第17話 引っ越し巫女
「インド洋作戦における主な戦果は空母三隻に戦艦五隻の撃沈破か。それに本土東方沖海戦で空母二隻を鹵獲、さらにMO作戦で空母二隻を撃沈」
聖子が感情のこもらない独り言を心の中でつぶやきながら持参したノートに記録していく。
杏や美津子も自身の担当する調べ物を淡々とノートに書き写している。
三人娘は戦局の推移を分析するために必要なデータ収集のために日吉の連合艦隊司令部を訪れていた。
新聞報道だけで戦局の推移を予想するのは無理があったからだ。
資料に関しては山本長官の好意もあって機密文書も見ることもできたが、余計なことはあまり知りたくなかったので、そちらは必要最小限の閲覧にとどめていた。
巫女の託宣によって大戦果を挙げたため、司令部の人間はおおむね彼女たちに対して好意的だったが、なにより山本長官の知己であることが大きかった。
長官のお知り合いに粗相はできない。
一方で、彼女たちはそのような空気に浮かれたりはしていない。
日本軍が大戦果を挙げたということは、それだけ米英の将兵が死んだということでもある。
そして、大戦果の裏で死んでいった日本の将兵も少なくないはずだ。
彼女たちは、自分たちが直接手を下したというわけではないが、その一方でそれらに関与したことは間違いないと思っている。
この世界で生き抜くためとはいえ、間違いなく他人の運命を狂わせているのだ。
それゆえに良心の呵責にも似たような思いを彼女たちは少なからず抱えていた。
だからこそ、一日でも早くこの戦争を終結させるために必死の努力をしなければならない。
それが運命を変えてしまった人々への彼女らなりの贖罪だった。
そんな彼女らの無言の作業をお国のために真剣にやってくださっていると周りの人間が誤解してくれたことは幸いだった。
一通りのデータを取り終え、司令部を辞去しようとしていた三人娘だったが、そこへ司令部員のひとりが今から山本連合艦隊司令長官に会ってほしいと声をかけてきた。
資料閲覧に便宜を図ってもらった恩もあることから三人娘も快諾、すぐに長官室に案内された。
「引っ越しをしていただきたい」
山本長官はあいさつもそこそこに三人娘に要件を切り出した。
「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」
聖子も理由は薄々分かってはいたが、それでも聞かずにはいられない。
「警備上の問題です。あなた方は有名になりすぎた。
まだ、国内だけであれば良かったのですが、今や日本の巫女は世界中の関心事となっているのです。その事はすでにご理解いただいていますよね」
三人娘も不承不承うなずく。
伝手を頼って可能な限りの海外の新聞や雑誌といった文献を集めているが、かなりの頻度で日本の巫女のことがあれこれと紹介されている。
科学的根拠の無い予知能力などただの日本の宣伝戦略に過ぎないと、巫女の力を懐疑的に見るものが多数だったが、しかし、一方でドイツ紙やイタリア紙のように一面すべてを使って礼賛記事を特集したところもあった。
以前のように、これが日本国内の報道に限定されていたなら巫女を利用した自国民の戦意高揚を図るためのプロパガンダだと解釈してもらえたかもしれない。
しかし、これが枢軸国全体で報道されるようになると、米英といえども見過ごすことはできないはずだ。
しかも、ただの巫女ではなく予知能力をもったそれ。
そしてもし、ほんとうに予知能力があるのだとすれば、使い方次第ではどのような兵器にも勝る。
予知の内容によっては戦争全体の趨勢を覆すことだって出来るかもしれないし、それなりの力を持つ者だったら世界征服すら可能になるだろう。
そのことで自分たちはかつて拉致されようとしたのだ。
この戦乱の時代、巫女の予知能力がもしあるとすれば、それを欲しがる人間は世界中にごまんといるだろう。
自分たちの住む洋館の警備については、すごくよくしてはもらっているが、それでも山本長官は不足だと考えたのだろう。
「仮に引っ越すとして、どこに行けばよろしいのでしょうか」
問いかける聖子の隣で美津子が喉をごくりと鳴らす。
聖子は思う。
