第16話 旅館の部屋の中
また、久しぶりという言葉の意味について考えていた。
久しぶりということは、以前にも同じことがあったということなのだろう。
ただ、俺にその記憶はない。
綾坂と、一緒に寝た記憶は、ない。
「わーっ、すごく広いよここ。見て見て、窓もおっきい」
部屋に入るや否や、子供のようにはしゃぐ綾坂。
わざとらしく騒ぎすぎなくらいに。
喜びを爆発させる。
しかし、俺は胸騒ぎがおさまらない。
一緒に寝るのが久しぶりと、たしかに言ったよな?
「なあ、俺はお前とこうして一緒の部屋に泊まるのは初めてのはずだけど」
「うん、外泊は初めてかなあ。修学旅行を除いたらね」
「……修学旅行も一緒にいた記憶はないが」
「あはは、私はちゃんと覚えてるから。でも、たまにお部屋で一緒に寝てたもんね」
「……なんだと?」
部屋。
中学の時は、俺は借家の一室を自分の部屋にしていた。
いや、小学校の早い段階からずっとだ。
転勤族の両親は引っ越しを何度か繰り返したが、その度に俺の部屋はちゃんと用意してくれた。
アパートは嫌いだと、いつも一軒家を借りて、いつも俺は二階の部屋を割り当てられた。
ちなみに、実家である祖父母の住む家にも、俺の部屋はある。
しかしどの部屋にも、誰も入れた覚えなんてない。
友人が来ても、いつもリビングで遊んでいたし、自室には親すらも入れなかった。
理由はまあ、思春期の男子ならそういうものも持ってるし、人に片付けをされたり、趣味趣向を覗かれるというのを嫌ったため。
しかし、そんな俺とどうやって一緒に寝るというのだ。
まさか、深夜に俺の部屋に侵入したとでも?
「……俺にその記憶がないのは、なんでなんだ?」
「だって、奏多君は寝てたし」
「……いや、おかしいだろ。寝てるやつの部屋に勝手に入って横で寝てたとでもいうのか?」
「それが何か?」
「……」
どうやら、そういうことらしい。
俺が眠っている間に、勝手に添い寝をされていたと、彼女は当たり前のようにそう話す。
……え、怖すぎないか?
「待て待て、部屋にはどうやって入った? 深夜に勝手に人の家に入るって、それはさすがに」
「カレー作った後、そのまま添い寝してたんだけど何かおかしい?」
「……なるほど」
いや、なるほどではないけど。
でも、納得するしかなかった。
つまりこいつと俺は、知らないうちに同衾を経験していると。
……いやだから怖すぎるだろ!
「ねえねえ、そんなことよりすごくいい景色だよ」
「そんなことよりって……まあ、いい景色だとは思うけど」
「この絶景、お風呂からも眺めることができるみたいだよ」
そう言って、綾坂はペロリと唇を舐める。
「……いや、まず休もうって言っただろ」
「そうだったね。じゃあ、お昼食べたら」
一緒に寝ようね。
そう言って彼女は部屋の電話から昼食を頼んでいた。
間もなくして、着物姿の綺麗な女性が食事を運んでくる。
昼から豪華なものが並ぶ。
刺身なんかはとても綺麗で、炊き込みご飯のいい香りが部屋中に広がる。
「おいしそー! ねっ、食べよ食べよ」
「……そうだな。いただきます」
今のところ逃げ場はない。
それなら、無駄に足掻くよりも素直にこの状況を楽しむ方が賢明だと。
食事を口にする。
「……うまい。こんな上手い飯初めてだ」
思わず本音が溢れる。
どれもこれも絶品。
ただ、そんな感想を漏らすと、綾坂が黙り込む。
「……」
「どうした? 口に合わないのか?」
「初めて、なんだ……」
「え?」
「私のご飯、いつも美味しくないと思ってたんだね」
「え、いやそういう意味じゃなくてだな」
「いい。奏多君の胃袋を掴んだここの料理人、殺してくる」
果物を食べるために添えられたフォークを持って、綾坂が部屋を飛び出そうと立ち上がる。
咄嗟に俺は、彼女を掴む。
「や、やめろって!」
「いいもん、奏多君はここの人の料理の方がいいっていったもん! 殺す、殺すの!」
「バカなことするな! う、うわっ!」
「きゃっ!」
もみ合いになって、転倒。
その時、カランとフォークが落ちる音と。
俺の手に、柔らかい何かの感触が伝わってくる。
