第11話 待ち人
まずいカレーなんて存在しないと、いつかどこかのテレビ番組で誰かがそう豪語していた。
確かにそれは一理ある。
大体のものを混ぜてもそれなりにコクが出るだけだし、基本的にカレーを不味く作る方法なんてないと思う。
ただ、それでも味は様々で。
家の味一つにしても、同じような市販のルーを使ってるだけなのにどことなく違ったりする。
それなのに。
「カレーの味、どうかな?」
「……うまいよ。でも、これも家で食べてたのと同じ味がする」
「あはは、そりゃそうだよ。だって、カレーの日は私がお家で煮込んでたんだから」
「……はあ?」
週に一度。
毎週金曜日はカレーの日だった。
その前日の夜から始まる仕込み作業のため、寝る前には寝室にまでカレーの匂いが届いてきて、それを嗅ぎながら翌日のカレーをいつも楽しみにしていたものだ。
その時、実家のキッチンにこいつが立っていたというのか?
「いや、それはいつからだよ。小学校の時とかはよく作ってるとこ、見に行ってたぞ」
「中学二年生の時から、カレーが毎週金曜日になったの、知ってる?」
「そ、そうだったっけ?」
「それに、木曜日の夜十時からは、奏多君の好きな配信者のライブがあるから部屋から出てこないもんね。だから知らなくて当然だよ?」
「……」
そもそも、どうして俺がその時間に部屋にいて、何を見ているかを知っているかの方がよほど驚きだけど。
「でも、カレーも結構試行錯誤したんだよ? どうやったら奏多君が喜んでくれるかなって、毎日必死で研究してたし」
「そ、それは母さんも知ってたのか?」
「うん。でも、奏多君にはまだ、自信が持てるまでは言わないでほしいって。お母さんも快く了解してくれたの」
「……」
俺の知らないところで。
俺の世界にこいつは確かに存在した。
どういう心境かは知らないけど。
こいつは確かに俺と共に青春を過ごしてきたのだ。
……なんてやつだ。
「それよりさ、カレー食べたら今日は一緒にお出かけしない?」
「……どこか行きたいところでもあるのか?」
「旅行の為のお買い物。行きたいなあって」
「別に週末でもいいだろそんなの」
「え、じゃあ週末一緒にお出かけしてくれるの?」
「あ……」
「ふふっ、嬉しいなあ。奏多君から誘ってくれるなんて私、幸せ者だなあ」
「いや、待てそういうわけじゃ」
「じゃあ帰るね。今日も楽しかったよ。ちゅっ」
「っ!?」
そっと。
お別れのキスをされた。
さっきのように濃厚な、絡みつくものではなくて、触れるだけの。
でも、唇の感触は確かに残る程度に。
「じゃあね、おやすみ」
「……ああ、おやすみ」
玄関の向こうに消えていく綾坂を見送りながら。
俺は呆然として。
少しだけカレーの風味が口に残ったまま。
やがてその場に座り込んだ。
◇
綾坂怜は、まるで本当に俺と一緒に長い時間を過ごしてきたかのような話し方を、平然と当たり前のようにまるでそれが事実のように語る。
だからなのか。
俺まで、嘘の思い出がまるで本当にあったことのように錯覚して、変な親近感を覚えてしまう。
これも彼女の狙いなのか。
だとしたら相当なものだと。
彼女がさっきまで座っていたクッションが転がっている。
彼女がさっきまで食べていたカレーの食器がそのままになっている。
彼女がさっきまで調理していた跡が、キッチンに残る。
俺の部屋の中に、綾坂怜のいた証が、刻み込まれていく。
このまま、彼女に押し切られてしまうのだろうか。
そんな不安をずっと抱えたまま。
片付けも何もする気が起きず。
ベッドに横になる。
……。
キスって、気持ちいいんだな。
♥
「ただいま奏多君。今日もいっぱい奏多君とお話したよ。それでね、キスも何回もしちゃったよ。えへへ、カレーも美味しいって言ってくれたよ。週末はデートに誘ってくれたんだあ。もう、私のことをすっかり彼女として認めてくれたみたいだね。愛してるよ、奏多君」
私の部屋の中。
最低限の家具とベッドとテレビしかないこの部屋の壁に。
壁中に。
奏多君がいる。
いるだなんて言い方は、まるで彼がいっぱい増えちゃったみたいだけど。
奏多君の写真を、部屋中に貼って。
その中でも一番お気に入りの。
彼が微笑んだ写真を等身大にしてベッドの横に貼ってあるそれに。
私はそっとキスをする。
奏多君が好き。
なんでって聞かれても、なんでもいいから好きなの。
好きに理由なんてない。
好きに理屈なんていらない。
好きに遠慮なんていらなあい。
昔ね、私のことを友人の一人がね、ヤンデレだって言ってね、少し怖そうな顔をしたんだけどね。
ヤンデレだって。
いいじゃんそれって、思ったんだあ。
奏多君、知ってた?
