第28話 振り向けば長官

 自身の人生において、最も面倒くさいと思う人間の姿がそこにあった。

 だから思わず聖子は尋ねる。


 「なぜ長官がここにおられるのです?」


 戦艦「大和」に乗艦した聖子を待っていたのは山本連合艦隊司令長官その人だった。


 「何をおっしゃるのですか。大切な巫女様を守るのが海軍軍人の務め。不肖、この私が貴女をお守りします。それと、ご安心を。司令部から来たのは私だけで、参謀長以下、他の司令部員はみな日吉で勤務に精励しています」


 いやいや、なにこのたいへんな時局に乙女の尻を追っかけてるんだ、このおっさんは。

 それに、連合艦隊司令長官のあんたがここにいたら第一航空艦隊の南雲司令長官がやりにくくて仕方がないだろう。

 とにかくこのおっさんの相手をするのはなにかと面倒くさいうえにいろいろと気を遣う。

 やっぱり、下艦させよう。


 「ですが、私ごときを守るのに山本長官のお手を煩わせるのは本意ではありません。そもそも貴方はこの国の未来を決する立場のお方なのです。軽々に日本を離れるのはあまり感心できることではありません」


 「それは貴女も同じではありませんか」


 「私の代わりでしたら杏と美津子がおります。ですが、貴方の代わりが務まる方はどこにもおられませんよ?」


 「私の代わりが務まる者などいくらでもおりますよ。それに、軍隊というのは誰かが死んでもすぐに次の者が取って代われるように組織されています。そうでなければ戦争は出来ません。帝国海軍もそこは同じです」


 「軍人としてはそうなのかもしれませんが、貴方は講和派の重鎮でもあるのです。いざという時に貴方がおられないなら誰が継戦派を説得できるというのですか」


 「井上軍事参議官や南雲長官がいるではありませんか」


 そう言って山本長官はニヤリと笑う。


 井上参議官はもともと山本長官らとともに「三羽烏」と呼ばれ、米国との戦争には反対の立場だった。

 今では聖子ら巫女たちとともに戦争終結に向けた活動を行ってくれている。

 何やら聖子たちの知らないところで部下をつかって人に言えないようなこともしているみたいだが、三人娘は知らないふりをしている。

 なんか危なそうだし。

 一方の南雲長官はもともとは継戦派でも講和派でもなかったのだが、三人娘と交流を重ねるうちにバリバリの講和派へと転向していた。

 そして、インド洋作戦や帝都奇襲阻止、それに珊瑚海海戦と四月から五月にかけて相次いだ一連の戦いにおける立役者こそが山本長官であり、南雲長官であり、そして当時は第四艦隊司令長官だった今の井上参議官だった。

 今ではこの三人は「昭和の三軍神」として「三人の巫女」と並んで国民から絶大な人気を博している。

 ああ言えばこう言う山本長官に対し、聖子は小さくため息をついた。


 「死んでも知りませんよ?」


 「乙女を、それも巫女様をお守りして死ねるというのであれば、これは武人の、いや、男としての本懐。人生に一片の悔いなく死ねるでしょう」


 「あんたは筋肉むきむきの世紀末のおっさんか?」


 そう胸中で山本長官に突っ込みを入れると同時に聖子は説得をあきらめた。






 「王手!」


 「またか! いやーっ、さすが巫女様だ。強い、というか容赦なしですな」


 聖子にこれまでの最短手筋で詰まされた山本長官は扇子で顔をあおぎながら、どこで手を間違ったのかと盤上を見つめる。


 「これで私の二三勝〇敗ですね。でも、大丈夫ですの? いくら山本長官といえども今の時代にこんなにたくさん『間宮』の羊羹を確保できますか?」


 「私も日本男児だ。言ったことは必ず守る」


 聖子と山本長官は日本を出てからよく将棋を指すようになった。


 最初は暇を持て余した山本長官が聖子に冗談半分本気半分で「貴女は将棋はたしなまれるのでしょうか」と尋ねたことがきっかけだった。

 巨大戦艦「大和」は二〇〇〇人をゆうに超える将兵が乗り組んでいる。

 しかし、その「大和」といえども、最高位の艦長でさえ大佐にしか過ぎない。

 だから大将である山本長官に用もないのに自分から話しかけることなど出来るはずもなかった。

 艦長がそうなのだから、他の人間は輪をかけて山本長官との接触を避けようとする。

 そもそもとして、階級が違い過ぎるのだ。

 そのことで、これまで司令部スタッフに囲まれてちやほやされていた山本長官は急にぼっちになってしまった。

 寂しい。

 そんな連合艦隊司令長官に平気な態度で接してくれるのは、この「大和」ではもう聖子しかいない。

 しかし、娘のような巫女をつかまえて、その彼女を飽きさせないような長時間トークを続けられるほどのネタは軍人である山本長官は持ち合わせていない。

 彼女が将棋でも出来たら間が持つのだが。

 やがて、その思いは「知らなければ教えてあげればいいんじゃね?」という考えにチェンジする。

 そして、頃合いを見計らい山本長官は思い切って聖子に声を掛けた。


 「私、将棋の心得はありますわよ。かつては『白雪姫』と呼ばれていましたわ。そうおっしゃる方に理由を聞いたところ、穢れを知らない無垢な身体と心の白さと、華麗に駒をさばく白魚のような指をかけたものだとおっしゃってくださいました」


