには絶好の機会だ。


「どうしたの奏多」

「ばあちゃん……綾坂怜のこと、いつから知ってるんだ?」

「え? 怜ちゃんのことをいつからって言われてもねえ。奏多が中学生の時に連れてきたじゃないか」

「連れてきた?」

「そうだよ、たまにあんたがこっちに来る時、一緒にここに来てたじゃないの。花火だって、あれは二人でやってたんじゃないのかい?」

「……」


 言われて、記憶をたどる。

 確かに、急に母さんが花火を買ってきて、これでもやりなと言ってきたことに違和感は覚えていたし。

 それに、妙にというか量が多かったのも覚えてる。

 ……その時もこいつがいたってこと、か?


「奏多くーん、どうしたのー?」


 綾坂が様子を見に来たようだ。

 ここまで、だな。


「ばあちゃん、ありがと。うん、なんでもないよ」

「そう、いい子なんだから大事にしなさいよ」

「……うん」


 何事もなかったように装って、ばあちゃんから距離をとって庭の植木を見るふりをしていると、玄関から綾坂が出てくる。


「あはは、植木なんて見てどうしたの?」

「いや、なんとなくだけど」

「そっか。今からね、お母さんと買い物に行こうかなって話になったんだけど奏多君もくる?」

「……二人で行くのか?」

「んー、おばあちゃんはこれからお友達と会うみたいだし、おじいちゃんはお出かけしてていないから、そうだね」

「そうか。俺は……やめとく」

「そっか。じゃあ、行ってくるね」


 その後家の中に入るとすぐに準備を済ませた母と綾坂が、まるで親子のように仲良さげに車に乗り込んで買い物に出て行った。


 ばあちゃんも、ほどなくして勝手にどこかに出かけていて、少し広い家の中は俺一人になった。


 やることがなく、ただボーっと昼間のテレビを見ながらお腹を空かせていると、やがて携帯が鳴る。


 母さんからだ。


「……もしもしどうした」

「あはは、怜だよ。奏多君、おうち?」

「……そうだけど」

「ねえねえ、せっかくなんだから懐かしの田舎巡りでもしたらどう? 裏の公園とか、近くの駄菓子屋さんとか」

「……」


 もうこいつがそういうことを知ってる事実に動揺することはなくなったが、しかしどうして外出を促す?

 こいつみたいに束縛の強い女なら、むしろ家でじっとしてろと言いそうなものだけど。


 ……まあ、こいつは規格外か。


「いや、いいよ。こっちには知り合いもいないし」

「そう。じゃあ家にいるんだね?」

「あ、ああ。そうだけど」

「じゃあ、絶対家にいてね? 嘘ついたら、めっ、だよ?」

「わかったよ」


 何がめっ、だ。

 可愛い言い方をしたところで、そのペナルティは全然可愛くない。

 包丁向けられたり首絞められたり、本気で殺人未遂そのものだ。


 ただ、今度こそ殺されるかもしれない。

 正直、あんな奴の言いなりになるのは釈然としないが、やることもないし大人しく家にいよう。


 しかし母さんを連れて行かれるとは、やはりあいつも俺の行動を警戒しているのだろうか。

 どこまで周到なやつなんだと、テレビを見ながらイライラしていると、玄関のチャイムが鳴る。


「はーい」


 玄関を開けると、そこには一人の女の子が立っていた。

 知らない子だけど、ばあちゃん達の知り合いか?


「あ、あの」

「奏多君、だよね?」

「……はい?」

 

 名前を呼ばれた。

 しかし、いつぞやの綾坂同様、こんな子は見たことがない。


 ……ばあちゃんから聞いたのか?


「え、ええと、奏多は僕ですが」

「私のこと、覚えてないの?」

「……え? いや、ええと」

「咲だよ、覚えてない?」

「さ、き……」


 咲と名乗る女の子は、同い年くらいの綺麗な子だ。

 しかし、全く見覚えがなく、俺は言葉を失う。


 なぜだ?

 なぜ、俺の知らない知り合いが、こうも立て続けにやってくるんだ?


 もしかしてこいつも、ストーカー?


「い、いや、君なんて知らない! も、もしストーカーなら帰ってくれ!」


 ガラガラっと勢いよく引き戸を閉めて、鍵をかける。


 すると、扉の向こうからその子の声が聞こえる。


「……そんな、ほんとに覚えてないんだ。私のこと忘れちゃうなんて、どうしたのよ奏多君……」


 そう言い残して、彼女の足跡は段々と遠くなっていく。


 俺は、その場でしばらく考え込む。

 咲という名前の同級生がいなかったか、そんな知り合いがかつて存在したか。


 しかし、やはり記憶のどこにも彼女の存在はなかった。

 

 一体俺に何が起こっているのか。


 その意味を考えて、もちろん全く謎が解ける気配もないまま、やがて車が止まる音がして。


 母さんと綾坂が帰ってきた。



 

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