第36話 多忙の巫女
「聖子ちゃん、昨日帰ってきたばかりなんだから今日くらいはゆっくりしてればいいのに」
「杏さんのおっしゃる通りですわ。若いからといってあまり無理をするのは感心できません」
杏と美津子が自分のことをさも心配そうな目で見てくる。
聖子は思う。
どの口がそういうことを言うのかと。
お前ら、ゆうべ私に何をしたんだ?
嫁入り前の娘にあんなことやこんなこと。
それに杏のやつ、とんでもないところを指でぐりぐりかき回しやがって。
おかげで下半身のほてりがとれてぐっすり眠れて、そのうえ疲れも吹き飛んだけど、杏の言葉を借りればそれはそれ、これはこれ。
いつか必ず復讐してやる。
聖子はいつも通りどす黒い心を隠しつつ杏と美津子に「心配してくれてありがとう。でも、もう大丈夫よ」と微笑みかける。
ミッドウェーから聖子が戻ってきた翌日の午後、三人娘は久しぶりの巫女会議を開いていた。
三週間以上も離れ離れだったのだから、互いに報告すべきことは山ほどある。
だから、効率的に会議を進めなければならない。
「残念だけど休んでいる暇なんてないわ」
言葉ほどに残念がっている様子も無く聖子は続ける。
「私たちも仕事がどんどん増えているからね。これまで通りに三人そろって事を進めていたら時間がいくらあっても足りない。だから分担を決めようと思う。これは私の試案」
そう言ってミッドウェーからの帰路の戦艦「大和」の中で書き上げた紙片を二人に見せる。
可愛い聖子ちゃんの案
連合艦隊との折衝と対応(メイン=美津子 聖子 サブ=杏)
講和派会議への参加と対応(メイン=美津子 聖子 サブ=杏)
「薄い本」の企画と製作(メイン=杏 サブ=美津子 聖子)
住まいの要塞化(メイン=杏 サブ=美津子 聖子)
「私はこれで問題ないと思いますが、杏さんはいかが?」
聖子が見せた紙片を見た美津子はそう言って杏に意見を促す。
「うん。私もこれでいいと思う。でも、住まいの要塞化は聖子ちゃんがミッドウェーに行っている間にほとんど終わっちゃったよ」
「えっ、そうなの? じゃあ後で案内してよ」
「うん。私が後で案内してあげるね。すごいんだよ。防音完備だから聖子ちゃんはそこで寝たら好きなだけ声を出せていいと思うんだけど」
「黙れ」の意を込めて杏をにらみつつ、聖子はその杏とともに住まいの要塞化の実務担当をしている美津子に向き直る。
「地下室の工事は聖子さんがミッドウェーに行かれたすぐ後に終わりました。今はコンクリートを乾燥させている段階です。それが終われば備品を運び込んで完了です」
聖子の視線を察した美津子が簡単に説明する。
美津子が聖子に説明した「地下室」というのは、彼女らが住む洋館の地下につくらせた射撃訓練所に道場、さらに食糧や武器弾薬などの貯蔵庫としての機能を持たせた防空壕だった。
三人娘は連合艦隊司令長官から海軍軍人として週に一度、基礎的な護身術や射撃の訓練をするよう義務づけられていた。
しかし、週に一度とはいえ海軍の訓練施設に出向くのは多忙な三人娘にとっては結構な負担だ。
そこで美津子が地下に射撃訓練所と道場を兼ねた地下室をつくろうと杏と聖子に持ち掛けてきた。
そうすれば移動の時間が浮く。
それが毎週ともなれば、相当に時間の節約になる。
杏と聖子は「金持ちは考えることが違うなあ」と感心したが、時間が節約できるのは何よりもありがたい。
それに、射撃は美津子が教えればいいし、護身術は家政婦兼番人の梃木さんと須俣さんから教わればいい。
それと銃のメンテナンスも梃木さんと須俣さんがやってくれるという。
連合艦隊司令長官が「少々特殊な方たち」と言っていたが、まさにその本領発揮といったところか。
それから、杏や聖子の提案で地下室そのものを防空壕兼要塞とし、部屋にあるのと同様の海軍基地へのホットラインも敷設することにした。
これは、かつての某陸軍参謀による拉致未遂事件の教訓を反映したものだった。
そして、連合艦隊司令長官と家主さんの許可を得て工事を進めていたのだが、それがこのほど完成したのだという。
そのことで、これまでの蓄えから少なくない分を吐き出してしまったのだが、今後も特許料の継続収入が確実なので問題はなかった。
「護身術や射撃訓練が自宅の地下で出来るというのは助かるわ。ただでさえ仕事が増える一方だったから」
そう言って、聖子はさらに一枚の紙片を杏と美津子に提示する。
一週間のルーチンワークと随時入ってくる仕事だ。
・お上との懇談(週一、全員)
・講和派会議(週一、美津子と聖子は必ず参加、杏も可能な限り参加)
