海軍大戦略

第10話 インド洋作戦

 第一航空艦隊司令長官の南雲中将の機嫌は良くなかった。

 はっきり言えば悪かった。

 理由は索敵方法にあった。

 艦攻を二六機も使った二段索敵。

 さすがに、いくらなんでもやりすぎだろうと南雲長官は思う。

 この半分でも十分過ぎるほどだ。


 だがしかし、この索敵法の実施は山本連合艦隊司令長官からの厳命だった。

 その根拠になったのは巫女からの託宣だという。

 東洋艦隊は必ず現れる。

 しかし、その東洋艦隊を見つけるためには広範な索敵を実施しなければならないのだそうだ。

 巫女によれば、艦攻一個中隊あたりそれぞれ二機を二段索敵に供しなければ東洋艦隊を発見することは困難らしい。

 だから、空母「赤城」と「翔鶴」、それに「瑞鶴」からそれぞれ三機に「蒼龍」ならびに「飛龍」から二機の合わせて一三機を夜明け前に索敵に出した。

 さらに三〇分後に同じく一三機を発進させている。


 南雲長官はバカバカしいことだと思う。

 米機動部隊によるマーシャル奇襲を予見した実績があるのかどうか知らないが、それでも天下無敵の一航艦が年端もいかない小娘たちの託宣によって戦術や戦法を左右されるようなことがあってはならないのではないか。

 そう考えていたら、索敵線の最も南を担当する索敵機から空母二隻を含む機動部隊を発見したとの報が飛び込んできた。

 この報告に南雲長官は戦慄した。

 敵機動部隊を発見した場所は、もともとは索敵が予定されていなかった海域だったからだ。

 山本長官の言を、巫女の託宣を受け入れていなければ自分たちは敵の機動部隊を発見できないまま、逆に敵の機動部隊に側背を突かれていた可能性もあった。

 南雲長官はただちに第一次攻撃隊の発進を命じる。

 それと同時に通信参謀を呼ぶ。


 「もし我々が敵に発見されて位置を暴露してしまった場合は、無線封止を解除するとともに連合艦隊司令部宛に無電を打ってくれ」


 「文面はいかが致しますか」


 通信参謀の問いかけに南雲長官は端的に答える。


 「『巫女ニ謝ス』。以上だ」






 新聞の一面を三人娘に手渡した山本長官はその表情に微笑をたたえている。


 「またか」


 杏と美津子、それに聖子の三人は小さくため息をつく。

 そこには「インド洋で東洋艦隊を撃滅」と書かれた主見出がしあり、その横の脇見出しには一航艦司令長官が連合艦隊司令部に宛てた電文だという「巫女ニ謝ス」という文字が躍っていた。

 記事の内容は東洋艦隊を撃滅した南雲長官が今回の戦いにおいて殊勲甲だったのは紛れもなく三人の巫女だというものだった。

 さらに南雲長官は巫女の託宣が無ければ逆に自分たちは奇襲を受けてやられてしまっていたかもしれないと語り、ある意味において巫女は自分たちの命の恩人だとまで持ち上げていた。


 この記事はすでに杏も美津子も、それに聖子も目を通している。

 この記事が出た日の午前中にはすでに家の周りには件の巫女たちを一目見ようと人だかりが出来ていた。

 これまでにも家の周りに彼女たちの写真を撮ろうとする新聞雑誌の記者やカメラマンがうろつくことはあった。

 写真も何枚も撮られていた。

 しかし、検閲を経なければ出版されることは無いだろうと彼女ら三人はたかをくくっていた。

 しかし、今回はしゃれにならない。

 なぜ海軍はただでさえ目立つ自分たちを世間にさらすような真似をしてくれたのか。

 これでは・・・・・・


 「表情から察するに、よくも自分たちをさらし者にしてくれたな、といったところでしょうかな」


 微笑から苦笑へと笑顔の種類をチェンジしながら山本長官は説明を始める。


 「あなた方を表舞台に出した目的のひとつは陸軍へのあてつけです。拉致未遂事件が起こったときと違い、今回の件であなた方は有名になった。

 そして、すでにあなた方は海軍にとってかけがえのない宝物だということを世に知らしめた。これで陸軍はうかつにあなた方には手を出すことはできなくなった。つまり、あなた方の安全のためでもあるのです。

 それと、これは対外的なことですが、欧米人には東洋人に対して、なにかしら不思議な力を持っているのではないかと考える人間が少なくない。そのことで、米国の将兵に日本人は自分たちには無いなにか不思議な力を持っているのではないかという疑心暗鬼を起こさせる効果が期待出来ます」


 そう語る山本長官に対し、美津子が珍しく直截な言い回しで文句を言う。


 「それだと、不思議な力を持つと誤解された私たちは連合国のスパイに狙われるのではありませんか」


 「実際に不思議な力をお持ちではありませんか。それと、あなた方の安全は我々が守ります。二度とあのような事件に巻き込むようなことはありません」


 山本長官の言う通り拉致未遂事件以降、彼女たち周辺の警備は格段に厳しくなった。

 邸宅には海軍基地へのホットラインが敷設されたうえに、昼間でさえも警備の兵が常駐するようになった。

 だが、そのおかげで家にいてもなんだか落ち着かない。

 聖子などはカーテンを閉め切ったうえに布団をすっぽりかぶって、その中でごそごそするようになった。


 「あー、でもこれで完全に銀ブラ出来なくなっちゃったなー」


 杏はと言えば残念さを隠そうともしない。

 この世界へ飛ばされてからというもの、楽しみと言えばおいしい物を食べるか買い物くらいだ。

 もともと彼女たちは週に一度、息抜きとストレス発散のために銀座あたりに買い物に出かけるのがこの世界に来てからの習慣になっていた。

 もちろん、昭和十七年の日本人とは容姿が少し違う彼女たちは確実に周りから浮いた存在だったので人々から好奇の視線を浴びることも少なくなかった。

 それでも出来る限り目立たないように服装や髪形には気を配った。

 おかげで私服姿の彼女たちに声をかける者は少なく、男からの欲望の視線と女からの羨望の視線を気にしなければ、それなりに楽しむことができた。

 だが、これからはもう無理だろう。

 検閲によって写真こそ出回っていないが、自分たちの風体や人相は口コミによってかなり流布しているはずだ。

 この時代の日本人とはちょっと雰囲気が違う娘というだけで一気に自分たちは絞り込まれ巫女だとばれるだろう。

 買い物に変わる新しいストレス発散のはけ口を捜す必要があった。

 一方、三人娘のクレームや落胆に気まずさを感じた山本長官は話題を急旋回させる。


 「実はお三方の階級なのですが、神の使いの巫女に尉官は役不足だということで、特務中尉から少佐にさせていただきます。このため二階級特進となります。おめでとうございます」


 山本長官は階級が上がったことを祝福する。

 軍人にとってはなにより名誉なことだ。

 だがしかし、あいにくと三人娘は軍の階級などに興味はない。

 少佐になることで特務中尉に比べて俸給が上がるといっても、莫大な特許料収入から見れば微々たるものだ。

 一方、三人娘の反応がいまいちだったことで山本長官は仕方なく本題を切り出す。


 「あなた方がおっしゃっていた帝都空襲について教えていただけますか」

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