俺の知らない幼なじみが、知らないうちに彼女になっていた件

明石龍之介

第1話 知らない幼馴染

 綾坂怜あやさかときという名前に、聞き覚えはなかった。

 

 初めてその名を聞いたのは、高校に入学してすこし経った時のことだ。

 クラスメイトの一人が俺に向かってその名前の人物について尋ねてきたのだ。


「綾坂さんって、どんな人なんだい?」


 全くもって、その質問の意味が理解できなかった。

 誰だそいつはと、本気で首を傾げたのだが、質問したそいつは俺に向かって「またまたー、ツンデレなのかよ」とか。


 その応対もまた、意味がわからなかった。


 誰かと勘違いしてるのかと、その場は笑って誤魔化したけど。

 その日を境に彼女の名前をよく耳にすることとなる。


 尋ねてくるのはいつも男子。

 綾坂さんとは普段どんな話をするんだ?

 綾坂さんとはいつからの付き合いだ?

 綾坂さんを何と呼んでるんだ?


 繰り返される綾坂という人物に関する質問。

 俺はいよいよ怖くなった。


 会ったこともないどころか、誰なのかすらわからない人間のことをこうも執拗に質問されることに恐怖を覚えないはずがなく。


 彼女の名前を初めて聞いた日から三日ほど経ったある日。


 俺は逆に質問をした。


「綾坂怜って何者だ?」


 あるクラスメイトにそんなことを言うと。

 そいつは「ぷっ」と笑った。

 その周囲にいた連中も皆。

 何言ってるんだよと、一笑に付した。


 やがて笑いは伝染し、クラスメイトが皆、楽しそうに笑いながら。

 

 その中の一人が当たり前のことを言うように。

 俺に向かって言った。


「何言ってんだ。お前の幼なじみなんだろ?」



 幼なじみというものに大した憧れがあったわけではない。

 だからなのかそうでなくてもなのかは知らないが、俺に幼なじみと呼べる人間はいない。

 最も、幼い頃の知り合いくらいはいたけども、今に至るまで付き合いが続いているやつはいないから、やはり幼なじみとは呼べないだろう。


 親が転勤族で、これといった地元がないのも一つの要因かもしれないけど。

 それでも俺は、一人の人間にこだわる必要があまりなかったから、幼なじみなんてものに執着しなかったのかもしれない。


 つまりというか。


 モテるのだ。


 小学生の頃からずっと、女子によくモテた。

 園城奏多えんじょうかなたは、これまでずっと女子からの人気を集めてきたと、そんな自負があった。

 多分それは自分の顔のおかげだと、ナルシストとかではなく自覚はある。


 毎年バレンタインでは学年の女の子たちからたくさんのチョコをもらって。

 中学の卒業式の時なんて勝手にできていたファンクラブの後輩女子達が悲しみのあまり集団で気絶する事件まで起きて。


 そんなことまであって、自分はモテてませんなどと言う方が嫌味だ。


 だからやはりモテるのだ、俺は。

 ただ、彼女がいたことはない。

 女嫌いとかではなく、単に好きな子がいなかっただけで。


 贅沢な悩みだとはわかっていたけど、初めての彼女は自分が好きになった人がいいと。

 そんなことを期待しながら俺は、高校から一人暮らしを始め、見知らぬ土地で新たな生活を開始したわけだが。


 そんな俺になぜ幼なじみがいるのだ。

 ましてや今俺が住む場所は地元でもなく、つい最近、引っ越してきたばかりの田舎だ。


 そんなところに幼なじみなんているはずがない。

 やはり誰かと間違えているのだろう。


 もうすぐ高校に入学して一ヶ月。

 最初の大型連休を前に、この辺りの遊べそうな場所を探そうと、放課後一人で街を歩く。


 ほのぼのと。

 涼しい風を浴びながら。

 綾坂怜という人物に関する連日の意味不明な質問による疲れを拭うように。


 ここ、遠坂市の中心である商店街を抜けて海の方へ。

 

