第8話 思い出の味
「おはよう綾坂さん、今日も仲良しですね」
まだキスの余韻を残したまま、フラフラと学校に到着した俺の隣にいる綾坂に声をかけてきたのは、クラスメイトの女子。
可愛らしい女の子だ。
綾坂よりは大人っぽい、な。
「おはよう須藤さん。うん、ラブラブなんだよ」
「そっかあ。よかったね綾坂さん」
「うん、おかげさまで」
横で会話を訊きながら、その言い回しというか話し方に妙な違和感を覚えていた。
よかったね、というのはまるで、つい最近うまくいったことを祝福するような言葉だ。
どういうことだ。クラスメイトの認識では、俺と綾坂は幼馴染で以前から付き合ってる恋人ってことになってるはずじゃ……。
いや、考えすぎか。
おかげさまで、という綾坂の返しもまあ、社交辞令でよく使う言葉だしな。
「じゃあね綾坂さん」
その女子は、すぐに彼女の元を離れる。
「友達か?」
「うん、須藤さん。すごくよくしてくれるんだよ」
「へえ、なら今度俺もあいさつくらいは」
「ダメだよ?」
「……え?」
「話したらダメだよ? あっ、ていうかクラスの女の子と話したらダメだからね」
「な、なんでだよ。別にそれは」
「無理。そんなことしたらね、相手の女の子を順番に屋上から落としてくから」
「……」
一体どんなホラーだよそれ。
俺と話したやつはもれなく死ぬってか。
いや、元凶俺じゃねえかよそれって。
「なあ、綾坂」
「怜だよ」
「……怜。あんまり物騒なこと言うな。殺すとか死ねとか、いい言葉じゃないぞ」
「うん、わかった。奏多君がそういうなら気を付ける」
「わかってくれたならいい。それに」
「でも奏多君も、私にそういうことを言わせないように努力してね」
綾坂は、いつもより低い声で呟いて。
そのまま、先に席に着いた。
慌てて俺も席に戻るが、彼女は無言。
やがて始業のベルと共に騒いでいた連中も席に戻り、学校が始まった。
◇
不思議と学校生活は穏やかだ。
綾坂はいつもクラスの女子に囲まれて、男子はそれを遠目で羨ましそうに眺めるだけで。
俺は綾坂とのことをあれこれ詮索されるのが嫌で、一人で廊下に出てと。
なんか、やってることがぼっちみたいだな。
そういや、入学してから一カ月が経とうというのにこれといった友人もできていない。
元々、勝手に相手から近づいてくることが多かったせいか、あまり自分から積極的に絡んでいくタイプじゃないとはいえ。
誰も俺の連絡先すら聞いてこない。
なんか、寂しいな。
ただ、そんな連中も綾坂との関係については気になるようで。
名乗りもせずに質問ばかりをぶつけてくる。
「綾坂さんとは、どこまでいったんだ?」
廊下から中庭を眺めていた俺に、クラスメイトの男子から質問が飛ぶ。
「どこまでって別に。何もないけど」
「そっか。でもよ、向こうは園城のこと好きなんだろ? だったらぐいぐいいけばいいじゃんか」
全く無用な気遣いをみせてくる。
心配しなくとも、押し切られるくらいの勢いで俺がぐいぐい来られてる最中だ。
だからほっといてほしい。
「いいだろ別に。それより、お前らってなんで転校してくる前から綾坂のことを知ってたんだ」
これが一番の疑問だ。
関係性を勘違いする以前の問題で、彼女がここに来る前からこいつらは綾坂怜という名前を知っていた。
だからきっとそれも彼女が何かをしたということなのだろうけど。
その何かを知りたい。
「……」
「おい、黙るなよ。なんで綾坂のことをみんな知ってたんだ」
「いや、まあ。それは彼女が転校前に挨拶にきてさ」
「挨拶?」
挨拶ってなんだ?
「ああ、家にわざわざやってきてな。園城奏多の幼馴染だから転校した時はよろしくって。みんなのところにもわざわざ足を運んで、おんなじように挨拶してまわってたみたいだぜ」
「……」
その話を聞いて、少し納得。
なるほど、やはり彼女自身が皆にそう宣伝して回っていたということか。
それに、あれほどのストーカーなら、俺のクラスメイトの名前と住所くらいは把握していてもおかしくない。
ただ、それでも疑問は残る。
「でも、いきなり知らない女子が家に尋ねてきて、不思議じゃなかったのか?」
俺なら怖い。
別にあいつが幼馴染や恋人だと名乗ってこなくても、いきなり転校前の人間が家にきて、クラスの一人と幼馴染だからとか急に言い出したら、何の話だってなる。
「まあ、最初は驚いたけど。でも、嘘をついてる感じでもなかったし。で、何の話だったっけ?」
「……いや、いい。教室戻るわ」
なんとなくこのからくりが見えてきたようで、しかしまだ霞がかかっているようにも感じる。
果たして綾坂は、本当に挨拶まわりをしただけなのか。
それに、そこまでする目的ってなんだ?
