第39話 首脳たちの思惑
「優秀だが凡庸。前の大統領ほどのオーラや威厳は感じられない」
辞職した前大統領に代わって新しく就任した米大統領に、お祝いとともに表敬訪問という建前で合衆国まで出張ってきた英首相は目の前の彼をそう値踏みする。
そして、地球を半周以上回ってやってきた隣のソ連外相の表情をうかがう。
彼も自分と同じ感想を抱いたようだ。
英首相もソ連外相も互いに忙しい身だ。
社交辞令やあいさつもそこそこに英首相とソ連外相はいきなり米大統領に本題を切り出した。
「日本と講和しろ」
米大統領はこのことを予想はしていたはずだった。
詳しく戦況を分析するまでもないし、メリットとデメリットを勘案すればすぐに分かることだ。
まず英国の現状だが、彼らは東洋艦隊と地中海艦隊を相次いで撃滅され、さらに先日はH部隊が全滅した。
特にインド洋の制海権の喪失は決定的で、インドからの物資の途絶は英国の国力に直接的な打撃を与えた。
物資の不足から国内における生産活動は停滞し、食料品をはじめとした諸物価も急上昇している。
そのうえ、艦隊の相次ぐ壊滅によって護衛艦艇が不足した弱みをUボートに突かれ、撃沈される商船の数はうなぎ登りだった。
さらに、余裕のできた東部戦線から回されてきたドイツ航空部隊によって、国土の東半分はすでにドイツに制空権を奪われてしまっている。
ソ連の状況は英国のそれよりもさらに深刻だった。
英国のインド洋の制海権喪失のあおりを受けて米国からの支援物資の大動脈であるペルシャ回廊を断たれ、そのうえ英国からの援ソ船団も中断された。
このことで、物資不足に陥ったソ連軍は各地でドイツ軍に押し込まれ、スターリングラードはすでに陥落、モスクワやレニングラードも風前の灯火だ。
ソ連書記長はすでに首都を脱出し、現在のところその行方は分かっていない。
そして、相次ぐ敗北はそのソ連書記長の求心力を弱め、同国内部では権力闘争による暗闘が激化しているという。
内憂外患のソ連が国家としての継戦能力を失うのは時間の問題だった。
最後に米国の現状だが、こちらは帝都奇襲失敗とミッドウェー海戦の敗北が原因で前大統領は辞職を余儀なくされた。
そして、米海軍も枢軸国による「薄い本」を使った宣伝戦によって人的資源に壊滅的打撃を被っている。
そのうえ、艦隊の相次ぐ全滅によってハワイや西海岸では日本軍の上陸を恐れる住民らがそれこそパニック状態だともいう。
今、連合国が苦境に陥っている元凶はどう考えてもドイツでもイタリアでもなく、日本だった。
では逆に、その日本と講和すればどのようなメリットがあるのか。
まずインド洋が戻ってくる。
そうなれば英国の物資不足は解消され、継戦能力は一気に高まる。
ペルシャ回廊が復活すればソ連も息を吹き返すかもしれない。
それに、東洋の植民地もその多くが戻ってくる。
こちらは急がなければならなかった。
今、中東からインド、そして東南アジアでは宗教とでも言うべき言説が流布していた。
「日出ずる国に降臨せし三人の巫女が、欧米の支配のくびきからアジアの人々を救ってくれる」
日本による情報戦略なのか、あるいは毎日のように新聞紙上をにぎわせている彼女たちの名声を利用しようとする植民地の独立派勢力によるものなのかは分からないが、今や日本の三人の巫女はアジアにおける自由と独立の希望の象徴のような存在となっていた。
このことで、万一インドで独立闘争などが起きようものならば、英国が受けるダメージは計り知れなかった。
一方で、日本と講和すれば植民地だけでなく大量の捕虜も戻ってくることも期待できた。
シンガポールやフィリピンで大量に捕虜となった陸兵はもとより、帝都奇襲やミッドウェー海戦の失敗で日本に囚われた海兵は米国としては喉から手が出るほどに取り戻したい人材だ。