 「顔や指はともかく、心、白いかな?」


 山本長官は一瞬、そう思ったものの機嫌を悪くされては暇つぶしの唯一の希望を失ってしまう。

 だから、彼は最初は一度手合わせをしてみて彼女の棋力をはかり、それから後はうまく勝ったり負けたりすればいいと考えていた。

 盤を挟んだ至近距離で乙女と一緒にいられるだけでも十分幸せだ。

 そう思っていたら、聖子は「賭け将棋にしましょう」と提案してきた。

 山本長官はびっくりして「巫女様が賭けなどしてもよろしいのですか」と思わず尋ねてしまう。


 「構いません。何も大金を賭けようというのではありません。勝負に真剣味を持たせるためのスパイスのようなものです。そうですねぇ、私が勝ったから『間宮』の羊羹を一本長官からいただき、長官が勝ったら私が長官の指示された部分を三分間マッサージするというのはいかがでしょう? 長官のお体でしたらどこだってさせていただきますよ」


 山本長官は年甲斐もなく「どこでもいいの!?」と思ってしまう。

 だがしかし、巫女様に変なことをさせる訳にはいかないからやっぱり肩あたりが無難なんだろうなと思い直す。

 一応、自分、紳士なつもりだし。


 「分かりました。ですが、一度手合わせをしてみて、それから駒落ちをどうするか考えましょう」


 「あら、私はどんな相手にもハンデをあげるつもりはありませんわよ」


 一瞬、山本長官は聖子の言っている意味が分からずにきょとんとした。

 そして、その意味を理解することで勝負魂がメラメラと燃え上がるのを自覚した。

 自分は聖子に駒落ちのハンデを与えるつもりだったのが、聖子からすれば本来、駒落ちをするのは自分の方ではないかと言っているのだ。

 つまり聖子にとって自分は格下の相手だと言われたのだ。

 山本長官は荒ぶる自身の心を表情に出さないようニッコリと笑い「それでは巫女様のご指導を賜ると致しますか」と余裕の態度を見せる。

 すでに心理戦で聖子に先手を取られていることを山本長官は気づいていない。

 将棋における盤外戦術は聖子の最も得意とするところだった。

 それは将棋に限ったことではなかったのだが。






 聖子が将棋を覚えたのは小学校に上がって間もないころだった。

 きっかけはアマ有段者の父親が自分に勝ったら百円あげると冗談半分で聖子に言ったことだ。

 天使の顔を持つ強欲な幼女は、すでに小学校高学年レベルに達していた頭の中で計算した。

 一時間に十回勝てば時給千円。


 「悪くない!」


 そして、聖子は金欲しさにメキメキ上達した。

 もともと棋才もあったのだろう。

 一年とたたずにアマ有段者の父親は聖子にまったく勝てなくなった。

 聖子の才能を認めた父親は将棋連盟の研修会入りを彼女に勧めたが聖子は首肯しなかった。

 その時すでに、賭け将棋が違法だということを知っていたからだ。

 金にならないものに興味はない。

 もちろん、女流棋士になれば収入はあるのだろうが、そこまでするほどに将棋に入れ込んでいるわけでもない。


 それから長いこと将棋から離れていた聖子だったが、この時代に飛ばされる少し以前に父親や近所の強豪のおじさん達とたまに将棋を指すようになっていた。

 当時、快進撃を続ける若手棋士のタイトル獲得賞金額の生々しいニュースや、某ライトノベルの影響が大きかったのかもしれない。

 そのことで、将棋を指すときは自分のことを「神戸の白雪姫」と呼ぶようにおじさん達に強要、自分はライトノベルのヒロイン気分を味わって悦に入っていた。

 長年のブランクによるさび落としを終えた聖子は、アマ名人戦の県代表にもなった実績があるご近所最強のおじさんと勝負、互角の戦いを演じた。


 そんな聖子の隠された一面を知らない山本長官は文字通り蹴散らされた。

 敗北に歪む山本長官の表情を見て、聖子は密かに愉悦に浸る。

 これこそが、彼女が将棋をする最大の理由だった。

 自分が負かした相手の悔しがる顔を見るのは勝利に対する最高のご褒美だ。

 そして、その山本長官の姿を聖子は美少年棋士に脳内置換、その日の夜のおかずにした。

 戦艦「大和」の、これから後に生起するミッドウェー海戦の知られざる歴史のひとコマだった。

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