第19話 寝てる間に

 気が付けば夜中だった。

 時計を見るまでもなく、真っ暗な部屋を見れば、今が夜なのだとすぐにわかった。


 頭が痛い。

 それに、ひどく気怠い。


 飯を食ってそのまま眠ってしまうなんて、よほど疲れていたのだろうか。

 それに、布団に寝転んでいるということは、綾坂が俺を寝かせてくれたのか。


 ……。


 ゴゾゴゾと、枕元を探ると携帯があった。

 時刻は深夜二時。

 画面の灯りをともすと、横で綾坂が眠っている。


 ……寝顔も、かわいいな。

 これくらいいつもおとなしかったら、俺も少しはこいつに心を許そうと思えたかもしれないが。


 まあ、それはないか。

 ストーカーだし、人の首を絞めるような女を好きになるわけが……。


 ん?


 綾坂の寝顔を見ながらそんなことを考えていると、自分が裸であることに気づく。

 上半身のみならず、下も真っ裸だ。

 そして。


「……ん、うーん」


 ごろんと寝返りを打った綾坂もまた、服を着ていないことに気づく。

 布団で隠れて胸元から上しか見えないが、確かに何も着ていないように見える。

 思わず目を逸らして、考える。

 

 ……事後、なのか?


 これは、いわゆるやっちまった後じゃないか。

 経験のない俺だって、それくらいは何となくわかる。

 ひどい倦怠感なのに、妙にすっきり落ち着いていて。

 裸の女の子が同じ布団で眠っていて。

 これで何もなかったとは、さすがに言い訳ができない。

 記憶は全くないけど、この場に誰かが入ってきたら、一発でアウトだ。


 ……。


 いや、やっぱり記憶がないぞ。

 もしかしてこいつ、寝ている俺の服を脱がせて悪戯を……。


「違うよ」


 携帯を見ながらあれこれ考えていると、綾坂の声がする。


「お、起きてたのか……」

「ううん、奏多君の気配で起きたの」

「そ、そうか悪かったな。で、何が違うんだ」

「ええとね」


 彼女は考え込むようにそういって、背を向けた俺に抱きついてくる。

 が、その時なにか柔らかいものが直に当たる感触が。

 何か突起のようなものも、ある。


「お、おまえ……」

「奏多君、今、私は何も着てないよ? 振り返ったら、ありのままの私がいるよ?」

「や、やめ、ろ……あ、当たってる」

「当ててるの。ドキドキしてきた?」

「……ゴクッ」


 息を潜めて、背中の神経を遮断しようと全意識を携帯に集中させる。

 ただ、そんなことはさせないと、彼女の手が俺の太ももを撫でる。


「奏多君、私は奏多君の寝込みを襲ったりしないよ?」

「そ、それは、どうも……あの、手が」

「だってね、奏多君に滅茶苦茶にしてほしいから。奏多君がほしいな。私を、もっと壊してほしいなあ」


 彼女の息が耳にかかり、手はどんどんと股間の方へ近づいてくる。

 背中には、やわらかなものがずっと押し当てられていて、俺は身体を震わせながら意識を外に逃がす。


「あ、あの、離れ、ろ」

「なんで? 恋人だったら、エッチなことするのも普通じゃないかな? それとも奏多君は」


 俺の太ももに、彼女が爪をたてる。


「嘘ついたの? 私のこと好きって言ったのに、嘘ついたんだ」


 ぎゅっと、爪を食いこませてくる。


「い、いたい」

「ねえ、どうなの?」

「……好きだ」

「ほんと? だったら」

「好きだから、しない」

「え?」


 もう、賭けだった。

 それに多分、時間稼ぎにしかならないともわかっている。

 ただ、それでもこの状況を一時的にでも打破するにはこれしかない。

 ここでこいつを抱いたらゲームオーバーだ。

 時間を稼いで、その間に次の策を練るんだ。


「好きだから……いや、好きすぎて簡単に手を出したくない。俺は、そんなに猿じゃないし、好きな人とも、もっと順を追ってというかさ……とにかく、今じゃない。でも、だからって嫌いとか、そういうんじゃ、なくて」


 苦しい言い逃れだ。

 でも、これくらいしか思いつかない。


 頼むからこれで納得してくれと祈っていると、やがて背中に乗っかっていた柔らかいものが離れ、太ももを捉えた爪もそっと外れる。


「……そんなに、私のことが好き?」

「……ああ、だ、大好き、だ。だから、今日はこのまま、寝よう。手でも、繋ぐ、か?」


 敢えてそんな提案までしながら。

 このまま終わってくれと、願う。


 すると。


「うん……嬉しいよ奏多君。私、今日はおてて繋いで寝る。その代わり、絶対に離さないでね?」

「も、もちろんだよ。さあ、布団に入ってくれ」

「うん」


 ゴゾゴゾと、布団にもぐりこむ彼女の気配を感じながら、恐る恐る振り返って。

 俺も、綾坂の裸を見ないようにしながら、布団の中に。

 そして、そっと手をつなぐ。


「奏多君の手、あったかいね」

「そ、そうかな……」

「うん、おっきくて素敵。奏多君、大好き」

「……」

「もっかい、好きって言って?」

「……好きだよ、怜」

「えへへっ、嬉しい。ちゅーして」

「あ、いや、それは」

「ちゅーして?」

「……」


 せっかく綾坂が納得しかけているんだからと、俺は渋々ながら彼女の方を向いて、キスをする。

 それでも体だけは触れないように、顔だけを彼女に近づけて、暗闇でキスをして。


 その感触に頭が段々と働かなくなっていき。

 もっと言えば、キスをやめたら、次は別の要求をされるんじゃないかって怯えながら。


 眠りにつくまでの間、ずっと綾坂と唇を重ねていた。



「おはよう、奏多君」


 朝だ。

 無事、朝が迎えられた。

 俺はまだ童貞のままのようだ。

 俺を起こしてくれた綾坂も、きちんと服を着ている。


「お、おはよう」

「今日は朝ご飯食べたらバスに乗って出発だよ? 早く着替えて準備しなきゃ」


 まるで昨日の夜の出来事が夢だったのかと思わされるほど、綾坂はケロッとしている。

 何もなかったとでも言いたげなのか、それとも……。


「なあ、綾坂。実家って言ってもうちは借家だからあんまり」

「今はお母さん、ご両親の実家に帰ってるみたいだよ? そこは借家じゃないよね」

「そ、それは……ていうかお前、母さんと連絡してるのか?」

「うん、毎日。昨日も奏多君が寝ちゃった後、話してたんだよ」

「そ、そっか」


 どうやら嘘ではなさそうだ。

 それに、以前母さんに電話した時も、当たり前のようにこいつのことを知っていた。

 さて、どうやってこいつが築き上げてきた偽の信用とやらを崩すか、だな。


「でも、奏多君ってすっごく真面目だったんだね」

「な、なにがだよ」

「好きすぎるから抱きたくないって……なんかすっごく大切にされてるんだなって思えて、嬉しかった」

「そ、そりゃ、な……」

「えへへっ、奏多君ってかっこいいからてっきり手も早いのかなって」

「んなわけないだろ、俺は童貞だよ。お前だってそれくらい知ってるんじゃないのか?」


 ストーカーなんだからさ、とまでは言わなかったが皮肉っぽくそう話すと、荷物を整理していた綾坂が、首を逸らしながら振り返って。

 不思議そうな顔をしてから、言う。


「奏多君は、もう童貞なんかじゃないよ?」


 

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