第2話 見知らぬ彼女
久しぶりという言葉の使い方くらい、小学生でも知っている。
それは知り合いの人間がしばらくぶりに再会した時に使うものだ。
そう、あくまで互いに知っていなければ成立しない言葉。
なのに。
久しぶり。
彼女はそう言った。
俺の名前を呼びながら。
馴れ馴れしく、呼びなれた様子で。
「え?」
思わず、目を丸くして彼女の方をもう一度見ると、しかし彼女は目を逸らして教科書をカバンから机の中に移し始める。
訊き間違いか。
しかしまだ俺は、彼女から目をそらすことができずにいた。
すると、
「こら園城、幼馴染が転校してきて嬉しいからってジロジロ見てたらダメだぞ」
担任から、冗談交じりの注意を受けた。
クラスメイトもその冗談に付き合うように笑う。
ただ、笑えない冗談だった。
幼馴染と。
担任までそう言った。
「い、いや待ってください。俺は」
「こら、もう授業だぞ。座りなさい」
「は、はい……」
思わず反論しようとしたところで先生にまた注意を受ける。
渋々席に座り、窓際に座る綾坂怜をちらりと。
彼女は、静かに教科書を眺めていた。
◇
「綾坂さん、部活動は入るの?」
「綾坂さんの髪の毛綺麗。シャンプー何使ってるの?」
「綾坂さん」
「綾坂さん」
休み時間の度に綾坂祭りだった。
毎時間、クラスの女子が群がって質問攻め。
その様子を男子たちは遠目で指をくわえてみている。
俺はというと、彼女の隣の席とあって、その騒がしさに落ち着かず、その度に廊下に出て窓の外を眺めていた。
田舎の転校生って、やっぱり貴重だもんな。
それに彼女、恐ろしいくらいに可愛いし。
人気が出るのもうなずける。
俺も中学まではああやって、毎日女子に囲まれてたりしたんだけど。
そういえばこの学校に入学してからまだ、女子からのアプローチを受けてないな。
田舎じゃ、俺の顔って受けないのかな。
とか。
くだらないことを考えながら時間を潰し。
授業の度に綾坂のことを見て。
休み時間になるとまた離れてを繰り返すだけの一日はやがて終わる。
「なあ、転校生の話聞いたか?」
「ああ、なんでもすっげー可愛いんだってな。明日見に行こうぜ」
学年で三クラスしかないうちの学校は噂がまわるのも早い。
下校中、廊下ですれ違った他クラスの何人かがそんな会話をしていたのを聞いた。
おそらく綾坂のことで間違いないだろう。
ただ、俺は謎の美少女転校生の存在を手放しに喜ぶことはできなかった。
綾坂怜。
一体彼女は何者だ?
どうして俺は、彼女が転校してくる前からあいつのことで質問攻めにあって。
なぜ俺の幼馴染だと、クラスの誰もがそう認識しているのか。
謎は深まるばかり。
ただ、その謎を解き明かそうとまでは思わない。
だから放課後すぐに教室を無言で出て行く彼女を呼び留めたりはしなかった。
基本的に俺はことなかれ主義だ。
無難に、平凡に日々が過ぎていくことを望む。刺激は欲しくない。
だから彼女がほしいと思ったこともなかったのかもしれないが、そんな俺にもいずれ、自分の価値観を覆すほどの衝撃的な出会いが待っているのかなとか、それくらいのことは日々期待している。
ただ、それが綾坂との出会いではないということくらいはわかる。
ある意味衝撃的だが、あまりに不気味だ。
初めて会った幼馴染って、一体なんだよそれ。
幼馴染の定義なんて曖昧なものだろうが、しかし初対面の転校生に使う言葉ではないことくらい知っている。
だから俺は足早に家に向かう。
こんな気色悪い学校、さっさと離れるに限る。
まだ部活動も選んでない俺はさっさと正門を抜けてそのまま真っすぐ行った先にあるアパートを目指す。
築三十年のボロアパート。
でも、田舎だからセキュリティ云々とかの心配も都会程はないわけだし。
