第5話 真珠湾攻撃

 「『ピンク○ーター』とか『テ○ガ』って、今の時代の科学力で作れるのかしら?」


 朝一番の特許ネタの会議の中で聖子が冒頭からいきなり妙なことを言い出した。


 「『ピンク○ーター』や『テ○ガ』ってどういうものですの」


 美津子は初めて耳にした単語を杏に尋ねる。

 杏が見せた渋面に美津子は「あっ、これは聞いちゃいけないやつだ」とこれまでの経験則から悟る。

 聖子と長年にわたって付き合える程度にはスケベ耐性の高い杏が渋い顔をするのだから、朝からの話題としては決して相応しいものではないのだろう。

 温厚な杏が聖子に「真面目にやって」と怒っている。


 「私はいつでも大真面目よ。いつの時代もエッチは金儲けの最高のネタなのよ。覇権をかけたビデオ標準化戦争でベータが負けたのもVHSに比べてエッチが足りなかったのは歴史が証明するところじゃない」


 そう言って、聖子は実例を挙げて杏に反論している。


 「ああ、やっぱりその手の物か・・・・・・」


 いつも通りの流れになりつつあることを悟ったは美津子は話題を旋回させるために自身の思い付きを開陳する。

 その後も三人でわいわいがやがややっているうちに、旅館の仲居さんが少し緊張を含んだ表情で来客を告げてきた。

 三人娘は顔を見合わせる。

 そういえば、あの人が来る時間だった。

 仲居さんが緊張する程度には偉いおっさんだからすぐに通してもらうようお願いした。






 「配分は五分五分ですか」


 現代の日本人離れした美しい容姿を持つ神の使いの巫女。

 それにしては意外に俗っぽいというかせちがらいというか。

 目の前のサービス・・・・・・、もとい、露出の高い「巫女」装束の三人娘は何から何まで連合艦隊司令長官の世話になるのはしのびないと言って、特許のアイデアを出すから手続きその他諸々をそちらでお願いしたいと言ってきた。

 五分五分というのは入ってきた特許料の分け前の話だ。

 彼女たちの提案は信憑性が高かった。

 目から鱗の具体的なアイデアがいくつも簡単なイラストとともに目の前にある。


 「開戦すれば長官が好きに使えるお金はいくらあっても足りないでしょう。悪い話とは思えませんが」


 連合艦隊司令長官の山本大将が三人の中で最も曲者と思う聖子がそう言ってこちらの足元を見透かしたようなことを言う。

 確かに、各種工作を含め戦争になれば機密費はいくらあっても足りるということはないだろう。

 悪い話ではなかった。

 だが、今聞きたいのは、話したいのはそのことではない。


 「特許についての件は了解しました。近日中に担当の者をそちらへ差し向けましょう。詳細につきましてはその者とご相談ください。

 ところで昨日あなた方がおっしゃった真珠湾作戦ですが、どこまでご存じなのでしょうか。それと、この情報はどこまで漏れ伝わっているのでしょうか」


 真珠湾奇襲作戦で最も怖いのは情報の漏洩だった。

 もし、米軍にこのことを事前に知られてしまえば、第一航空艦隊は待ち伏せを受けて全滅するだろう。

 山本長官としては真っ先に確認しておかなければならないことだった。


 「それはぜんぜん大丈夫だよ。陸軍や政府関係者にはずいぶんと知れ渡ってしまっているけど、逆にそれ以外で知っているのは私たちくらいだし」


 そう言って杏が優し気な表情で山本長官に「安心して」と告げる。

 ならばと、山本長官は次に気になっていたことを問う。

 この作戦は成功するのか失敗するのか。

 それに答えたのは美津子だった。


 「奇襲そのものは成功しますわ。太平洋艦隊の戦艦群は壊滅的な被害を受け、オアフ島の航空隊も大打撃を受けます。ですが、一方で攻撃隊は二九機の未帰還機を出しますし、特殊潜航艇部隊は全滅です。この損害を軽いとみるかどうかは微妙ですが」


 ただ、と言葉を継いで美津子はほっとした表情を見せる山本長官に対して肝心なことを告げる。


 「宣戦布告の手続きに瑕疵、具体的には遅延が生じて相手への通告が奇襲攻撃が終わった後になってしまいます。米政府はそのことで卑怯なだまし討ちだと国民に喧伝して結果的に米国民の日本に対する敵愾心の炎を一気にあおってしまう結果になります」


 美津子の告げた言葉に山本長官が顔色を変える。


 「外務省が何かへまをやらかすのですか」


 「一義的には外務省の失策、厳しい言い方をすれば怠慢といえるかもしれません。ですが根本的な問題としては海軍と外務省の連携がきちんと出来ていなかったことが失敗の本質でしょう。

