第25話 バレたお嬢様の性癖
ハルゼー提督との会談を終えた日のこと。
その日一日だけでこれまでの人生でかいた分の総量を遥かに上回る恥をかかされ、這う這うの体で帰宅した美津子は、一目散に風呂場に駆け込んだ。
そこで今日一日かきまくった嫌な汗を洗い流し、少し落ち着きを取り戻した美津子は自分を陥れた聖子を捜した。
「復讐してやる!」
しかし、彼女はどこかに雲隠れしたのか、その姿は一向に見つからなかった。
仕方なく居間でくつろごうとしたら、そこにあるテーブルの上に二冊の本が置いてあったのを美津子は見つけた。
何の気なしに、そのうちの一冊を読み始めた。
やがて、悲鳴とも叫び声ともつかない声を美津子は上げた。
「何なんですか、このはしたない本は」
美津子の声を聞きつけてやってきた杏が「美津子ちゃん、それは薄い本だよ」と説明する。
杏の言う「薄い本」とは、ざっくり言えばページ数の少ない漫画やアニメの二次創作の同人誌のことで、比較的というかかなり成人向けのものが多い。
美津子が見てしまった「薄い本」には、米海軍艦艇を舞台に黒髪長髪の少佐が部下の美少年兵たちを次々から次へと食べまくるストーリーが展開されていた。
アニメとともに漫画が大好きで、恵まれた腐女子の素質を持つ杏は、けっこうヘビーなボーイズラブでも平気だ。
一方、深窓の令嬢を地で行くお嬢様の美津子はこういったものにはまったくといっていいほどに免疫がない。
その美津子にとって、男性と男性がアレをしているのは衝撃以外の何物でもなかった。
軽い動悸のようなものを感じつつ美津子は一縷の望みを託して杏に問う。
「これ、杏さんが描いたのではありませんよね? こんなものを書くのは聖子さんに決まっていますよね?」
あのエロ娘の聖子さんならともかく、杏さんがこのようなものを描くというのは信じられないし、信じたくない。
「ううん。絵を描いたのは私」
そう言って杏は美津子の希望を無邪気に砕く。
「でも、ネームは聖子ちゃんだよ。すごいよね聖子ちゃん。私もこの手の本はいくつか読んだことがあるけど、こんな斬新なストーリーははじめて見たよ」
「杏さんもそんなかわいい顔をしていながらこんな絵が描けるなんてたいがいすごいですわよ」
そう心の中でうめきつつ、ページをめくるその手は止まらない。
「美津子ちゃん、鼻血が出てる」
杏が美津子の鼻にちり紙をあててくれる。
いつの間にか怒りで興奮してしまったようだ。
そう、これは怒りによる興奮、のはずだ。
それにしてもこんな優しい杏さんが、こんなエロい漫画を描くなんて。
間違いなく聖子さんによる悪影響だ。
ちり紙を小さくちぎって丸め、鼻の穴に差し込んだ元深窓の令嬢は、無意識のうちに二冊目を手にとっていた。
良かった、今度は男と女だ。
はしたないはずのエロ漫画であるのにもかかわらず安堵を覚えた時点で、すでに美津子の心はマヒしてしまっていた。
漫画だけでなく、幼少のころからすべてのエロの世界から遠ざけられてきた美津子にとって、いきなりのエロ漫画が男同士というのは衝撃的すぎた。
しかも、ほとんど無修正と言っていいほどのクオリティだ。
ある意味で美津子は杏に畏怖の念を抱く。
だから、二冊目が男女の話であることに安堵した美津子は、その一方で自身がエロ漫画を食い入るように読んでいることをまったく自覚していない。
背後に迫っている影にも。
「杏さん、NETORAREってどういう意味ですの?」
「そのまんま、お嫁さんを『寝取られ』るって意味だよ」
杏は自分が描いた漫画を美津子が食い入るように読んでくれていることがうれしかったのか、弾んだ声で答える。
二冊目の漫画は俗に言う「ネトラレ」もので、合衆国海軍作戦部長が自らの権限を駆使して部下の美人妻を次から次へと食い物にしていく話だった。
俺の言うことを聞かないと亭主を激戦地に飛ばしてしまうぞ、と。
そして、合衆国海軍作戦部長は亭主の目の前で妻を・・・・・・
「あのね、聖子ちゃんが言うにはね、こっちの漫画のほうは半分実話だって言ってた。だから効果抜群だって」
「効果?」
「うん、この二冊は枢軸国や中立国をはじめ世界中にばら撒くんだよ。今計画しているコンサート写真作戦で米大統領が困ったことになるはずだから、それに追い打ちをかけるんだって。もう各国ごとに吹き出しの入ったのが刷り上がっているころだよ」
「私はそんな話、聞いてませんでしたけど」