ヤンデレってね。
好きな人と結ばれるためだったら、なんだってするんだよ?
そう、なんだって。
同級生だって。
先生だって。
時にはコンビニだって。
ぜーんぶ、あなたと結ばれるための道具なんだよ?
えへへっ、褒めてね奏多君。
そこまで頑張れる怜はえらいねって褒めてね。
頭を撫でて、甘やかしてね。
そうじゃないと私……なんてね。
◇
また、眠れなかった。
不眠症になりつつある。
綾坂のキスのせいだ。最後にあんなことをするもんだから、意識が覚醒したままどうにもならなかった。
今日こそは早く学校から帰って、すぐに寝たい。
そう思っていたのだが、俺を起こしに今日も彼女はやってくる。
「おはよう奏多君。今日も一緒に学校いこー?」
「……起きてるから、入ってくるなよ」
「あれ、着替え中? だったら手伝うよ?」
「小学生じゃないんだから大丈夫だ。待ってろすぐにいくから」
「はーい」
玄関先で喋る綾坂にせかされて、慌てて制服に着替えて部屋を出ると靴を履いたまま玄関に立つ綾坂の姿が。
「おはよう奏多君。今日もかっこいいね」
「……それはどうも。で、今日もコンビニに行くのか」
「うん。でもね、今日は別のコンビニに行きたいな」
「なんでだ。別にどこでも一緒だろ」
「ダメなの。前のコンビニのパン、飽きちゃったから」
「……わかったよ」
こうして綾坂と一緒に家を出るのも違和感がなくなってきた。
まるで昔からずっと、こうやって俺を迎えに来てくれていた幼馴染のような錯覚まで起きてきやがる。
もちろんそんなことはないのに。
彼女が段々と幼馴染なんじゃないかって気分にされてくる。
そんなことは、もちろんないのに……。
「あ、結構いっぱい人がいるね」
「学校の前のコンビニだからな。そりゃ人が多いだろ」
「じゃあ入ろっか」
学校前のコンビニは、朝からうちの学生でごった返している。
だから寄ることはほとんどなかったのだけど、中に入ると品ぞろえはさすがのもの。
儲かってんだろうな、ここ。
「綾坂さん、おはよう」
「綾坂さん、今日もかわいいね」
「いいなあ、彼氏と登校とか羨ましいなあ」
綾坂のパンを持ってレジに並んでいると、何人かの女子から声をかけられた。
そのまま囲まれて、列から外れてしまった。
やはり人気者だ。彼女のあまりに整いすぎた容姿が為せる業だろう。
ただ、俺も昔はそうやって誰からも声をかけられるような存在だったんだけどな。
どこで狂ってしまったのか。
いや、それは考えるまでもない話か。
「おはよう、園城君」
「……俺?」
「うん、おはよう。私、隣のクラスの
なんとまあ。
珍しいこともあるものだと驚いたがしかし。
俺に声をかけてくれた女子がいた。
「千曲さん、か。どうしたの?」
「いや、なんか園城君っていい感じだなって。よかったら後で連絡先聞いてもいいかな?」
「お、俺の?」
「あはは、そんなの園城くんのしかないじゃん。変な人」
「あ、ああすまん。うん、いいけど」
「じゃあ今はちょっと時間ないからあとで教室行くね。覚えといてよ」
「わかったよ」
手を振りながら、千曲と名乗る同級生は店の外に。
随分と元気な子だ。それに、少し短い髪が似合う美人というか。
結構この学校って、女子のレベル高いんだよな。
何人か、いいなって思う子がいるんだけど、あの子みたいな子と付き合ったら毎日楽しそうだ。
なんてことを考えながら、ハッとする。
さっきの様子を、綾坂に見られてなかったかと。
しかし、列の後ろの方にいる彼女はまだ同級生に囲まれて楽しそうに談笑していた。
よかった、見られてないようだ。
あいつのことだから、俺が女子と喋ってたらギャーギャー言いかねないからな。
でもあの子、教室まで来て大丈夫かな。
綾坂がいるし……ってそれはそれだ。
むしろあいつの前で他の女の子とのデートくらいまで取り付けてやって、絶望させてやりたい気分だ。
ああ、そうだ。そうしよう。
千曲さんが来たら、その勢いで飯にでも誘ってみよう。
ようやく、俺に風が吹いてきたかなと。
そんなことを考えながら買い物を済まして。
綾坂と一緒に学校に向かって。
いつものように教室に着いて。
授業を受けて。
昼休みに綾坂と弁当を食べて。
放課後になった。
千曲さんは、教室にはやってこなかった。
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