残り6秒
通勤そのものは憂鬱ではあるものの、通勤に車に乗るというのは正直に言って楽しんでいる。
お気に入りの曲でも、適当なニュースでもなんでも聞いていいし、独り言で誰かの悪態をつくのも自由だ。
電車と違い、できることの自由度が違う。他人に気を使わなくていい空間に居られる時間の長さはストレス軽減の重要な要素に思える。
もう世の中に溢れすぎて目新しさが微塵もなくなった「家系」を名乗るラーメン屋の脇の小道に入り、車を走らせる。
時速20㎞制限の標識のその道はその速度でも少し危なく感じる程狭い小道だが、一方通行なので、慣れてきた今では、頭の悪い自転車や、目がついていないような動きをするガキでもいない限りは、難なく通れる。
今日もその道を平和に通り抜け、さらに走り、職場の駐車場に停める。先に来ていた職員が会釈をして、自分もそれを返す。
建物に入り、自分のロッカーへまっすぐ向かい、弁当や水筒を入れた袋を分けて、それ以外をロッカーに放り込む。
名札を首から下げて、きちっと掃除されて、自分の家とは大違い廊下を歩く。
その道中、すれ違う職員にいつも通りおはようございますを流しながら、事務室にたどり着くと出勤登録の列の後ろに並ぶ。
タイムカードではなくID認証制の出勤登録はわかりやすく、処理も早いのでたくさんの職員がいても、どんどん人が流れて自分の番になる。もっとも、その処理の速さは4人程度ではありがたみが薄かった。
一日が始まる。最低でも8時間という時間の中でここの人間たちと案件をこなして、経済やら社会とかいう顔も見えない、それどころか実態すらあるのか不確かなものに奉仕するのだ。
それにやりがいがないわけではない。働くことなく食べていけるならそれに越したことはないと常々思うが、仕事が特別嫌いというわけでもなかった。
単に、面倒なのだ。同じモノとコミュニケーションをとって物事を動かしていくというのが。
自分が言ったことを理解できない人もいれば、逆に相手の言ったことを理解できないこともある。
同じ組織に所属して、少なくとも建前では同じ目標に向かっているはずなのに全くかみ合わない瞬間や、どう考えても悪意をぶつけてきているとしか思えないようなものも目にする。
言葉が通じ、コミュニケーションが取れているはずの相手なのに総合的に楽しみよりも面倒と嫌悪が勝つことが多いのが仕事でのコミュニケーションだった。
多くの人が8時間も集まってなお、少なくとも僕にとっては、8秒の水やりに勝る価値は生み出せないのだ。
それとも僕らのこの仕事は誰かにとっての8秒になっているのだろうか。なっていたとしても、それをこの目で確認できない以上、それはないものと大差なかった。
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