「うん。聖子ちゃんに薄い本が完成するまで美津子ちゃんには黙ってろって言われてた。美津子ちゃんは真面目だからきっと反対するって」
「当たり前です。真面目に戦争をやれとは言いませんが、これはふざけすぎています。聖子さんは今どこにいるのですか?」
荒ぶる美津子の後ろにいつの間にか聖子が音も無く立っていた。
顔がニヤついている。
聖子に気づいた美津子が抗議の声をあげる。
「聖子さん、今日はあなたのおかげで死ぬほど恥ずかしい目に遭いましたよ。誰ですか、服は女の武器だなんて言ったのは。あの胸の大きく開いた服のおかげで私は痴女扱いされたんですよ」
美津子の猛抗議にも聖子はまったく動じる様子もなく、相変わらずのニヤケ顔だ。
「六ページ、七ページ、一一ページ、一七ページ、一八ページ」
聖子の挙げたページ数に美津子がぎくりとした表情をその彼女に向ける。
「ずっと後ろからあんたを見ていたわ。薄い本に夢中になっていたから私が近づいてきたことに気づかなかったでしょう。そして今言ったページのときは少し手がとまっていた。後ろからだったので目線は分からなかったけど、きっとガン見していたのよね。それに今言ったのは特に激しいシーンのあるページばかり。しかも後ろから攻めている絵が多かったところ。美津子、あんたは前からよりも後ろからが好きなようね」
勝ち誇った顔で指摘する聖子。
一方、聖子に指摘された方の美津子は見る見る顔が紅潮していく。
思わずガン見してしまったのがどのページのどのコマだったのかすべてバレていた。
しかも一番知られたくない相手に。
昼間の恥辱とたった今さらしてしまった恥で美津子の精神のある部分が許容量を超えてしまった。
そして、涙目になった美津子は「聖子さんのばかぁ」という言葉を残しダッシュ、あっという間に自室に引きこもってしまった。
「聖子ちゃん、言い過ぎだよ。美津子ちゃんは今日がエロ漫画のデビューだったのに。それに自分では自覚していなかった嗜好や性癖を他の人からずばり言われたらショックだよ」
杏があきれたように聖子をたしなめる。
聖子もさすがにやりすぎたと思ったのか頬をかきながら「そうね、後で謝っておくわ」と珍しく殊勝な態度だった。
とある日、杏と聖子の共作による薄い本は、ドイツ大使館やイタリア大使館からはFAXで本国へ送られ、そこできれいに修整がほどこされたものが欧州全域に配布された。
日本も占領地や中立国などにこの本をばら撒いた。
そして、日本と違い米国における諜報網がいまだ健在のドイツは、米国内にこの薄い本とそのネタ話をありとあらゆる手段を用いて広めた。
これを格好の材料に米議会の野党勢力は大統領と海軍作戦部長に事の真相を説明するよう要求した。
米政府はこれはドイツが米国に対して仕掛けてきた宣伝戦であり、なんの根拠も無いデタラメだと説明したが、海軍内ですでに女好きが周知されていた海軍作戦部長のことを知る者たちはその抗弁に納得しなかった。
それと、米海軍は否定しているが、一般将兵の男色というのはどこの軍隊においても普遍的とも言っていいほどにありふれたものだった。
そして、その中には合意を伴わないものも少なくなかったことから、この機会を好機ととらえたかつての被害美少年兵らの多くが過去の軍務中に起きた体験を訴え出た。
閉鎖された艦艇の中において、美少年兵らに逃げ場はなかったのだと。
その数は海軍の信頼を失墜させるには十分すぎるものだった。
そして、この手の話題が下世話な庶民に好まれることを知悉するマスコミは一斉にこの話に食らいついた。
米大統領と海軍作戦部長は顔面蒼白となった。
相次ぐ敗北に伴い、米海軍の将兵は戦死や捕虜になる者が相次いだ。
だから、米海軍は急いでそれらの欠員によってできた穴を埋める人材を確保しなければならなかった。
だが、このたびの海軍作戦部長のネトリ疑惑と、一般将兵の男色という噂のダブルパンチによって、海軍を志願する者は激減した。
このことで、米海軍は決定的な人材不足に陥った。
さらに、英国や豪州などの連合国が米兵との共同作戦をいやがるようになる。
そりゃそうだ。
いつ後ろから男の銃を突っ込んでくるかもしれない味方など、敵よりもはるかにたちが悪い。
米兵をめぐり連合国の不協和音が、目に見えないきしみが確実に広がっていった。
日本が誇る「薄い本」が米海軍を、合衆国そのものを追いつめつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます