第18話 お薬を飲まないとだね

 俺は本が好きで、文学本からラノベや漫画まで、結構濫読してきた自覚はある。

 ジャンルも様々。結局、本を読むことが好きなのだろう。

 だから色んなラブコメも呼んだし、綾坂みたいないわゆるヤンデレと呼ばれる人種がいることも、彼女たちがどんな風に発狂するのかも知ってはいたつもりだ。


 だから、いずれ俺も監禁とかされるのではないかと。

 そんな心配は常にしていた。

 でも、まさか旅館でそうなるとは……。


「待て、どういうことだ」

「んー? そのまんまの意味だけど?」

「出れないだと? お前、監禁するっていうのか?」

「あはは、違うよ。これはまだ軟禁だよ?」

「……」

「あれー、まだ奏多君は状況が理解できてないんだね。ねえ、なんでさっきからそんなにふてくされてるの?」


 綾坂は、スッと立ち上がると自分の荷物から何かを探して。

 あったあったと言いながらそれを手にして振り返る。


「そ、それは……」

「お薬だよー? 奏多君、きっとまだ体調がよくないから、だからそんなに冷たいんだなって。私が飲ませてあげるから、心配しないでね」

「そ、そんな得体のしれない薬を飲めるかよ!」

「でもでも、薬飲まないとここからは出られないよ? それともずっとここで暮らす? あはは、それもいいかもね。やだ、奏多君ったらそんなこと思ってくれてたなんて……嬉しいなあ♥」


 薬の入った瓶をカラカラと鳴らしながら、全く目の焦点が合っていない彼女がゆっくり近づいてくる。


 このままではまずい。

 殺される。

 絶対、死ぬ。


「うわーっ!」


 彼女を振り切って、俺は部屋の扉をあけようと、手をかける。


 しかし、開かない。

 内鍵はちゃんと開いているのに、扉が動かない。


「ど、どうなってるんだよこれ」

「あはは、出られないって言ったのに」

「ま、待て綾坂! 待て!」

「怜だよ? なんで間違えるのかな? あれ、もしかしてこの旅館に気に入った女の子でもいたの? 店員の女の人? だったらあの人、この後処分しておかないとだね」

「ち、違う! 話を聞け!」

「ヤダ。お薬、口移してあげるね」


 錠剤を舌にのせて。

 彼女が俺に口をつける。

 そして、舌を絡める。

 俺の口の中に、コロンと薬が転がってきて、少し苦い味がした。


「んっ……んんっ……チュッ……」

「……んっ」


 また、キスのせいで抵抗する力を失う。

 そして、綾坂がそっと離れてから、鼻と鼻が触れ合うくらいの距離で言う。


「お薬飲んだら、きっと良くなるからね?」


 なぜか、本気で心配そうな顔をして、涙を浮かべている。

 ……本気で言ってるのかこいつ?


「あ、あの……これは」

「風邪薬だよ? なんで? 睡眠薬とかだと思った?」

「い、いや……」

「奏多君、冷たくされるのヤダよ。私は奏多君と仲良くしたいだけなのに、どうしてそんなに冷たくするの?」

「そ、それは……」


 それはお前が俺のストーカーで、幼馴染でも彼女でもなくて、ただの狂った妄想に憑りつかれたやつだからと。

 言いたくても、言葉が出てこない。

 喉が詰まる。これだけは言ってはならないと、本能的に自制されるように。


「……奏多君は、私のこと嫌いなの?」

「そ、それはだな」

「嫌いなら、どうしてチューしたの? やっぱり、したいだけなの?」

「……」

「もしそうだとしたら私……殺さなきゃ」

「……え?」


 その時だった。

 彼女の両手が俺の首を掴む。

 そして、力を込める。


「がっ……」

「初めてだったんだよ? キスも、触られるのも。でも、奏多君が私のこと好きだから、だから身も心も捧げたのにさあ、そうじゃないならね、殺して冷たくなった君とずっとここにいようかなって。私は、それでもいいんだよ?」