「……いててっ」
「奏多君……」
「あっ、ごめん!」
彼女に馬乗りになって、右手が胸のあたりをしっかりと捉えていた。
慌てて手を外すと、彼女は恥じらうようにきゅっと自分の胸を隠す。
「……初めて、男の人に触られちゃった」
「あ、いや……わ、わざとじゃないんだ」
「んーん、わざとでもいいんだよ? 奏多君なら、好きにしてくれていいの」
「と、き……」
少し服がはだけて、髪が乱れて、顔を赤くする綾坂の色っぽさに、俺は思わず見蕩れてしまう。
その場を早く退かないといけないと、頭でわかっていても体が動かない。
覗き込むように、彼女を見てしまう。
「奏多君……」
「……ゴクッ」
「ふふっ。緊張してるんだ、可愛いね。チューしよ?」
「え、いやそれは」
「じゃあ……してあげる」
「んっ!?」
彼女が俺に手を伸ばして、俺の顔を引き寄せてキスをされた。
仰向けの彼女に体ごと寄りかかって、さっき触れた胸や、すべっとした足までが俺の体に絡みつく。
あ、ダメだこれは。
気持ちよすぎる。
意識が、遠のいていく。
「……ねえ」
まだ俺の唇に彼女の唇が触れたまま、綾坂が話しかける。
吐息が、直接俺にかかる。
少しあたたかくて、ほんのり甘い香りがする。
「お風呂、入ろっか」
至近距離で息を漏らすような声をかけられて。
俺は拒絶なんてできなかった。
そっと離れる彼女は、俺の体を使って立ち上がると、さっき落としたフォークを拾い上げてから机に置いて。
ふふっと笑い声をあげてから、言う。
「奏多君とイチャイチャできたから、ここの料理人さんは許してあげるね」
そう言って、なぜか部屋の外にでる。
残された俺は、さっきまで全身を駆け巡った感触に心臓を高鳴らせながら、震える。
まだ涼しい季節だというのに、汗がにじむ。
静かになった部屋で。
四つん這いになったまま少し時間が止まったように動けずに。
息を整えて、やがて体を楽にしたところで彼女が戻ってくる。
「落ち着いた?」
何もかも見透かしたような綾坂は、照れくさそうに笑う。
もう、その笑顔を不気味だとは思えない。
可愛いと、素直にそう受け入れてしまっていた。
「ねえ、奏多君」
また、彼女が俺の名前を呼ぶ。
思い出なんて一つもないはずなのに、なぜかひどく懐かしく感じる。
「な、なんだ」
「お風呂の前に、ちょっとだけお話しない?」
綾坂は、スッと部屋に入ってから俺の隣に腰かける。
まだ風呂に入ってないのに、甘い香りがする。
「ねえ、奏多君は楽しい?」
「な、なんでそんなこと訊くんだよ」
「んーん。私は楽しいなって。奏多君のこと、ずっと見てたから、こうして触れてもらえて、触れることができて、幸せだよ」
「……なあ、お前はいつから俺のことを好きなんだ? 悪いけど俺はお前のことは全然知らない、から」
悪いけどって。
知らなくて当然なのに、なぜかそんな言葉が出てしまう。
もしかして本当にこいつとは過去に接点があって。
俺が忘れてしまってるんじゃないかって。
そんな錯覚が、俺に罪悪感を与えるんだ。
「……いつからだろうね。でも、奏多君しか好きじゃないよ、ずうっと」
「そうか。それは、どうも……」
「どうもって、変なの。でも、私は奏多君の彼女なんだよね」
「……そう、みたいだな」
「ふふっ。やっと認めてくれた。よっぽど私の胸が気持ちよかった?」
「そ、そういうことじゃ……」
もちろん気持ちよかったけど。
触らせてくれたから受け入れるなんて単細胞な人間ではないと。
こいつを受け入れそうになっている理由は多分、もっと他にある。
可愛いし、一途だし、俺だけを真っすぐ見てくれる。
それがどういうことなのか、その意味を考えるほど、怖いはずの彼女がたまらなく愛おしく感じてしまう。
これも綾坂の策略なのだろうけど。
わかってても、嵌まっていく自分が、止められない。
「ねえ」
俺の手をそっと握りながら彼女が。
小さな頭を俺の肩にとすんと置いてから、言う。
「このまま、しちゃおっか」
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