あっ、こいつ今トイレのことを考えやがったな。
「横浜です。ここからさほど遠くないところにそれなりの広さを持った洋館があるのです。横浜はご存知のように海軍と縁の深い街で、実際、街には海軍兵がうようよしています。それに件の洋館の周りには海軍軍人の家も少なからずあります」
「お上との定期懇談、それに講和派の方々との会議もあるのですが」
「皇居などへ行く車は海軍で用意します。防弾ガラス装備の少々いかつい車ですが、乗り心地はさほど悪くありません」
それと、と言って山本長官は話を続ける。
「運転手には毎回違う道を走らせます。いつも同じ道を走るのは危険ですから。少々遠回りになる時もありますが、安全第一ですのでそこはご容赦願いたい。それと運転手は要人警護の訓練を受けた兵を充てます」
「家の広さや設備をお聞きしても?」
珍しく美津子が横から口を挟む。
「建物の広さはお三方が住んでいる今の洋館よりも若干大きい程度ですが、庭はずいぶんと広く、警備の比較的容易な家です。それと、風呂はシャワー付き、便所は洋式の水洗式ですからご安心ください」
そう言って山本長官は美津子に対してニヤリとする。
美津子の方はこれもまた珍しく少し顔を赤らめてうつむく。
山本長官は「俺は結構気の利く男だろう」というようなドヤ顔をしているが、令和だったらまずセクハラに分類される行為だろう。
まあ、悪気は無さそうなので聖子はそのことは置いといて何かしゃべりたそうにしている杏に話を振る。
「あのー、今来ていただいている家政婦さんはどうなるのですか?」
実は、今来てもらっている家政婦はすごくいい人なのだが、料理の味付けが東京風だった。
東京のご婦人なので、それは全然当たり前のことではあったのだが、令和の関西風の味に慣れ親しんだ杏にとって、昭和の東京風の料理はあまりにも衝撃的だった。
代表的なのは「うどん」だった(注:三人娘はいずれもそばよりもうどん派)。
黒いのだ。
どんぶりの底が見えないくらいに。
自分でも料理ができる杏に言わせれば、うどんの汁は鰹と昆布(注:杏の家の場合。ダシの種類は各家庭それぞれ)でしっかりダシをとれば、塩は素材の味を引き立てるために必要な極少量でいいし、醤油も色付けと香り付けにちょっと垂らすだけでいい。
関西風のうどんが鰹とか昆布といったダシで味付けをしているのに対し、昭和の東京のうどんは明らかに醤油と塩で味付けをしているのだ。
そこで、食にわりと執着する杏は家政婦さんに関西風の味付けにしてもらうようお願いした。
家事全般に精通したその家政婦さんは慣れたもので、杏のレクチャーを受けて短期間の間に関西風の味付けをマスターした。
だから、引っ越しによってその家政婦さんがいなくなれば、またあの黒い東京風の味付けに戻る恐れがある。
「今度来ていただく家政婦さんはすべて関西風の味付けができる方たちばかりだから心配はいらないよ」
山本長官は杏の不安を見透かしたかのように優しい口調で言葉を続ける。
「それと、件の家政婦はみな基礎的な護身術の訓練を受けた少々特殊な方たちだ。料理も防犯も安心してもらっていい」
山本長官の話を聞いているうちに聖子は心中に疑念が涌いてくるのを抑えきれなかった。
美津子のことにしろ、杏のことにしろ、なぜ山本長官は取るに足らない小娘の生活や嗜好を知悉しているのか。
ストーカー?
しかし、聖子のそれは考えすぎだった。
タネを明かせば簡単なことだった。
山本長官もただのおっさんの一人にしか過ぎなかっただけのことだ。
若い娘に、三人娘に好かれたい。
そんなバカげた理由から、山本長官は家政婦に対して三人娘のことをいろいろと聞いていた。
特に何かの機会があったときにプレゼントができるよう、嗜好品のことは念入りに聞いている。
だから、杏の部屋にいくつかの可愛いぬいぐるみがあることや、美津子の部屋にわずかばかりのガラス細工があること、そして聖子の部屋に数点の小さなこけしがあることまで知っていた。
だが、その用途まではさすがの山本長官も知ることはなかった。
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