第22話 ハルゼー提督vs巫女

 真剣な表情で米国と日本との講和を説く美津子に対し、だがしかしハルゼー提督は「なんだ、ハニートラップじゃなかったのか」と少しがっかりする。

 だったら、そんなすごい格好で自分の前に現れてほしくなかった。

 帝都奇襲に失敗し、自身のキャリアはもう閉じたも同然だから好き勝手やろうと思っていたハルゼー提督は、お預けを食らわされた腹いせに意趣返しをしてやろうと口を開いた。

 ほんと腹立つ。


 「なあ、お嬢さん。俺の口癖を教えてやろうか」


 「キル・ジャップスですか?」


 美津子の即答にハルゼー提督はびっくりしすぎて一瞬頭の中が空っぽになってしまう。

 ハルゼー提督は捕虜になってからは「キル・ジャップス」という言葉は一度たりとも使っていない。

 口に出せば少しはすっきりするのかもしれないが、ここは捕虜収容所だし大勢の部下もいる。

 自分が吐いた言葉によって部下が不利益を受けたりひどい扱いをされたりするのは避けなければならない。

 この程度の分別はいかなハルゼー提督といえども持ち合わせている。

 だから、日本人は誰も自分の口癖の「キル・ジャップス」を知るはずがない。

 それに部下だって、自分だけではなく周り全体が不利益を被るかもしれないことをしゃべるはずがない。

 なのに、なぜ目の前の娘はこのことを知っている?

 相手のペースにはまりつつあるという自覚はあった。

 しかし、それでも思わず疑問が口をついて出た。


 「どこでそれを知った」


 疑問顔のハルゼー提督に、一方の美津子は意外そうな表情で理由を口にする。


 「日本の一部マニアの間ではすごく有名な言葉ですわよ」


 「マニアだと?」


 「はい。俗に言う軍事マニアとか戦記マニアといった方々ですわ。特に戦記マニアの方には人気が高いですわね」


 「その戦記とやらと俺とどういう関係があるんだ」


 「敵役としてよくご登場されるんですよ。むしろ出ない作品の方が少ないのではないでしょうか」


 「ほう、俺が帝都空襲に失敗したのはつい先日だったはずなのに、もうそういった本が日本では出版されているのか」


 「いえ、出版されるのはずっと先のことですわ。確か二十世紀も終わり頃にかけてからがピークではなかったでしょうか」


 目の前の娘が言う二十世紀も終わりごろというのは今から五十年以上も先の未来だ。

 ふつうだったら頭のおかしな娘の妄言だと切り捨てるところだが、ハルゼー提督は知っている。

 彼女が未来予知ができると言われている巫女であることを。

 その姿は神の使いにしてはすごくエロいけど。

 あるいは日本の神はスケベなのか。

 そのハルゼー提督のいる捕虜収容所には日本の新聞の他にいくつかの海外の新聞も届けられている。

 一部黒塗りされている個所はあったものの、捕虜はそれらを自由に閲覧することができた。

 最初は捕虜に里心をつけさせるための罠ではないかとハルゼー提督は思った。

 だが、収容所の職員によると、新聞に目を通させることで知らない恐怖から捕虜を解放し、収容所内における秩序維持に役立てるのが目的らしい。

 それが本音かどうかは怪しかったが、要はこちらの心の持ちようだ。

 そして、日本をはじめとした枢軸国の新聞には頻繁に三人の巫女の記事が載っていた。

 着ている衣装は違うが、今目の前にいる少女はそのうちの一人ではないか。

 胸にばかり目がいって、ついさっきまでそのことに気づかなかったが。

 それに、どうせ暇でやることも無いハルゼー提督は少し遊んでみることにする。


  「俺がよく出るという戦記だが、どういう役回りか教えてもらえるか」


 「そうですわね。共通しているのは猛将といったイメージですわね。最初のうちは猪突猛進のイメージが強くて、作品によってはそれが行き過ぎて愚将扱いされるものも見られました。

 でも、最近では航空主兵とともに情報も軽視することのない勇猛さと知性を兼ね備えた名将といった切り口で描かれることも増えていますわ」


 ハルゼー提督は娘の言に最初はバカにされているのかと思った。

 帝都空襲に失敗したボンクラ提督が名将だと?

