第30話 イタリア艦隊
話は少しさかのぼる。
巫女と米兵捕虜が交流する写真が米国内で出回り、そのことで合衆国大統領が苦虫を噛み潰していたころのことだ。
その同じ写真に、苦虫を噛み潰すのではなく嫉妬の炎を燃やす人間がいた。
イタリア海軍の将兵たちだった。
イタリアの新聞にも巫女と米兵の交流が大きく取り上げられていた。
帝都奇襲作戦という投機的な作戦において平気で将兵を使い捨てにした米国と、その結果捕虜になった米兵を手厚くもてなす武士道精神を発揮した日本。
新聞では両者の対比によって連合国側の非道さを非難するとともに、枢軸国側の一国である日本の対応をほめちぎっている。
そして、それら記事には当然のように日本の巫女たちの写真があしらわれていた。
このことで、日本の巫女に一番槍をつけるのは自分たちだとばかり思い込んでいたイタリア海軍将兵は、捕虜とはいえよりにもよって敵国の米兵に先を越されてしまったことにおおいに立腹した。
米兵は捕虜の待遇だし、それに自分たちと違って巫女に何もしていないとは思うが、それでも面白くない。
そして、その怒りの矛先はなぜか同盟国である英海軍に向けられた。
日米の両機動部隊がミッドウェーで激突しようかというまさにその時、地球の裏側の地中海でもイタリアと英国の避けえない運命の戦いが始まろうとしていた。
イタリア海軍将兵の理不尽な八つ当たりによって。
この時期、エジプトでの陸上戦における枢軸国側勝利がほぼ決定的となったことにより、地中海艦隊が本国に向けて脱出を図った。
東洋艦隊壊滅の影響で艦艇不足が深刻な英国にとって、エジプトと運命を共にしていいような艦は一隻もない。
だが、その脱出を図る地中海艦隊に対し、イタリアから刺客が放たれる。
「ヴィットリオ・ヴェネト」と「リットリオ」の二隻の戦艦を主力とするイタリア艦隊だった。
戦艦「マレーヤ」ならびに空母「イーグル」を基幹とした地中海艦隊がイタリア艦隊に捕捉されたとき、それでもまだ「マレーヤ」艦長は楽観していた。
これが「ビスマルク」や「ティルピッツ」だったらたぶん絶望していただろう。
しかし、相手はあのイタリア海軍だ。
一見したところ新鋭戦艦二隻対旧式戦艦一隻というのは本来ならば絶望的な戦力差のはずだ。
だがしかし、将兵の練度において、士気においてはこちらの方が断然上だ。
だから、「マレーヤ」艦長は、この戦いは欧州最強海軍の戦艦と欧州最弱海軍の二隻の戦艦の戦いだと考えていた。
先に一発か二発当てればイタリアの連中は尻尾を巻いて逃げ出す。
戦いが始まるまで「マレーヤ」艦長はそう思っていた。
その判断は、これまでのイタリア海軍のことを知る者にとっては妥当なものに思えた。
だがしかし、それは大きな間違いだった。
「『マレーヤ』は『ヴィットリオ・ヴェネト』が対応する。『リットリオ』は『イーグル』を追撃、これを捕捉撃滅せよ」
イタリア艦隊司令官は一連の命令を出した後、旗艦である「ヴィットリオ・ヴェネト」の艦長に「マレーヤ」との同航戦に入るよう指示した。
英戦艦との一騎打ち。
かつてのイタリア海軍では考えられないことだ。
こちらが三倍優勢でも英海軍には勝てる気がしなかった。
だが、今は違うとイタリア艦隊司令官は確信している。
確かに艦の性能ではこちらが上だ。
しかし、気を抜くつもりはない。
相手は世界最強の海軍国のひとつであることに間違いはないのだから。
先のマルタ島攻略作戦から将兵の動きは見違えていた。
理由は明快だ。
戦功を挙げた者は、海軍によるあご足つきの日本への旅行が進呈される。
あの巫女のいる夢の国、日本だ。
国王への忠誠を誓う男たちと、巫女への愛を抱く男たち。
どちらが強いか考えるまでもない。
これまで、自分たちはむさくるしい統領にいやいや忠誠を誓わされていた。
これでは国王に忠誠を誓う英国の将兵と何も変わらない。
しかし、これからは自分たちは巫女のために命を捧げる。
あの統領のために命をかけるなど金輪際ごめんだ。
国家のために命をかけるのは愚か者の所業だが、乙女のために命をかけるのは英雄的行為であり正義なのだ。
ようやっと納得できる大義を手にしたイタリア海軍将兵は以前のそれとはまったく違う生物に進化していた。
「ヴィットリオ・ヴェネト」と「マレーヤ」はほぼ同時に砲撃を開始した。
第一射は「ヴィットリオ・ヴェネト」に対して「マレーヤ」はすべて近弾となったが、「ヴィットリオ・ヴェネト」はいきなりの挟叉。
第二射で直撃。
何も不思議なことはなかった。
今の「ヴィットリオ・ヴェネト」の乗組員は、誰もが将兵ではなく職人だった。
一心不乱に自分のなすべき責務を果たす。
職人モードに入ったイタリアの男たちの仕事は完璧だ。
照準手は寸分の狂いも無く「マレーヤ」への距離と苗頭を導き出し、射撃手は艦のローリングを完璧に読み切り引き金を引く。
イギリスのレーダー照準射撃や日本の神様と呼ばれる熟練古参兵による射撃など問題ではなかった。
驚異的な命中率で「マレーヤ」に砲弾を浴びせた「ヴィットリオ・ヴェネト」は一発も被弾することなく一方的に「マレーヤ」をうちのめした。
そのころには「リットリオ」も脚の遅い「イーグル」を捕捉、護衛の駆逐艦もろとも彼女を海底に叩き込んだ。
この戦いでイタリア艦隊は被弾損傷した艦はあったものの沈没したものは一隻も無く、逆に地中海艦隊でイタリア艦隊の追撃から逃れたものはただの一隻も無かった。
英海軍をはるかにしのぐ砲戦時における異様なまでの命中率の高さと、最後の一隻まで沈めるという執念は、これまでのイタリア艦隊とはまったくの別物だった。
この事実は世界の海軍列強を震撼させた。
あの弱かったはずのイタリア艦隊がイギリス艦隊を一方的に殲滅してしまったのだ。
いじめられっ子がガキ大将をフルボッコにしたようなものかもしれない。
そのことで世界中の海軍関係者はこれまでノーマークだったイタリア海軍の調査をはじめる。
あの世界最弱最淡白だったはずのイタリア艦隊の変貌には理由があるはずだと。
イタリアは超高性能な射撃管制装置を開発したのではないか。
あるいは腰の引けた海軍将兵を勇猛にさせる、なにか精神医学における画期的な手法を編み出したのではないか。
世界の研究者らはイタリア艦隊の変貌の真実にたどりつくべく、いろいろな角度からアプローチした。
そして、研究者の中にはごくわずかではあったが、「巫女」というキーワードにたどり着けた者も存在した。
だが、そのことを進言された軍の関係者は、研究者の意見を一蹴した。
たかが巫女に会うという、ただそれだけのために劇的に戦闘力が上がる海軍など、世界中どこを探しても存在するはずがない、と。
軍の関係者の言うことは正しかった。
ただ一国、地中海に面した国を除いて。
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