それに米国も日本との講和が成れば、ハワイや西海岸住民のパニックが収まり戦力のすべてをドイツ戦に集中できる。
さらに、日本軍の南進を恐れるオーストラリアも安堵することだろう。
なにより合衆国という大国がすでに参戦した今、英国にとってもソ連にとってももはや日本という国は用済みだった。
現在の連合国にとって日本と敵対することは百害あってせいぜい一利程度だ。
英首相とソ連外相の説得を込めた説明に米大統領はそれでも難色を示す。
自分はともかく合衆国国民が日本との講和を納得するのかと。
そこへ「これを見ていただけますか」と言って英首相は三冊の「薄い本」を米大統領に手渡す。
一読した米大統領は理解した。
共通の敵をでっちあげ、その打倒に向けて利害が対立する者たちを一時的にせよまとめあげる。
内政に行き詰った国がよく使う手段だ。
それを、この「薄い本」を使って世界レベルで行おうというのだろう。
だが、米大統領はこの「薄い本」だけで日本との講和が可能になるとも思えないし、これまでの政府の一連の責任も問われることになる。
そのことを英首相に説明する。
「日本との戦争を画策したのは前大統領であって貴殿ではありません。前大統領は自身の経済政策の行き詰まりを打破するために日本との戦争を望んだ。『ハル卑の憂鬱』という薄い本にもあったではありませんか。
そして前大統領は将兵の命を省みることなく十死零生の命令を繰り返した。自身の保身のために。そして貴殿はこれ以上前大統領の我欲によって合衆国青年の血が無益に流れないよう日本との講和を決断した。つまりすべての責任は前合衆国大統領にあるわけです」
米大統領はどの口がそのようなことを言うのかと思う。
米国と日本が戦争になるようにけしかけてきたのは英国とソ連ではないか。
だが、今ここでそれを英首相やソ連外相に指摘しても何も始まらない。
合衆国は陸軍はともかく、海軍は戦えない。
太平洋で空母や戦艦を、大西洋で巡洋艦や駆逐艦をあまりにも多く失いすぎた。
そして、人材の枯渇。
大量建造される戦闘艦艇とはうらはらに、海軍将兵は減少の一途をたどっている。
戦死傷が相次ぐなかで、志願者がまったくこないのだから当然のことだった。
戦時中だというのにもかかわらず組織の拡大どころか、維持すら危ぶまれるような異常事態だ。
それもこれもひとえに「薄い本」のせいだった。
そして、英首相の言うように日本との講和が成れば捕虜になっている大量の海軍将兵が戻ってくるのも事実だろう。
うまくいけば鹵獲された空母「エンタープライズ」や「ホーネット」、それに戦艦「ワシントン」や「ノースカロライナ」といった有力艦艇を取り戻せるかもしれない。
特に空母は現在「レンジャー」一隻しかないので、「エンタープライズ」と「ホーネット」の復帰は大きい。
それになにより、すべての責任を前大統領に押し付ければ自分へのダメージは最小限で済むし、日本の戦争からの退場は一気に状況を連合国優位に傾けてくれるはずだ。
中国市場をめぐる争点は残るが、ドイツ打倒に比べれば後回しにしていい問題だった。
米大統領の意志が日本との講和に傾きだしたことを見てとった英首相はしてやったりという気持ちを表情に出さないように気をつけつつ続ける。
「英国とソ連はすでに日本の講和派との接触を開始しております。現在日本ではその講和派と継戦派との間で水面下における暗闘が繰り広げられております。そこへ我が国の秘密情報部とソ連のNKVD、それに貴国のOSSが講和派の側につけば一気に日本の国内問題は片がつくでしょう」
「日本は意外にスパイ天国なのです」
そう言って英首相は悪い微笑を浮かべた。
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