 やがて、人の賑わいが失われていき、潮の香りをかすかに感じる。

 海が見えた。


 昔は、フェリーの往来が多く栄えた港だったと訊くその場所は、今では釣り人達が数人いるだけの寂しい場所。


 そこまで来て、防波堤に座り海を眺める。

 少し高い波の音だけが不規則に響き渡る。


 いいところだな、ここは。

 以前住んでいた都会は、便利だったし店もたくさんあって退屈はしなかったけど。

 でも、人が多すぎて誰が誰かわからずじまい。

 なんか窮屈だった。


 だからってわけじゃなかったけど、結果的に田舎の学校を受験して正解だったな。

 ふう。ここでいい出会いがあるといいな。

 綾坂……一体誰なんだろう。

 もしかしてこの街に伝わる都市伝説とか?

 だとしたら悪戯にしても少々しつこい気もするが……。


 ここ数日の不可思議な出来事を振り返りながらもやがて風が強くなり、その場を離れようと。


 立ち上がるその時に、隣に誰かが腰かけた。


「……」


 無言で腰かけたのは女の子。

 小柄で、白いワンピースを着た麦わら帽子をかぶった子。

 顔は見えなかったけど、背格好や雰囲気からして同い年か少し年下か。


 そんなことを思いながら、先を行く。


 その時、「あ」と女の子が声をあげた。


 麦わら帽子が、風に舞う。


 ふわっと、それが海の方へなだらかに飛んでいき、やがてぽとりと。

 そのまま波に乗って、沖へと流れていく。


 ただ、女の子はその様子を眺めているだけで。

 まあ、今日は風が強いからなあとか。

 そんなことを思いながらまた振り返って、商店街の方へ戻っていった。



「今日は転校生を紹介します」


 朝のホームルームにて。

 担任の男性教諭の一言に、クラスが少し騒がしくなる。

 こんな田舎に転校生か。

 男か女か。いったいどんな奴がくるのか。


 俺はもちろん知らない。

 でも、周りの連中は既に噂で聞いたのか、その転校生のことを知っているようだった。


「楽しみだな」と。

 ウキウキする男子たちの姿を見るにそれは、女の子なのだろうと想像がついた。


 やがて、教室の扉がガラガラと。

 そこから入ってきたのは少し小柄な女の子。

 セミロングの黒髪が艶やかな、大きな切れ長の目を持った色白の美人。

 どこかで見たことがある? いや、もしかして昨日の麦わら帽子のあの子か?


 初めて会うはずの転校生への既視感の正体を探りながら彼女が教壇の前に。


「綾坂怜です。皆さん、これからよろしくお願いします」


 彼女の自己紹介を聞いて、俺は朝の眠気が覚めた。

 綾坂怜。

 彼女はそう名乗った。


 知らないはずの転校生の名前を。

 俺はなぜか知っていた。

 そして、クラスメイトの誰もがその名を知っていた。


「では綾坂君は後ろの空いている席を使ってくれ」


 先生に促されると彼女は、偶然か必然か、空いている俺の隣の席に座る。

 

 俺はもちろん彼女を見る。

 さんざんと、皆にこの子のことを聞かれたわけで。

 やはり知り合いではないのかと、その姿をまじまじと観察する。


 ただ、彼女のことはやはり知らない。

 綾坂怜という名前は過去の記憶にはなく、思い出すもなにもない。


 これは一体どういうことなのかと。

 もしかしたら、なんらかの理由で彼女が転校してくることを知っていた連中が、その事情を知らない地元民ではない俺をからかっていただけなのかと。


 やがて前を向こうとしたその時に彼女が俺を見ながら微笑む。

 クスリと。

 幼さの残る端正な顔を緩めながら、彼女が言う。


「久しぶりだね、奏多君」

 


 

 

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