第4話 特許
「特許かぁー」
杏が感心したように唸る。
聖子の説明によれば、自分たちが当たり前に使っている身近な日用品や嗜好品でさえ特許の固まりなんだという。
ものによってはひとつの特許だけで一生遊んで暮らせる金が手に入るらしい。
未来の自分たちにとって当たり前のことが、この時代ではまだ出願されていないものが探せばいくらでもあるはずだった。
「でも、それってもともとは他の人が思いついたアイデアではありませんか。なんだか悪いですわ」
お人好しお嬢様モード全開の美津子が難色を示す。
金を出す方が正義と言う割に三人の中で最もプライドを残している美津子、その彼女らしい発言に、だがしかし聖子があっさりとその言を斬り捨てる。
「いいのよ。こんなの誰かがいつかは思いつくことなんだから。早い者勝ちよ」
美津子にくらべていささか良心のハードルが低い聖子がさらりと言い放つ。
「それで特許で稼いだお金を元手に東京へ引っ越すわ。この呉の街も悪くなさそうだけど、東京の方が進んでいるし、物も豊富だから。何より情報の量も鮮度も呉とは段違いだし」
「確か関東大震災を契機に電気や下水道といったインフラの整備が進んだのでしたわね」
美津子の言葉に聖子が大きくうなずく。
「そう。だから洗浄便座は無理だけど水洗式なら期待できるはず。美津子も爆撃の際に大型爆弾で跳ね返りを気にせずに済むし」
「跳ね返っていません! それに何ですか、爆撃とか大型爆弾と言うのは」
爆撃の意味を解する杏は美津子に軍隊用語のそれの意味を教えようかどうか少し迷ったが、やっぱりスルーして疑問を口にする。
「でも、東京って来年にも空襲をうけるんじゃなかった?」
少しばかり懸念を含んだ杏の疑問に聖子は少し驚いた表情を向ける。
「その通りよ。よく知ってるじゃない。昭和一七年のドゥーリットル、それに昭和一九年後半からは継続的に。東京以外の日本の都市部だって空襲を受けずに済んだのは京都や奈良くらいのものよ。この呉だってずいぶんとやられたわ」
「じゃあ京都や奈良にすればいいんじゃありませんの。以前の世界と同じ関西ですから、少しはなじみもありますし」
空襲を免れた街があることを知った美津子がさっそく提案する。
住むなら安全な街が一番だ。
「お金が入れば奈良に別宅というのは考えてもいいわね。京都よりも住みやすそうだし」
聖子の言葉に杏は心の中で苦笑する。
聖子は京都の大学に通っているくせに京都人と折り合いが悪いことが多い。
たいてい冷戦となって、そして最後はいつも聖子が勝つ。
他県人があの冷戦無敵の京都人に勝つということは、諜報戦でジョンブルやコミーに勝つようなものだ(注:杏の主観)。
まあ、杏には聖子がなぜ京都人と仲が悪いのかは想像がつく。
似た者同士、近親憎悪というやつだろう。
杏はそれが分かってはいたが、何も言わないほうが身のためだということも野生の本能で十分に理解していた。
「それよりもこれからの事」
話題を転換すると宣言し、聖子が杏と美津子に真剣な目で問いかける。
杏と美津子、それに聖子は昨夜のうちに今後の方針について一応は考えをまとめていた。
「成すべきは日本の早期戦争離脱」
つまり、世界中を巻き込んだこのシャレにならない争いから少しでも早く身を引こうということだ。
戦争が長引けば物資不足に加え、頭上から爆弾の雨が降ってくるなどロクなことがない。
だが、日本の早期戦争離脱を達成するためにはふたつの条件をクリアする必要がある。
連合国との講和、それと国内にはびこる継戦派の一掃だ。
可能であれば、日本の統治体制の転換も図りたい。
憲兵や特高がいばり散らした世界などまっぴらごめんだ。
だが、その実現への見通しは極めて暗い。
仮に女子大生三人が三万人だったところで実現は不可能だろう。
だが、それでもやらなければならなかった。
でないと、日本中が焼け野原となり大勢の人たちが死ぬ。
下手をすれば自分たちも死ぬ。
自分たちの力の限界を理解しつつも、それでもなお、それが分かっているのに何もしないという選択肢は三人には無かった。
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