 そのことを指摘すると目の前の娘は未来はいくつもの分岐があるのだと言った。

 自分が知っているのはその一つに過ぎないとも。

 そして、娘が知っている歴史。

 それは帝都空襲を成功させ、連合艦隊を壊滅に追いやった人間こそがハルゼー提督なのだという。

 ならば、とハルゼー提督は端的に聞いた。

 お前は俺の未来を変えたのかと。

 娘はこちらを見据え「はい」と答えた。


 「なぜだ」


 「戦争を一日でも早く終わらせ一人でも多くの人が死なずに済むように」


 「お前たちがさっさと降伏すれば済む話だろう」


 「私はそれでも構わないと思っています」


 ハルゼー提督は目の前の娘の言にびっくりした。

 日本が負けてもいいというのか、この娘は。


 「なぜ日本が負けてもいいと思う。お前も日本人だろう」


 「国が勝ったとか負けたとかいったことに私はこだわるつもりはありません。ただ、人々が戦争で死ぬことの無い世界、それが私の望みです」


 「お前の言っていることは理想論に過ぎない。それにお前は知っているのか? 敗戦国の娘がどういう目に遭うのかを」


 「歴史を見れば戦争に負けることがどういうことかは理解しているつもりです。ですが、個人はともかく米国が国家として敗戦国の娘をどうこうしようとする意志がないことだけは私は理解しているつもりです」


 「ずいぶんとお人好しだな。合衆国はそんな甘いもんじゃないぞ」


 「また奴隷制度でも復活させるおつもりですか?」


 嫌なことを思い出させる。

 奴隷制度は合衆国の歴史において暗部中の暗部、黒歴史だ。

 それに、こちらが何か言うたびにそれに倍するカウンターを放ってくる。

 脅すような言葉を吐きかけてもまったく動じる様子がない。

 そう言えば、こいつは巫女だった。

 予知能力で俺の言葉を予想しているのか。

 なら、勝てるわけないじゃん。


 「お前はただ俺に会いに来ただけじゃないだろう。講和の話はもういいからほんとうの目的を話せ」


 ハルゼー提督は駆け引きは無意味だと勝手に納得し、端的に本題を切り出すよう促す。


 「いえ、目的は講和に向けての協力のお願いだったのですが。ただ、もうひとつお願いがあります」


 ハルゼー提督は目で先を促す。


 「捕虜の方へ慰安のコンサートをさせていただきたいのです」


 「コンサートだあ? 誰か日本の有名な歌手でも来てくれるっていうのか? それにそんなことは俺ではなく収容所の所長に頼めばいいだろう」


 「所長の許可はすでに取ってあります」


 「じゃあ、勝手にやればいいじゃねえか」


 「ええ。ですが、私たちとしては観客の方々に納得して参加していただきたいのです」


 「断っても勝手にやるんだろう?」


 ハルゼー提督の言葉に美津子は何も答えず、ただ艶然と微笑を返すだけ。

 ハルゼー提督はふん、と鼻を鳴らす。


 「歌い手は誰だ? それとも楽器の演奏だけか?」


 「歌は私と、それ以外に同僚の巫女が二人です」


 「で、そいつらはどんな娘だ」


 ハルゼー提督は思わず聞いてしまった自分に後悔の念を抱く。

 これじゃあまるで、自分が楽しみにしているみたいじゃないか。


 「そうですわねえ、一人は少し抜けたところがありますが性格が良くてかわいい娘です。もうひとりは少々腹黒なところがありますが、見た目は抜群です」


 「ほう、そりゃあ良い。女は見た目が九割だ。だが、ひとつ要望を出してもいいか」


 ハルゼー提督の言葉に美津子は「何でしょうか?」と落ち着き払った声で応じる。

 ここまでこぎつければ、今日の目的の九割は達成したようなものだ。


 「あんたの着ているその服のことだ。個人の、しかも女性の服装の趣味にいちゃもんをつけるほど無粋では無いつもりなのだが、それでもさすがに今のあんたのようなもうほとんどおっぱい丸出しの姿はやっぱり俺の部下には刺激が強すぎる」


 「ちっ、違います。これは私の趣味ではありません。ああーっ、もう聖子さんのばかあ!」


 これまでの冷静な態度から一転、慌てて手と首を振り、思いっきり取り乱したせいか途中から言葉の意味が理解できない。

 おそらくは日本語の罵詈雑言だろう。

 目の前の娘が大きく手と首を振るたびに揺れる、その動きとシンクロして大きく開いた胸から見える大きなそれ。

 おっ、もう少しで先端が・・・・・・

 あっ、残念。

 ハルゼー提督は思う。

 戦場では指揮官先頭、そして生殺しも指揮官先頭なのかと。

 そして改めて思う。

 こんなことならあっさりとハニートラップを仕掛けてもらったほうが何かとスッキリして良かったのにな、と。

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