第15話 車窓に見えるもの

 どこまでが許容範囲で、どこからはその範囲外なのかという線引きは非常にむずかしいところだけど。


 例えばキスはOKでそれ以上はダメなのかとか。

 エッチをするのはいいけど、ちゃんと避妊してるのかとか。

 あるいは、手をつなぐことさえも軽々しく行うことは汚らわしいと、そう考える人だっているだろう。


 つまり、貞操観念なんてものは人それぞれなわけで。

 だから、相手と何をしたと言ってもそれが責任と直結するかどうかは非常に難しい問題だと思う。


 ……何が言いたいかと言えばだけど。

 相手の裸を見てしまって、それでもなお、相手をストーカー呼ばわりして、遠ざけるなんてことができるのだろうかと。

 そんなことをすればむしろ俺の方が鬼畜なのではないかと。


 そんなことを考えながら、今はバスに揺られている。


「楽しみだね、温泉」

「……」


 車窓から見える景色は、とても美しい。

 どこまでも続くような平原、そして奥に見える山々。

 自然の美しさがここまで身に染みたことはなかった。

 きっと、疲れているのだろう。


 しっかりと、窓には綾坂の姿も映る。


「なんかね、温泉って一緒に行っても結局別々に入って、どうだったーって話すだけなイメージだよね。でもここはね、部屋にまで温泉を引っ張ってて、一緒に入れるようになってるんだって。楽しそうだよね」

