引っ越し巫女

第16話 振り返る巫女

 杏と美津子、それに聖子の三人娘は日吉にある連合艦隊司令部に来ていた。

 インド洋作戦に本土東方沖海戦、それにMO作戦の戦果や損害の確認、それに伴う世界情勢の推移を確認したかったのだ。

 連合艦隊司令部はすでに陸に上がっていた。

 総力戦を遂行するにはもはや戦艦の司令部施設では狭隘すぎたからだ。

 それに日吉であれば、三人娘の住む洋館までそれほど時間を必要としない。

 旗艦「大和」から日吉への司令部移転の裏には、こういった山本長官の隠された限りなく煩悩に近い思惑があった。

 その山本長官は、未来予知できる巫女に機密も何もあったもんじゃないだろうと言って三人娘が一般資料だけでなく機密文書も閲覧できるように手配してくれた。

 たまには良い事もしてくれるのだ、山本長官も。






 「じゃあ、最初からいくわよ。半年ちょっと前の昭和十六年十一月八日、私たちは理由は分からないけどこの時代に飛ばされてしまった。するとなぜか目の前には山本長官がいた。そしてその日、美津子がトイレが臭いといって泣いた」


 「泣いてません!」


 美津子の抗議を無視して聖子は淡々と話を進める。


 「それから、私たちはこの世界で食べていくために特許を考案するという道を選んだ」


 「考案って言うよりも他の誰かが後の時代で考えたものをパクっただけなんじゃないかな」


 杏がやんわりと異議を申し立てる。


 「いいのよ。私たちは情報戦に打ち勝ち、そして先行者利益を享受した。そういうことよ。それとも杏、あんたは美津子が体を売った方が良かったっていうの?」


 未来知識を生かしたアイデアのパクリにさほど悪びれた様子も見せない聖子が話題を妙な方向に旋回させる。


 「聖子さん、なぜ私が体を売ることになっているんですか」


 「こんな時代に乙女が手っ取り早くお金を稼ごうと思えばそうなるじゃない。それに、どうせ誰かが犠牲になるなら一番高く売れそうな美津子がやるべきよ。なんたって私や杏の二倍の価値があるんだから」


 「聖子ちゃん、ひょっとして写真のことまだ根に持ってる?」


 杏が言う写真のこととは、実用性重視の海軍将兵の間における闇交換レートのことで、美津子一枚に対して杏二枚、あるいは美津子一枚に聖子二枚というのが一般的な相場だったことを言う。

 美津子に対してダブルスコアという惨敗を喫した聖子はしばらくの間荒れた。


 「忘れたわ、そんなこと。私は過去を振り返らない女なの」


 「写真撮影会で恥ずかしい事いっぱいしたもんねー。その方がいいよ」


 これ以上の杏とのやりとりは圧倒的に不利だと悟った聖子はさっさと話を本筋に戻す。


 「そして特許料収入の目途がたった私たちは山本長官にお金を前借りして東京で洋館を借りて生活することになった」


 「水洗式の洋式便器を見た美津子ちゃんが絶叫してたよね。ここにするって」


 「そうね。私もトイレだけで住む場所と物件を決めた人は初めて見たわ」


 「杏さん、聖子さん、さっきから私の話と言えばトイレのことばかりじゃないですか。その話はもうやめてください!」


 美津子が顔を赤くして抗議する。

 彼女にとっては思い出したくもない黒歴史なのだろう。


 「そうね。そろそろワルサーPなんたらが火を噴きそうだからここらへんでやめておくわ。で、この家を借りてからしばらくして例の事件が起きた」


 「あれは今思い出しても腹が立ちます。女の子を拉致しようだなんてひどすぎます」


 「あんたはいいじゃない、憎い犯人に二発も銃弾を叩き込んでやれたんだから。私と杏はただの怖がり損よ」


 「そうでしたわね。でもあの時は杏さんがいち早く犯人の接近に気づいてくれたから助かったのでしたわ。もし、杏さんがいなかったらどうなっていたことか」


 「へへー。杏様はなんでもお見通しだよ。夜中に聞こえてくる聖子ちゃんのセクシーボイスだってばっちり聞こえてるよ」


 「おいっ、杏!」


 思わず地が出た聖子がこちらも顔を真っ赤にして抗議をする。


 「やーい、引っ掛かったー」


 「へ?」


 「聖子ちゃんのそんな声、こっちへ来てからは聞いたことがないよ」


 「あっ、声それほど出てなかったんだ。良かった」


 「夜中に何をしているんだこの娘は」という思いを飲み込んで、美津子は自分が話を進めなければと思う。

 聖子はどうしようもないエロ娘だが、杏もまた結構調子乗りなところがある。

 この二人に任せていたらいつまで経っても話が前に進まない。


 いや、違うか。

 この二人はいつも明るく元気だ。

 でも、たぶんにそれは空元気のたぐいだろう。

 こちらの時代に飛ばれてきてすでに半年以上が経つ。

 それなのに、令和の時代に帰れるきっかけやヒントの欠片すらまだ見つかっていない。

 元の時代に戻れるという希望はまだ失ってはいないが、それでも日ごとにあせりと絶望の色が濃くなっているのも事実だ。

 美津子はそれほどはしゃいだり、はっちゃけたりすることが得意ではないことを自覚している。

 だから、杏と聖子の二人は自分の分まで明るく元気にふるまってくれているのだろう。

 得難い友だった。

 ならば、自分は冗談は得意ではないが、少し挑戦してみよう。

 冗談だと分かるようににっこりとほほ笑みながら。


 「お二人ともいい加減にしておかないと、その足撃ち抜きますよ」


 あら?

 杏さんと聖子さんが顔を真っ青にしてガクガク震え出しました。

 わたくし何か間違えてしまったのでしょうか?






 美津子が恐縮しながら柄でもない冗談に至ったいきさつを話しているのを聞いて杏は意外さを覚えていた。

 動かざるごと山の如し。

 おっぱいも山の如しのあの何事にも動じなさそうな美津子が自分と同じようにあせりや恐怖を感じていた。

 杏にとって美津子も聖子も同い年だったが、どちらかと言えば姉御、もっと言えば実のお姉さんのような感覚で付き合っていた。

 少し強引なところもあるが、どんな苦境でも知恵と策謀を巡らし、決してあきらめることなく前に進もうとする聖子。

 どんな状況に陥ろうとも決して動じず、ひとつひとつ冷静に問題を片づけていく美津子。

 聖子の知恵があったからこそ、戦時中という大変な時代にもかかわらず衣食住の不安無しに生活することが出来ている。

 拉致されようとしたとき、美津子の冷静さと犯人に立ち向かっていく勇気があればこそ無事にあの状況を切り抜けることができた。

 杏から見て、自分たちを守るために銃をとった美津子はどんなアニメの主人公よりもかっこよかった。


 杏は無理だとは分かっているが、あの時から美津子のようにありたいと強く願っている。

 だが、杏から見て強い女の象徴ともいえる美津子も聖子も、実は杏と同じように不安と絶望に押しつぶされそうになっていたという。

 だから、杏は思う。

 これからは自分も強くなって美津子や聖子に負けないくらい友達に安心を与えられる、頼られる人間になろうと。

 そのためにはまずは体力だ。

 よく食べ、よく動き、よく寝る。

 だから聖子ちゃん、やめろとは言わないから夜はもう少し声を小さくしてね。

 令和と違ってこの時代の家はそれほど防音に気を遣っていないんだから。

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