第34話 混迷の合衆国

 米大統領は進退窮まっていた。

 帝都奇襲に失敗し、続くミッドウェーでも一敗地に塗れた。

 これが、単に相次ぐ敗戦によって国民から叩かれているだけならまだよかった。

 だが、国民は両作戦ともに米大統領が「十死零生」の作戦に海軍将兵を無理やりに放り込んだと思っている。

 二日間にわたって繰り広げられたミッドウェー海戦は米軍の完全な敗北に終わった。

 米軍は少なくない日本機を撃墜したものの、一方で沈めた艦は一隻もなかった。

 日本のステートメントは早かった。

 あらかじめ予定稿を用意していたのだろう。


 「第一八任務部隊の将兵は、帝都奇襲失敗によって失墜した米大統領の権威とさらに低下した支持率を向上させるというたったそれだけの理由のために十死零生の作戦を強いられた。そして、その結果多くの合衆国青年がまたもや無為に死んでいった」

 「日本はこのような無慈悲な特攻作戦を繰り返し将兵に強い続ける米大統領ならびにその米大統領の圧力に屈して第一八任務部隊をミッドウェーに送り込んだ太平洋艦隊司令長官を強く非難する。一方で、絶望的な戦力差の中でも祖国を思い、必死になって戦い、そして散っていった勇敢な合衆国将兵に敬意と哀悼の意を表す」


 このステートメントによって米国民だけでなく、世界中で合衆国将兵を消耗品扱いする鬼畜の米大統領と、戦い傷ついた敵将兵をいたわる日本国のイメージがさらに強まっている。

 少し前に米国内で流通した「ハル卑の憂鬱」という「薄い本」によって、先に殴り掛かってきたのは日本だが、そう仕向けるようにしたのは合衆国ではないかという認識が米国民の間で広まりつつあった。

 そのうえ、帝都奇襲に失敗した米将兵を手厚くもてなす巫女をはじめとした日本国民に、敵であるのにもかかわらず奇妙なシンパシーを抱く者も確実に増えている。

 そのようななかで起きた米政府高官の不用意な発言も大統領には大きな痛手だった。


 「最新鋭戦艦二隻があっさりと降伏せずに最後まで戦っていればミッドウェー海戦の様相は違うものになっていたはずだ」


 この発言には米海軍だけでなくミッドウェー海戦で戦死した遺族、さらには国民の多くが激怒、大統領はまたしても関係各所に謝罪するはめになった。

 一方の合衆国海軍もまた「薄い本」によって作戦部長はネトリ疑惑、海軍将兵は男色といったあらぬ? 嫌疑をかけられた結果、深刻な人材難だ。


 そのようななか、今回のステートメントとともに米政府やマスコミに一冊の「薄い本」が届けられていた。

 内容も絵もグロかった。

 ミッドウェーの放棄という極めてまっとうな戦略を訴える太平洋艦隊司令長官を、米大統領が前から口をふさぎ後ろから海軍作戦部長が攻めるという、決してボーイズラブの範疇には入らないであろうストーリーが現実の当人の顔に似せた絵とともに展開するものであった。

 あのエロ耐性抜群の杏が「勘弁してー」と涙ながらに描きあげた逸品だ。

 そのおぞましさはこれまでの「薄い本」とは別次元だった。


 その「薄い本」が米海軍に、米政府に、合衆国そのものに与えた衝撃はすさまじかった。

 米海軍などは、ただでさえ志願者が激減していたのが、この「薄い本」によってほぼ皆無となってしまった。

 そのうえ、渦中の人物の一人だった太平洋艦隊司令長官が「今回の『薄い本』に描かれているような行為は決してしてはいないが、米大統領の圧力に屈して第一八任務部隊を送り込み、大勢の将兵を死なせたのは自分の責任だ」と言って引責辞任を表明、ことのいきさつをマスコミに語ったのだ。

 このことで、米大統領は国民から完全にクロ認定された。

 日本の指摘する通り、米大統領は将兵に十死零生の命令を平気でくだすことができる外道なのだと。

 だが、当の米大統領も米国民も誰も気づいていなかった。

 この一連の騒動の黒幕が、シナリオを描いたのが令和の女子大生であることを。


 もともと聖子は堅実で合理的な太平洋艦隊司令長官ならミッドウェーの放棄を選択することも、そしてその方針が功を焦る米大統領によって十中八九却下されるであろうことも分かっていた。

 だがしかし、万一のこともある。

 米艦隊には一〇〇パーセントの確率でミッドウェーに来て戦ってもらわねば困る。

 だからこそ、聖子は自分自身を囮にしてミッドウェーに出張り、敵前に身をさらす決意をした。

 そして、思惑通り米機動部隊はやってきた。

 結果は見ての通りだ。


 それからもうひとつ。

 生真面目な太平洋艦隊司令長官ならば米機動部隊を覆滅した後に彼の良心をつつくためのしかるべきおぜん立てをすれば必ずその呵責に耐えかねて真実を話すであろうことも聖子は完全に読み切っていた。

 そこで、呼び水として涙を飲んで辛い絵を杏と美津子に描かせたのだ。

 いや、実際は腹の中ではその絵を描く彼女らの姿を是非見てみたいと思っていたのだが。

 いずれにせよ、一連の失態と、そこに根も葉もない尾ひれを加えた「薄い本」による風評被害作戦にすっかりはまった米大統領はもう長くは持たないはずだ。

 ついでに、海軍作戦部長も「ネトリ」に加えて「男色」属性が加わった。

 こちらも半ば事実無根とはいえ海軍トップのスキャンダルは、直前に起きた米機動部隊の壊滅と相まって米海軍という組織に筆舌に尽くしがたい打撃を与えることだろう。

 そして、聖子がにらんだ通り、この少し後に米大統領と海軍作戦部長は辞職する。

 彼らは合衆国の歴史において、女子大生と「薄い本」によって辞職に追いやられた最初で最後の大統領、そして海軍作戦部長となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る