「……入らない」

「え? 温泉嫌いなの?」

「そうじゃない。一緒には、その、ダメだろ」


 そう言うしかなかった。

 楽しみだねと、相槌を打つことはさすがにしてはいけないと。

 声を震わせながら、抵抗した。


「一緒はダメ? どうして? お背中流し合いっことかたのしそうだよ」

「いや、だからさ。俺たちは、えと、高校生だし」

「ふーん、真面目なんだね奏多君は。でも、そういうところも大好きだよ」

「……じゃあ、俺の言い分も」

「ダメだけどね。一緒に入るから、絶対」

「……」


 ダメだった。

 うまく話の流れを変えたかったけど、そんな浅はかな抵抗でこいつが納得するはずがなく。

 俺の気持ちとは裏腹に、バスは順調よく目的地へ俺たちを運んでいく。



「うーん、いい空気だね」


 温泉旅館まであと一時間ほどのところで、少しトイレ休憩が入った。

 道の駅に止まったところで三十分の休憩。

 それが俺にとってはかなりの救いだ。

 頼むから、考えがまとまるまでは旅館に到着しないでくれ。


「ねーねー、ソフトクリーム売ってるよ。食べない?」

「食べたかったら買えよ。俺はいい」

「でも、チョコとバニラ、両方食べたいから一個ずつわけっこしよ?」

「……まあ、それくらいなら」


 ふと他の乗客を見ると、皆、カップルばかりだ。

 混浴を楽しみにしてやってきてるのだろうか。

 幸せそうだ。羨ましい。


「えへへ、私チョコにするー。奏多君もどうぞ」

「あ、ああ。いただくよ」


 こういうところで食べるソフトクリームはうまい。

 田舎の、山のふもとにある自然豊かなここの空気は澄んでいて、風も気持ちいい。

 彼女と旅行にくるには絶好の場所だ。

 彼女とくるには、な。


「ね、そっちのちょうだい」

「ああ、どうぞ」

「もー、ちがうよ? んっ」

「いや、ここでは流石に」


 ソフトクリームの口移しを要求されたが、さすがに人が多すぎる。

 口もべたべたするし、なによりこれからまだ一時間以上同じバスに乗る乗客に見られるのはたまったもんじゃない。


「……誰かかわいい子がいたの?」

「そ、そうじゃなくてな」

「別に誰に何を思われてもいいよ、私は。奏多君と思い出いっぱい作りたいから」

「そ、そういうのは、ええと、普通部屋でとか」

「じゃあ部屋ではしていいんだね」

「え、あ、それはだな」

「嬉しい。奏多君がキスしていいよって言ってくれた。うん、じゃあ今は我慢するね。あ、溶けちゃうから早く食べよ」

「……」


 どうもこいつは会話がうますぎる。

 言葉尻を拾うことにも長けているし、わずかな失言も逃さない。

 もう、喋るのをやめたほうがいいのかな……。


「んー、美味しかった。ねえ次はお土産みよ?」

「そ、そんなのは帰りでいいだろ。それより俺、トイレ」

「ダメだよ」

「え?」

「トイレって言ったら逃げられるって思ってる? でも、ダメだから」

「な、なに言ってるんだ。俺は普通にトイレに行きたくて」

「私は行きたくないもん」

「そ、そんなの知るか」

「ヤダ。一人で待ってるの怖いからヤダ。私が行きたくなるまで待って」

「……」


 本当は大して行きたいなんて思ってなかったけど。

 行くなと言われると無性にもよおしてくるというか。

 段々と尿意が押し寄せてきたところでバスが出発の時間を迎えて。

 俺は懸命に我慢しながらバスに乗り込んだ。


「もう少しで到着だね。楽しみ」

「……トイレ、行きたい」

「着いたら一緒に行こうね。私もちょっと、行きたくなっちゃった」

「……」


 山道でガタガタとバスが揺れるたびに、漏らしそうになるのを懸命に堪えながら。

 さっきまでは、あれほど到着するなと願っていた温泉旅館に、今は一刻も早く到着してくれと願ってしまっていた。


 もちろんそんな調子なので、どうやって混浴を回避するかなんてことに考えは巡らず。

 俺の願いをかなえるように、バスは温泉旅館に到着した。


「着いたー! ねえ、すっごく綺麗だよ」

「と、トイレ……」

「さ、受付しないとね。部屋、どんなのかなあ」

「……トイレ!」


 俺は一目散に旅館に駆けこんで、受付の横にあるトイレに飛び込んだ。

 寸でのところで、なんとかお漏らしをするなんてことは回避され、安堵する。

 ただ、ほっとしたところで現実が襲ってくる。

 

「奏多君、受付はもう終わらせたから」


 トイレの入り口で待っていた綾坂が言う。

 そして、嬉しそうに俺に腕を絡ませてくる。


「お、おい」

「うれしいなあ。奏多君とずっと一緒なんて、幸せ」

「……」


 俺は今まで、確かにモテてきた。

 でも、なんというか俺のことを女子はみんな、アイドルみたいに扱ってきて。

 連絡先を聞いてきたり、ファンレターをくれたり、バレンタインのチョコだってたくさんくれたけど。

 でも、よく考えたら告白って、されたことがなかった。


 女子同士の不文律もあったのだろう。

 抜け駆けはダメだとか、そういうやつ。

 でも、それにしても本気で俺のことが好きなら、そんなのお構いなしにアタックしてきてもよかったんじゃないかと。

 今まさに、俺の意思なんて関係なく、猪突猛進してくる綾坂を見ていると、そんなことを思ってしまう。


 俺を好きだと思ってるやつはいっぱいいても。

 俺を本気で好きだと思ってくれた奴は今までいなかったんじゃないか。


 そんなことを思ってしまう。

 そして、今隣にいるこいつは、俺を本気で好きなんだと。

 周りの目とか、意見とか、空気とか、そんなものが気にならないくらい。

 盲目になるくらいに俺が好きなんだと。

 それはよくわかる。

 わかってしまう。

 だから、どう反応したらいいか、わからなくなる。


「……部屋、早く行こう。休みたい」

「長旅だもんね。うん、私も疲れたからご飯食べたらお昼寝する?」

「そうだな。ゆっくりしよう」


 どうせここは山奥だ。

 逃げるったってどこにいけばいいかもわからない。

 それに、いつまでもロビーで呆けてるわけにもいかないし。


 一度部屋に向かうことにした。

 それしかなかった。


 階段を使って、部屋のある二階に。

 随分と広い廊下だ。

 きっと高いんだろうなと、そんなことを考えながら綾坂についていくと彼女が部屋の前で足を止める。


「ここだよ」


 チャッと。

 アクリルの棒が付いたキーを出して彼女は微笑む。


 そして、扉に鍵を差し込みながら独り言のように呟く。


「一緒に寝るの、久しぶりだね」

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