◇
「お昼、作ってきたんだあ」
昼休みに。
綾坂は嬉しそうな声でそう言った。
「弁当、か?」
「うん、いっぱい愛情込めたからね」
「……そっか」
こういう時、普通ならありがとうとか、嬉しいというべきなのだろうけど。
これは愛情の押し売りだ。
無理やり受け取る必要なんて、これっぽちもない。
ただ、いかんせん場所が悪い。
ここは教室だ。みんなが見てる。
だからというわけではないが、渋々彼女に渡された弁当箱をあける。
昨日みたいに泣かれたのではたまったもんじゃないからな。
「……普通だな」
「うん、こういうのは定番メニューのほうが喜ばれるって思ったから」
「……」
別にハートマークも海苔で『ダイスキ』と書かれているわけでもなく、普通に白ご飯とおかずが入ったお弁当だ。
しかし、やはりおかずは気になる。
俺の好きなものばかりが並んでいる。
「唐揚げとエビフライは絶対に外せないもんね。あと、ハムカツも入れておいたよ」
「揚げ物ばっかだな」
「だね。だから明日はたまごサンドにしようかなって。好きだよね?」
「……ああ」
なぜだろう。
こいつの弁当を見ると、中学時代を思い出してしまう。
母さんが毎日作ってくれた弁当と、こいつのそれは酷似している。
おかずが一緒だからとか、そういうのもあるんだろうが。
ただ、
「……うまい」
「ほんと? たくさん食べてね」
「……」
味までそっくりだ。
揚げ物だからか? いや、それにしてもこれは冷凍なんかじゃないし、そもそもどうやって俺の弁当の味を知ったというのだ?
再現するも何も、まずそれ自体の味を知らなければできようはずもない。
……偶然とは、思いたいが思い難い。
「なああやさ……怜」
「んー、なあに?」
「お前、母さんとはどうやって知り合ったんだ?」
「どうして?」
「どうしてって……もしかして、母さんに料理教えてもらったんじゃないかって、な」
まさかなと。
毎日家に帰っていて、一度もこいつの影すら見たことなかったのだからそれはあり得ないと思いながらも。
聞いてみた。
違っててくれと。
そう願いながら。
「お母さんに? んーん、教えてもらってないよ」
「そっか。なら」
「逆だよ」
「……逆?」
「私がお母さんにお料理教えてあげてたんだあ。同じおかずばっかりで飽きるっていってたから」
「……」
母さんが? こいつに教わってた?
「いつだよ。うちには一回も来たことなんて」
「お家ではしてないよ。料理教室、お母さんが来てたの。私、そこの先輩だったから」
「な、なるほど」
今日の話の中で、一番しっくりきた。
なるほどこいつと母さんは、料理教室で知り合ったのか。
そしてそこでこいつから料理を教わって、俺との嘘の関係を吹き込まれてというわけか。
母さんは人を信じやすい性格だからな。あり得なくはないか。
「ああ、なんかすっきりした。お前の弁当が母さんの味に似てたからびっくりしたんだよ」
「え? おかあさん、奏多君にお弁当作ってくれたりしたの?」
「何言ってるんだ。毎日作ってくれてたよ」
「いつから?」
「いつからって……俺が中二にあがる時に転校した先の学校が給食のない学校だったから、その時からかな」
あいまいだが、多分そうだ。
毎日毎日、母さんは俺の為に弁当を作ってくれて。
あの味は、俺の思い出の味だ。
思い出の味が、こいつ監修のものだというのはちょっと複雑だけどな。
「ふーん。平日だけ?」
「ああ、そうだけど。さっきからなんだよ」
「んーん。でも、多分それ、お母さんじゃないよ?」
「は? 何言ってんだよ。急に怖い話か?」
「あはは。いい話だよー。だってー」
少しもったいぶって。
食べようとしていた卵焼きをそっと置いてから彼女は俺の目を真っすぐ見て、言う。
「そのお弁当作ってたの、私だもん」
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