終局
第38話 八つ当たり
イタリア艦隊の将兵はその誰もが怒りをみなぎらせていた。
地中海艦隊を撃破し、スエズ打通を果たした今、東(巫女)へ向けて進撃するはずだったのが、統領の気まぐれで逆に西進するはめになったからだ。
その統領はこう言った。
「我が母なる地中海を汚す二つの巨悪のうち、地中海艦隊はすでに撃ち滅ぼした。残るはH部隊だ。この部隊を放置したままでイタリア艦隊が日本と、巫女と邂逅することはありえない」
残念ながら統領の言うことも一理あった。
イタリア本国から少しばかり距離があるとはいえ、地中海の西に有力な英艦隊を残したままでイタリア艦隊の主力が地中海を離れることはできない。
「本国の側背の脅威を取り除け」
珍しくまともなことを言った統領に誰も反論できず、しぶしぶではあるもののそれでもイタリア艦隊はH部隊撃滅のため出撃する。
そのイタリア艦隊の策動はすぐに英海軍の知るところとなった。
彼らはイタリア艦隊の主力が「ヴィットリオ・ヴェネト」ならびに「リットリオ」の二隻の新鋭戦艦であることも同時に突き止めている。
さらに、先の地中海艦隊との戦闘により、イタリアの巡洋艦や駆逐艦の少なくない艦がいまだ修理中であることも分かっていた。
そのことで、英海軍はH部隊に増援を加え、イタリア艦隊を迎撃する方針を固めた。
H部隊の主力は巡洋戦艦「レナウン」だった。
主砲は三八センチ砲六門と貧弱だが、一方で脚が速い。
だが、それも一般的な旧式戦艦と比べての話であり、高速のイタリア戦艦が相手ではそのアドバンテージもかき消され、ただの低武装弱防御戦艦にしかすぎなかった。
このままではイタリア艦隊に対抗できないと判断した英海軍上層部はH部隊に「クイーン・エリザベス」と「ヴァリアント」の二隻の戦艦を臨時編入した。
英国にはさらに、新鋭の「キング・ジョージV」級戦艦と四〇センチ砲を持つ「ネルソン」級戦艦があったが、こちらはドイツ戦艦「ティルピッツ」への備えとして本国から離れるわけにはいかなかった。
それに、これらの戦艦を除けば「クイーン・エリザベス」と「ヴァリアント」、それに「レナウン」しか戦艦は残っていない。
他の戦艦は枢軸国の海空軍によってすべて沈められていた。
H部隊に航空支援はほとんど無かった。
有力な航空隊はすべて英本土航空戦に回されていたからだ。
そして、戦艦以外の補助艦艇もH部隊には旧式駆逐艦が四隻しか配備されていない。
英海軍は巡洋艦や駆逐艦の多くを地中海よりもはるかに重要な英米航路という英国の生命線を守るために投入していたからだ。
それでも、「レナウン」は巡洋戦艦で高速発揮が可能だから重巡的な使用も可能だ。
だから、補助艦艇同士の戦いが決定的に不利になるようであれば積極的に「レナウン」をこれに対応させることをH部隊司令官は考えていた。
それと、H部隊司令官をはじめ、同部隊の将兵は英海軍上層部からイタリア海軍が地中海艦隊と戦ったときにみせた異様な命中率の高さに気を付けるように注意喚起されていた。
今のイタリア艦隊は従来のそれとは別物なのだと。
だが、H部隊司令官もH部隊の将兵もそのことについては半信半疑だった。
歴戦の彼らは敵艦に戦艦の砲弾を命中させることがどれほど難しいかを知悉している。
熟練揃いの英戦艦でさえ敵艦に砲弾を命中させるのは至難なのだ。
自分たちでさえ困難なことを、しかも弱小のイタリア艦隊の将兵がそれを成し遂げることなど、とても信じられなかった。
だが、それでもH部隊将兵は油断することはなかった。
熟練兵ほど油断の恐ろしさを知っていたからだ。
しかし、イタリア艦隊は彼らの想像の斜め上をいっていた。
「駆逐艦二隻を先頭に『クイーン・エリザベス』級が二隻、その後ろに『レナウン』、殿に駆逐艦二隻の並びか」
見張りからの報告を受けたイタリア艦隊司令官の決断は早かった。
敵の戦力は戦艦が三隻に駆逐艦が四隻。
こちらは戦艦が二隻に巡洋艦も同じく二隻、それに駆逐艦が四隻だ。
単純な数の比較で言えば主力艦は英側が優勢、補助艦はイタリア側が優勢。
もし、戦場の攪乱要因があるとすれば、それは巡洋戦艦「レナウン」だ。
この艦の主砲が戦艦ではなくこちらの巡洋艦や駆逐艦に向けられたら少なくない被害を受けるだろう。
脚の遅い「クイーン・エリザベス」級はこちらから不用意に近づかない限り、その間合に捕捉される心配は無い。
イタリア艦隊司令官は端的に指示する。