「あがっ、がっ……!」


 すごい力だ。

 引き剥がそうとしても、それ以上の力で俺の首を締めあげてくる。

 こんな小柄な女の子の力だとは思えない。

 こ、このままだと、殺される……。


「ねえ、私のこと好き?」

「がっ……」

「あれ? 好き?」

「……」


 俺は声が出ないので、何度も頷いた。

 すると彼女の手が、ぱっと離れる。


「ほんと?」

「げほっ、げほっ。はあ、はあ……」

「奏多君、ほんと?」

「はあ……はあ……」


 意識が飛ぶ寸前からの生還で、酸素を確保しようと必死に息をしながら這いつくばる俺に、そんなことなど関係ない様子で迫ってくる。

 

 なぜか目が潤んでいる。

 どういう涙腺をしてるんだこいつは……。


「奏多君、好きって言って?」

「す、……」

「言って?」

「す、好き、だよ」


 言わされた。

 これは完全に言わされた格好だ。


 監禁すると脅されて、変な薬を飲まされて、最後には首を絞められて殺されそうになって。

 俺の気持ちなんて関係なく。

 ただこいつは俺にそう言わせた。

 言わせたいのだと。

 だというのに、


「嬉しい……私、幸せ……大好き奏多君」


 日が暮れて、暗くなった部屋の片隅でうずくまって息を切らす俺の横で、彼女は顔を覆いながら泣く。

 涙を流して。

 崩れ落ちる。


「やっと言ってくれたね……」

「い、いや、それは」

「奏多君が死んじゃうかと思った……大丈夫、奏多君?」

「え……いや、まあ」

「そっかあ。お薬が効いてきたんだね。よかった」


 にこりと。

 今度は笑う。


 綾坂はその後、ゆっくり立ち上がると俺にそっと手を差し伸べる。


「立てる?」

「あ、ああ」


 その手を掴んで、立ち上がると。

 小柄な彼女が俺を見上げるように、言う。


「ねえ、お腹空いたね」

「……ああ」

「じゃあ、ご飯たのもっか。今日のメニューは蟹って書いてたから、楽しみだね」

「……ああ」


 もう、普通に対話するのは無理なんじゃないかと。

 そう悟った俺は、彼女の言うことに否定するのをやめた。

 いくら抗っても、指摘しても、届かない。

 どころか、状況は悪化するばかり。

 やはり従うしかないと、はっきりそう思わされた俺は彼女の言葉にただ頷くだけで。


 やがて、少し遅めの夕食が届くと、お腹がぐうっと鳴った。



「美味しかったね、ご飯」

「そう、だな。蟹なんて、初めてかも」

「そうなんだ。私は結構食べるよ、蟹」


 豪華な食事が、狭まった喉を少しだけ楽にしてくれた。

 うまかったはずだけど、なぜか味の記憶がない。

 そんなものを楽しむ余裕も、その余韻を味わう気力もない。


「……眠くなってきたな」

「そうだね。私も、そろそろ寝ようかな」

「ちなみにだけど、布団はどうするんだ?」

「一つしかないよ? 一緒に寝よ?」

「……」


 一緒に。

 もちろん想定済みだけど、一緒に寝るなんてことをして、大丈夫なのか?

 いや、そんなことをいくら考えたところで別々に寝ることなんて、できるはずがない。


 ……あとは俺の理性に任せるか。


「じゃあ、布団用意しようか。寝よう」

「……なあんだ」

「どうした?」

「んーん。奏多君って、素直なんだなあって」

「なんの話だ?」

「さてと」


 俺の質問など聞いてないように、彼女はサッと立ち上がって窓のカーテンを閉める。

 そんな彼女を見ていると、意識がぼんやりとして。

 視界が歪んでくる。


「あ、あれ……」

「そんなに従順なら、お薬なんて必要なかったんだね」

「と、怜……」


 綾坂がこっちを振り返って何かを言った。

 ただ、ぼんやりとしか聞こえない。


 そのまま、頭がぐらっとして。

 視界が暗くなっていく。


 その時彼女が、また何かを言っていたが、俺の耳には届かなかった。


「今夜は楽しもうね、奏多君」

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