 真珠湾攻撃で太平洋艦隊を殲滅、一挙に米国民の戦意を阻喪させるはずの作戦がかえって米国民に怒りという燃料を注いで戦意の炎をいっそう大きく煽ることになる。皮肉な結果ですわね」


 「裏を返せば、布告の手交が齟齬なく行われればそのようなことにはならないと、そういうことですか」


 「真珠湾攻撃前に宣戦布告が出来たとしても、あまり意味はありませんわね。日本からの奇襲攻撃を発表する際に限りなくだまし討ちに近い印象を抱くように国民に伝えればいいだけですから。智謀と謀略、それに宣伝戦に長けた彼の国の指導者連中にとってそんなことは朝飯前ですわ」


 つまり、と言って美津子は過去形で未来を語る。


 「戦果を最大に、犠牲を最小にという意味においてはすばらしい作戦だったと思いますわ。でも、戦争全体から見ればこれ以上の悪手はありませんわね。

 誰よりも米国との戦争を回避しようと命がけの努力をされてきた山本長官が、誰よりも米国民の対日戦争への決意を固めさせてしまうことになるのですから」


 戦術は褒められた、でも戦略は決定的なダメ出しを食らった山本長官はしばし瞑目する。

 その様子を見て美津子は言い過ぎたかと思ったが、杏と聖子を見るとそれでいいとうなずいている。

 杏と聖子は声にこそ出さないが、「真珠湾攻撃? そんなの下策中の下策ですわ」と美津子の口調を真似して自身の脳内でつぶやいている。

 一方、再び目を開いた山本長官は苦衷のにじむ声で尋ねる。


 「こんなことを巫女であるあなた方に聞くのは職業軍人として失格だということは重々承知しているがそれでも教えてほしい。私はどうすればいい」


 こんどは聖子が珍しく神妙な表情で山本長官に語りかける。


 「質問に質問を返すようで恐縮ですが、山本長官は以前は米国との戦争には反対の立場でしたが、軍人としてではなく一人の人間として今もそのお考えは変わっていないでしょうか」


 山本長官の返答次第では、今後の方針を変えなくてはならないかもしれない。

 重要な質問だ。


 「一個人としては米国との戦は避けることが出来るのであればそうあってほしいし、また平和を望む気持ちに変わるところはありません。

 ですが、私は帝国海軍の軍人なのです。そして、連合艦隊司令長官でもあります。今の私はただただ米国に対して勝利を追求する。それが使命です」


 「では、お上のお気持ちはご存じですね」


 「お上の平和を願う気持ちは私も重々承知しています。しかし事ここに至った以上、お上も覚悟を決めておられるでしょう。私は勝利することでお上の心痛をやわらげることしかできませんが」


 「お上は勝利など望んでいません」


 厳しい声音の聖子に、山本長官はハッとした表情で聖子を凝視する。


 「それはどういう意味でしょうか」


 「お上が真に望まれるのは世界平和と人類すべての幸福です。

 日本という国をまとめあげるお立場上、勝利を希求するというだけで、ほんとうは戦いなど望んでいません。兵が、国民が一人死ぬというだけでお上がどれほど心を痛めているかあなたに理解ができるというのですか。

 それに、お上は日本人だけの身を案じているのではありません。今後敵となる米国や英国の人、それに世界中の人々が傷つき、亡くなられるたびに苦しまれるのです」


 聖子が言っているのは口からの出任せだ。

 だが、お上が郷土愛や愛国心にとどまらず、人類愛さえ持ち合わせているという聖子の指摘には山本長官も反論できない。

 目の前の彼女は連合艦隊司令長官である自分の言葉に反論する一方で、逆に自分が忠誠を誓うお上のことを褒めちぎっているのだから。

 それに、と山本長官は思う。

 彼女の指摘は間違いではないだろう。

 御前会議でお上はこれまでに何度も戦争回避の希望を述べられてきた。

 そのお上が戦争を決断することに至ったのは自分を含めた臣下の責任でもある。

 ならば、それを終わらせるのも自分たちの務め。

 山本長官は再度問う。

 私はどうすればいいのかと。


 「戦争を終わらせる条件はふたつ。

 ひとつは連合国との講和。そして、もうひとつはお上のお心を理解できない継戦派の排除です。

 最初の条件ですが、連合国との講和については、こちらは勝って勝って勝ちまくるしかありません。決定的な勝利をつかまない限り、彼らは講和交渉のテーブルにつくことはないでしょう。そして、それが出来るのは連合艦隊だけです。この戦いは、日本の未来は連合艦隊の肩にかかっています」


 山本長官は目の光を強め、無言で聖子を見据える。

 先を続けろということだ。

 忖度上手の聖子は山本長官の意を汲み、話を続ける。

 「掛かった」という気持ちはおくびにも出さず。


 開戦直前の多忙な時期にもかかわらず、その後も山本長官は時間を忘れ三人の話に熱心に耳を傾けた。

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