・特許担当者との打ち合わせ(週一、基本全員だが家にいることが多い杏がメイン)
・護身術と射撃訓練(週一、射撃は美津子、護身術は梃木さんと須俣さんが先生)
これに随時、連合艦隊との打ち合わせや巫女写真の追加バージョンの撮影会、それにミッドウェーで捕虜になった米兵向けのコンサートツアーも今後予定されている。
これら連合艦隊関係の仕事については、参謀的任務が聖子、写真やコンサートの方は美津子が窓口となる。
杏が中心となって進める「薄い本」の製作もこれから増えることはあっても減ることはないだろう。
それ以外にも世界情勢の推移や戦況分析、特許のアイデア出しなど、調べることや考えるべきことは山積している。
そこへ「とどめを刺すつもりはないのですが」と申し訳なさそうに美津子が聖子がミッドウェーで不在だったときに行われた講和派会議でのあらましを伝える。
美津子から説明を受けた聖子は、その意外なほどの進展に驚いていた。
さらに美津子は三枚の写真を聖子の前に差し出した。
「あはは、やっぱり出て来たか。『バッタもん』に『パチもん』が」
写真を見ながら笑う聖子の横でお嬢様の美津子が「『バッタもん』とか『パチもん』ってどういう意味ですの」と杏に問いかける。
「えーっとね、『バッタもん』っていうのは本物が多いんだけど本来のルートで売られていないもので、『パチもん』っていうのは偽物のことだよ」
少したどたどしい杏の説明に、財閥の令嬢の美津子は自分の想像が及ぶ範囲で理解した。
まあ、要は「バッタもん」というのは倒産企業や商店などから格安で入手した商品などで、「パチもん」は明らかな偽物なのだろうと。
杏と美津子がやりとりしている横で聖子はひとしきり写真に写る娘たちを値踏みしている。
「うーん、まあ、おかずにするには『十分』なんだろうけど、でも私たちよりかわいい子はいないわね」
勝ち誇ったような表情の聖子の横で美津子は「おかず」という言葉に嘆息する。
叶うならば、死ぬまでその意味を知らずにいたかった。
「で、この娘たちどうなったの?」
聖子はうんざり顔の美津子に尋ねる。
「現在は警察、それに特高と憲兵も独自に犯人捜しをしているそうです。なので、そう遠くない時期に捕まるのではないかと見られています」
うんざり顔から一瞬で真顔に戻すという器用なことをやってのけた美津子が答える。
「まあ、特高と憲兵も出張るかあ。このことで本物の売り上げが落ちたら困るもんね」
巫女写真の売上利益の一部は、戦死した将兵や軍属の遺族たちに対する補償の上積みの原資になっている。
偽物のせいで売り上げが落ちることがあってはまずい。
陸軍も必死になって犯人特定に全力を挙げるだろう。
「ええ。それでも敵国のスパイに本物の巫女だと勘違いされて拉致されるよりは特高や憲兵に捕まったほうがまだましかもしれません。ただ、写真の娘さんたちも何か事情があったのかもしれませんので、理由によっては寛大な処分をしていただけるよう私の方からお願いしています」
「へえ、優しいところあるじゃない。あんたの偽物が自分より美人じゃなかったことからくる余裕?」
「聖子さんは誰が誰の偽物か分かるのですか?」
「そりゃ分かるわよ。一人だけおっぱいのでかいのがいるんだから。間違いなくこの娘があんたの偽物よ」
「私はおっぱいで見分けられる女なのですか?」
「美津子ちゃん。聖子ちゃんの言うことは気にしなくていいよ。それに写真のこの娘の胸は詰め物だよ。美津子ちゃんのと違って全然吸いたいと思わないもん」
「杏さん、変なことを言わないでいただけますか」
美津子は杏の発言に困り顔だ。
一昨日までの美津子だったら、杏の言葉をただの冗談だと一笑に付しただろう。
しかし、昨夜の杏を知ってしまった以上、まるっきりのそれだとも思えなかった。
昨夜、天使の顔に悪魔の表情を浮かべながら聖子をなぶり続けた杏に美津子は驚きを通り越して畏怖した。
そして、杏の毒牙にかかり痴態をさらした聖子の姿は今も生々しく思い出せる。
はっきり言って軽いトラウマだ。
その杏に真顔で「吸いたいおっぱい」だと言われたのだ。
自分のおっぱいは好きになった人とその子供のためだけにと漠然とながら心に決めている美津子は「私のワルサーP38は今どこだったかしら」と危険な思考に陥りかける。
その時、部屋にあった海軍直通電話のベルが鳴った。
山本連合艦隊司令長官からだった。
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