「『ヴィットリオ・ヴェネト』ならびに『リットリオ』ともに目標『レナウン』。距離三万で砲撃を開始せよ。巡洋艦と駆逐艦は英駆逐艦が肉薄してきた場合に備えこのまま両艦のそばに待機せよ」
距離三万メートルは長距離射撃を得意とする戦艦であっても相当な遠距離だ。
そのうえ敵艦は洋上を高速で移動する。
命中させるのは至難かと思われたが、イタリア艦隊司令官に不安は無かった。
巫女のおかげで生まれ変わったイタリア海軍将兵の辞書に不可能の文字は無い。
発砲はイタリア艦隊が先だった。
さすがにこの距離では「ヴィットリオ・ヴェネト」ならびに「リットリオ」ともに地中海艦隊と戦ったときのような初弾から挟叉ということはなかったが、それでも距離を詰めるごとに精度は増し、五射目には挟叉を得ていた。
イタリア戦艦の砲撃精度の高さに慌てた英戦艦も反撃を開始するが、すでに遅かった。
第六射から斉発に移行した「ヴィットリオ・ヴェネト」と「リットリオ」の両艦は、その最初の斉発で合わせて三発の三八センチ砲弾を命中させ、一発は「レナウン」の後部主砲塔を爆砕、さらに二発が同艦の機関室に飛び込み、主缶と主機の半数以上に損傷を与えた。
そして、機関に甚大な被害を受けた「レナウン」が大きく速力を落とす前に殺到した第七射の命中弾は同艦の前部に集中、二基の前部主砲塔はいずれも使用不能となり、さらに艦首喫水線付近の命中弾による破壊と浸水で同艦は前のめりに傾斜を始める。
やがて、「レナウン」は限界を迎えたのか、被弾した各所から大量の煙が噴き上がりはじめた。
「レナウン」が戦闘力を喪失したことを見てとったイタリア艦隊司令官は次に英戦艦へ接近するよう進路変更を指示、さらに速力を上げてこれまで二隻の「クイーン・エリザエス」級が積み上げてきたイタリア戦艦に対する射撃諸元を無意味なものにする。
互いに一から測距を始めたイタリアと英国の戦艦だったが、こうなっては英戦艦に勝ち目は無かった。
国王に忠誠を誓う統制のとれた戦闘集団と、巫女に会うという一念で心を一つにする究極の職人たち。
どちらが強いか考えるまでもない。
この時点で互いの距離が二万五千メートルにまで近づいた両国の戦艦だったが、この距離は今のイタリア戦艦の砲術職人にとっては必中の距離だった。
「ヴィットリオ・ヴェネト」ならびに「リットリオ」の両艦はともに初弾から挟叉、早くも第二射からは斉発に移行し、「ヴィットリオ・ヴェネト」は「クイーン・エリザベス」を「リットリオ」は「ヴァリアント」を一方的に叩きのめした。
そのころには友軍の巡洋艦と駆逐艦も英国の旧式駆逐艦四隻を撃破し、さらに「レナウン」に肉薄、とどめの魚雷を放っていた。
この戦いでH部隊は戦艦二隻に巡洋戦艦一隻、それに駆逐艦四隻すべてを撃沈された。
一方でイタリア艦隊に沈没艦は無く、巡洋艦一隻と駆逐艦二隻が英駆逐艦の主砲による攻撃でわずかに被弾した程度だった。
先の地中海艦隊撃滅に続き今回もまたH部隊を全滅させたイタリア海軍に世界は驚愕した。
世界最弱のイタリア海軍に、世界最軟弱だったはずのイタリア海軍将兵にここ最近、何が起こっているのか。
世界中の海軍関係者はその秘密を必死になって調べた。
だが、巫女に会えなくなったイタリア艦隊将兵の単なる八つ当たりだという真実にたどり着けた者はごくわずかだった。
それと、もうひとつ。
以前、地中海艦隊を撃滅した後で陸に上がったイタリア艦隊の将兵は女の子にもてまくった。
多少顔がアレでも、イタリア海軍の士官服を着ているだけで女の方から声を掛けてきてくれるのだ。
勝てばモテる。
そのことを覚え、さらに下半身に余裕のできたイタリア海軍将兵にかつての腰の浮ついた軟弱さは消えていた。
そのうえ、欲も出てくる。
イタリアのふつうの娘でさえこんなにもいいものなのだから、日本の巫女に至ってはどんなに素晴らしいことだろうか。
そのためには自分たちの行く手をさえぎる英海軍のような邪魔者は断固として排除せねばならない。
もともと女が絡めば世界トップクラスのパワーを発揮してきたイタリア男だ。
そのうえ勝利すればモテることを覚え、さらに巫女への渇望も忘れないイタリア艦隊の将兵たち。
それはもはや、鬼神のごとき強さだった。
イタリア艦隊を止めうる海軍戦力はすでに欧州には存在しなかった。
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