学校から近いしコンビニも傍にあるから気に入ってる。
そんな木造二階建てのアパートの、二階。
その奥角のワンルームの部屋が俺の住居。
ガチャッと。
鍵を挿して帰宅。
玄関の明かりがついていた。
……消し忘れたのかな。
電気代節約しないと、親に怒られるというのに。
まあ、綾坂綾坂と言われつづけて少し気疲れでもしてたのだろう。
そのまま廊下を進み奥の部屋の扉を開ける。
「あ、おかえり奏多君」
「ああ、ただい……うわあっ!」
そこには、誰もいないはずだった。
今日は親が来る予定もなく、部屋に先にあがっておいてもらうほど打ち解けた友人もいない俺の部屋に、誰かがいるなんてあり得ない。
ただ、そこには女の子がいた。
小柄な美少女が、中央のコタツ机に頬杖をついたまま座っている。
綾坂怜。
「な、なんだお前は!?」
「もー、大きな声出さないでよ。私だよ、綾坂怜。久しぶりだね、奏多君」
まるで上京した幼馴染を追ってきた健気なヒロインのように。
しかし実際はまるでそんなことはない彼女が微笑む。
「ど、どうやって入った……鍵は、鍵は閉めてたはずだ」
「鍵? ああ、これで入ったんだよ?」
「……鍵、だと?」
「うん。奏多君のお母さんからもらったの。あとね、色々預かってきてるから」
「か、母さんが? お前に?」
あまりの恐怖に腰を抜かした俺に。
チャラっと合鍵を見せてまた。
綾坂は、クスクスと笑う。
「驚きすぎだよ奏多君。私たち、幼馴染じゃん」
「……なんの話だ?」
「え? だから私たちはー、幼馴染」
「いやだから何の話だよ! 俺とお前が幼馴染? いやいや、俺、お前のこと知らないから! 意味わかんないから! 警察呼ぶぞ!」
まだ彼女がここにいる現実を受け入れきれず。
足が震えて立てない俺は、それでも大声で彼女に言う。
「えー、だって中学校の時も毎日一緒に帰ってたじゃん。それに修学旅行、覚えてる? あの時一緒にユニバのジェットコースター乗ったよね。それにそれに」
「ま、待て待て! お前、誰かと勘違いしてないか? 確かに俺は修学旅行でユニバにはいったけど、誰とも行動してないぞ? それに登下校は一人だった。間違いない。だから」
「だからなに? それは奏多君からの認識だよね?」
「……へ?」
綾坂は。
またクスリと笑って、立ち上がる。
まだ腰が抜けたままの俺の方に、ゆっくりと歩を進める。
「く、くるな……」
「奏多君。私はずっと奏多君の傍にいたよ? だからずっと一緒。つまり幼馴染だよね? 転校が多くって少し離れちゃったこともあったけど、それでもまた一緒にいられるなんて、私たちは運命の赤い糸で結ばれてるんだね」
「い、意味がわからないことを言うな……」
「まだそんなこと言うんだー。でも、確かに驚かせようと思ってたにしても、勝手にお部屋に入られたら奏多君も怒るよね。男の子だもんね。エッチな本を彼女が来る前に隠しておきたいとか、あるもんね」
「い、いやそういうことじゃなくて……って彼女?」
彼女と。
綾坂は言った気がした。
俺に彼女なんていない、はずだ。
「うん、彼女。ねー奏多君、私、明日の放課後は一緒に帰りたいなあ。今日はサプライズの為に先に帰っちゃったけど、明日は一緒に帰ろうね」
「い、いやそれは」
「帰ろうね?」
「……」
笑顔だけど。
全く目は笑っていない綾坂のその不気味な様子に言葉を失う。
彼女は俺を覗き込んでから、「やっぱり奏多君、かっこいいね」と。
そのまま部屋を出て、玄関の扉が開く音がした。
俺は振り返らず。その様子を音で感じ取りながら震える。
すると、彼女が言う。
扉が閉まる音と共に、言い残す。
「奏多君、私はあなたの彼女だから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます